よくある質問 Q&A 映画で世界史は学習できるのか

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 映画を見て本当に世界史の勉強になりますか。

  なります。タイムマシンで過去に行って体験するように,あなたが勉強した人物が登場し,あなたが勉強したや事件が目の前で展開されるのですから。知識を定着させるには絶対役立ちます。

  映画を見るなんて,時間の無駄ではないですか。

  そんなことはありません。受験生のみなさんは時間がないというより気持ちの余裕がないんだと思います。受験生は起きている間,ずっと勉強しているわけではありませんよね。最初の回にも書きましたが,1週間のうち2時間映画を見ても何の問題もないはずです。気分転換にもなります。そして,1週間に1本見ると1年間で52本の映画を見ることができます。相当な範囲を網羅することができます。もし,気持ちの余裕がもてないなら,公式ホームページに公開されている予告編と,私のブログを読んでもらうだけでもいいと思います。

 映画なんか見ている時間があったら,単語を書いて覚えた方が効率がいいと思います。

 書いて覚えることは,舌を噛みそうなカタカナの単語や難しい漢字には必要かもしれませんが,すぐ忘れてしまうでしょう。書いて覚えるというのは作業にすぎず,実は頭を使っていないからです。すごく効率の悪い勉強法なのです。しかし,映画「エクソダス」を見たら,少なくともモーセとヘブライ人の出エジプトを忘れることはないでしょう。さらにヘブライ人についてすでに勉強していれば,バビロン捕囚も忘れないでしょう。

 受験のために映画を見る気にはなれません。

 確かに受験のためとか,点にしようと思って映画を見てもおもしろくないでしょうね。見るときはそんなことは忘れて映画を楽しみましょう。見終わったあと,ちょっと教科書などでチェックすると効果的です。

  世界史の映画に興味がわきません。

 それは残念ですね。でも,世界史を勉強していて興味がわかないとしても,テレビのクイズ番組などで世界史についての問題が出て,答えが分かったとき,うれしくなったり,だれかに自慢したくなりませんか。もし,そんな経験があったら見てみましょう。きっとおもしろいと思うはずです。

  映画を見るだけで,点が上がりますか。

 もちろん,映画をただ見るだけではダメです。普通に世界史の勉強は必要です。一度勉強したことだから,映画の内容がよく分かるし記憶にものこり,その結果点数が上がるのです。あるいは,まだ勉強していない範囲の映画を見たら,あれはいったいどういうことだろうとか疑問がわきますね。それを調べて納得する。こうして知識が定着します。あくまでも映画は,世界史学習の一つの有効なツールに過ぎません。

  映画は史実と違うことが多いのではないですか。そうすると間違ったことを覚えてしまいます。

 確かに映画は史実そのままではありません。その点は気をつけなくてはいけません。多くの洋画は英語ですね。モーセや西太后が英語で話すわけはありません。ま,これは一種の吹き替えと考えましょうか。例えば映画「グラディエーター」ではマルクス・アウレリウス・アントニウス帝を息子のコンモドゥスが殺してしまいますが,実際は違います。でも,コンモドゥスの名は覚えるでしょう。コンモドゥスは教科書にも用語集にも載っていないと思いますが,過去に難関大学で出題されたことがあります。むしろ見ている映画が史実と違うことに気づくことが楽しく,勉強にもなるのです。このブログは,そのあたりのことを書いていくつもりです。

  映画を見ただけでは歴史の流れがつかめないと思います。

  その通りです。流れというのは大きな歴史の展開あるいは骨組みのことでしょう。映画は,ある人物やある事件を題材にすることが多いので,いわゆる歴史の流れを直接理解することはできません。しかし,カタカナや漢字の集まりに過ぎなかった人物や事件が目の前で展開されることによって,個々の事柄の知識が身についたら,それを構成要素とする大きな流れの理解にも役立つはずです。

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「エクソダス 神と王」(4) 出エジプトとバビロン捕囚

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映画「十戎」で一番有名なのは,やはり紅海をモーセが二つに割って,海のなかにできた道をヘブライ人が渡る場面でしょう。しかし,当時の特撮技術では人々の体は二重写しで透けてみえました。

「エクソダス」では,モーゼが海を二つに割るのではなく,突然空が雲に覆われ,竜巻が起こって海が一方にに流れていき,浅瀬ができます。そこをヘブライ人が渡って行きます。やがて,巨大な高波がやっいてきて海は元通りとなり,エジプト人は飲み込まれてしまいます。さすがにリアルです。

しかし,いくら技術的に未熟でも「十戎」の場面の方が印象に残りますね。

十の災いやこの海を渡る場面のリアルさに比べて,「エクソダス」は全体に人物の描写がやや薄っぺらで,ラムセスとモーセ以外の人物に存在感がありません。

ヘブライ人の長老ヌンは映画「ガンジー」でアカデミー主演男優賞を獲得した名優ベン・キングズレーですし,ラムセスの母は「エイリアン」シリーズのシガ-ニー・ウィーバーです。キングズレーはさすがに存在感を示していますが,ウィーバーはエジプト風の濃い化粧のせいかよく分かりません。

モーセのクリスチャン・ベールも,若い時代のモーセのときには現代人のエリート・ビジネスマンようにみえてしまう瞬間があります。

ところで,出エジプトのヘブライ人の数は,この映画では40万人となっています。聖書には,男だけで60万3550人とされており,総勢200万人ほどになると考えられています。

あまりに非現実的なので,5000人から6000人ほどではなかったかという説もありますが,ネットで調べると,聖書の数が正しいとするサイトがいくつかありました。信仰の立場からは聖書の記述を疑うことはできないのです。

ヘブライ人は,こののち,前1000年頃に約束の地カナーンの地で王国を建てますが,ダビデソロモンの繁栄のあと,北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂し,イスラエル王国はアッシリアに,ユダ王国が新バビロニアに滅ぼされました。

ユダ王国の住民の多くは,新バビロニアに滅ぼされたとき,バビロンに拉致されました。この前6世紀の約50年間を,バビロン捕囚といいます。

その後,新バビロニアがアケメネス朝キュロス2世に滅ぼされると,ヘブライ人は帰国を許され,帰国したヘブライ人はユダヤ教を成立させました。

この出エジプトやバビロン捕囚などの民族的苦難を背景として,ユダヤ教は選民思想をもつ民族宗教となったのです。

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「エクソダス 神と王」(3) ヒッタイトと旧約聖書・新約聖書

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映画が始まるとすぐにヒッタイトとのカデシュの戦いが起こります。

前13世紀前半,前1286年または前1275年に,エジプトのラムセス2世とヒッタイトの王ムワタリがシリアの支配をめぐって起こした戦いです。この映画では,ラムセスの父セティ1世の時代となっています。

ヒッタイトは未開の民族のように描かれていますが,ヒッタイトは古代オリエント世界で初めて鉄器を使用し,戦車で周辺に勢力を拡大した強国でした。

勝敗は決することなく,ヒッタイト・エジプトともに自らが勝利したと記録しています。ラムセス2世はアブ・シンベル神殿などの壁にヒエログリフで戦勝記録を彫らせ,ヒッタイトは楔形文字粘土板に記録しています。

そして,このとき世界最初の平和条約が結ばれたとされ,ヒッタイトの粘土板のレプリカがニューヨーク国連本部に飾られています。

さて,ラムセスとモーセが兄弟のように育ったとは,聖書にはありません。おそらく,セシル・B・デミルの「十戎」の設定を採用したのでしょう。

ちなみに,聖書は旧約聖書新約聖書があり,「旧約」は古い契約で神とユダヤ人の契約,「新約」は新しい契約で神と人類の契約をそれぞれ意味します。決して,同じ聖書の「旧訳」と「新訳」ではありません。

過去に同志社大学の正誤判定問題でこの「約」の字が「訳」となっていて誤りという選択肢がありました。

キリスト教では,旧約聖書と新約聖書の両方が聖書ですが,ユダヤ教徒にとって聖書は旧約聖書だけです。したがってユダヤ教では単に聖書です。

しかし,入試問題で,「ユダヤ教の聖典はなにか」と聞かれたら,やはり「旧約聖書」と書いた方がいいかもしれません。教科書は旧約聖書と書いています。

ラムセス2世が,ヘブライ人がエジプトを出て行くことを認めないため,神は十の災いをもたらします。

これは聖書にあり,映画でもそのまま登場します。水が血の色に染まり,カエルが異常繁殖し,ブヨが異常発生し,アブも発生し,病が蔓延し,腫れ物ができます。雹が降り,イナゴが大量発生し,暗闇が襲い,病でエジプト人の長子が死んでいきます。それでも,この映画では一種の自然現象ともとれるように描かれています。

モーセが山で神の使いである少年と出会ったのも,山崩れで頭を打ったため幻想を見るようになったともとれるようになっています。

映画「十戎」では神が雷で石に刻んだ十戎の石版は,この映画では神の使いの少年と相談しながら,モーセ自身がノミで彫っているのです。聖書では,神から授けられたものとはありますが,どのように作られたかは書いてありません。

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「エクソダス 神と王」(2) ピラミッドとラムセス2世

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物語はご存じの人が多いとは思いますが,簡単にまとめると次のようになります。

エジプト王家で王子ラムセスとともに育ったモーセは,ヘブライ人の子であることが明らかになって追放されます。たどり着いた村で結婚し,子供も出来ますが,迷った羊を探しに山に登り,神に出会います。

エジプトに戻ったモーセは,ヘブライ人を率いてエジプトから脱出しようとしますが,ファラオとなったラムセスが認めません。そこでさまざまな奇跡が起こり,ヘブライ人はエジプトを出てカナーンの地に向かうことが許されます。

しかし,気が変わったラムセスは軍を率いて,ヘブライ人を追撃します。紅海にたどり着いたヘブライ人は神の奇跡によって海のなかにできた道を渡りますが,エジプト軍は海に沈んでしまいます。

その後,シナイ山でモーセは神から十戒の刻まれた石版を受け取り,さらなる旅を続けます。

今回の「エクソダス 神と王」は,オープニングから驚かされます。

巨大なピラミッドがあちこちに建設されているのです。

サッカラにあるジョゼル王の階段ピラミッドのようなピラミッドも,あちこちに建っていますし,スフィンクスもいくつもあります。

さらにラムセス2世は,自分のピラミッド建設を進めています。

古代エジプトは,古王国時代・中王国時代・新王国時代に分けられ,ギザにあるクフ王のピラミッドに代表される巨大ピラミッドは古王国時代に建設されました。

中王国時代には,規模がずっと小さくなります。新王国時代になると,王家の谷に墓を作るようになりました。

新王国時代のラムセス2世は,ピラミッドは作ってはいません。

さらに都はメンフィスになっています。古代エジプトの都は,古王国時代がナイル川下流のデルタ地帯にあるメンフィスで,中王国時代と新王国時代がテーベというのが受験では常識です。アメンホテプ4世のときは中間のテル・エル・アマルナに遷都しました。

受験では出ませんが,ラムセス2世はデルタ地帯に新都ベル・ラメセスを建設しています。でも,メンフィスではありません。

さらに,現在ルクソールと呼ばれるテーベにあるカルナック神殿のような宮殿や,ずっと上流にあるアブ・シンベル神殿まで出てきます。

アブ・シンベル神殿はラムセス2世の4体の巨像が正面に配置されています。アスワン・ハイダムの建設で水没するため,ユネスコがエジプト政府と協力して山上に移築しました。

アスワン・ハイダムといえば,その建設資金を捻出するため,エジプト大統領ナセルが1956年スエズ運河国有化を宣言すると,第2次中東戦争,つまりスエズ戦争が起こりました。アスワン・ハイダムは,その後ソ連の資金援助で建設されました。

それはともかく,この映画,あらゆるエジプトのシンボルが満載です。

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「エクソダス 神と王」(1) アメンホテプ4世・ツタンカーメンと出エジプト

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今回は,同僚からのリクエストがありましたので,2015年の「エクソダス 神と王」をとりあげます。旧約聖書ヘブライ人出エジプト,すなわちエクソダスを描く作品です。

http://www.foxmovies-jp.com/exodus/

ドリー=スコットは,ローマ帝国五賢帝最後のマルクス=アウレリウス=アントニヌスとその子コンモドゥスが登場する「グラディエーター」や,SFの金字塔「ブレードランナー」や「エイリアン」などで有名です。

「金字塔」は「金」の字の形に似ているピラミッドのことで,そこから「不滅の業績」を意味する語となりました。

リドリー=スコットの監督作品のリストのなかに「ハンニバル」という作品をみつけると,第2回ポエニ戦争カルタゴ側の将軍としてローマ軍を苦しめたハンニバルの映画かと思ってしますが,違います。「羊たちの沈黙」の続編で,ハンニバルは主人公の猟奇的人物の名前です。

ちなみに,第2回ポエニ戦争でハンニバルと戦ったローマの将軍がファビウスで,19世紀のイギリスの社会主義者グループでイギリス労働党の中核となったフェビアン協会は,このファビウスにちなんで名付けられました。

さて,この映画を見ていると,どうしても1956年のセシル・B・デミル監督の最後の監督作品「十戎」と比べてしまいます。彼は1923年にも同じ題材で「十誡」を撮っており,「十戎」はそのリメイクです。

モーセ役はチャールトン・ヘストンで,彼が杖を振ると紅海が真っ二つに割れて道が出来るジーンはあまりにも有名です。一方,今回の「エクソダス 神と王」でモーセを演じるのは,バットマンを演じたクリスチャン・ベールです。

セシル・B・デミル監督の「十戎」の最初に,ラムセス2世の父セティ1世の玉座が出てきます。

おそらく,ツタンカーメンの玉座のコピーです。下の写真は,私がカイロのエジプト考古学博物館で撮った実物の写真です。

この写真でははっきり分かりませんが,背もたれには,針のついた釣り糸みたいなものが放射線状に何本もついた円盤が彫られています。

これは,アメンホテプ4世が行った古代エジプトの宗教改革で信仰が強制された一神教のアトン神をあらわす図像です。

アメンホテプ4世は,名前もアトンの入ったイクナートンに変えました。その子がツタンカーメンなのです。しかし,彼に時代には従来のアメン神信仰に戻りました。

彼の名は,もとはアトンの入ったツタンクアトンだったのですが,アメン神信仰に戻ったためツタンクアメン,すなわちツタンカーメンに改称したのです。

それはともかく,これは前14世紀の話で出エジプトの100年ほど前の話なので,セティ1世の玉座にアトン神が彫られているわけはありません。

でも,今回の「エクソダス 神と王」はもっと大胆です。

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「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」(2) ミルグラム実験

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前回は受験知識ばかりでしたが,今回はほとんど受験の知識は出てきません。

アイヒマン裁判が始まって多くの人が驚いたのは,アイヒマンが悪の権化のような怪物ではなく,分厚い眼鏡をかけた風采の上がらないどこにでもいるような平凡な人物であったことでした。

彼は命令に従っただけだと無罪を主張しましたが,死刑判決が下され,翌年,絞首刑となりました。イスラエルには死刑制度は存在しないため,唯一の死刑だそうです。

アイヒマンの裁判が始まった1961年,アメリカのイェール大学でユダヤ系の社会心理学助教授スタンレー=ミルグラムが,ある実験を開始しました。

ここから映画「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」は始まります。

2人の被験者で先生役と生徒役を決め,先生が別室にいる生徒に単語のゲームのような問題を出して,間違えると電気ショックを与えます。間違えるたびに電圧を上げ,生徒役は叫び声を上げます。それでも先生役の被験者に対して,そばで観察している研究者が実験を続けるように促します。先生役は躊躇したり,抗議したり,生徒役のようすを見に行くべきだと主張したりしますが,結局は多くが最後の450ボルトまで電気ショックのスイッチを押し続けました。

実は生徒役はサクラであり,くじで必ず生徒役になるように仕組まれており,電気ショックを与える機械もニセモノで,生徒役は隣の部屋でテープレコーダーの声を流しているのです。映画でも出てきますが,一種の「どっきりカメラ」状態だというと分かりやすいでしょう。

この実験の結果は,1963年に学会雑誌に発表され,一般の普通の人々が一定の条件の下で非人道的行為を行うことが明らかになったと話題になったのです。

同じ年,アイヒマン裁判を傍聴したユダヤ人の哲学者アンナ・アーレントも「イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告」を発表し,同様の説を主張しました。

しかし,一方で,ミルグラムは,その実験方法や倫理観を批判され続けました。映画は,その彼の苦悩をドラマとして描くのではなく,ときにミルグラム役の俳優が映画を見ている観客に語りかける手法をとっています。

彼は,以後もさまざまな実験を行いました。たとえば,SNS,すなわちソーシャル・ネットワーク・サービスの基礎ともなっている,世界のすべての人々は6ステップ以内でつながっているという「六次の隔たり」を検証したスモールワールド実験なども出てきます。

結局彼は51歳の若さで,1984年になくなりました。

実際のミルグラム実験では,20代から50代の男性40人に対して行われ,多くが300ボルトまでスイッチを押しましたが,最後の400ボルトまで押したのは25人でした。

さらに条件を変えて,映画にも出てきますが生徒役が苦しむのを見ながら実験を行わせた場合などを試みています。その場合には12人に減っています。

この実験はアメリカ社会のなかで行われたに過ぎません。これで「普通の人間が非人道的行為を行う」という一般的結論を導き出すのは早計でしょう。

しかも,「なぜか」に対しては答えは与えられていません。人間とはそういうものだとするのは,さらに危険なことでしょう。

それはともかく,「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」という邦題はいけません。ミルグラムがアイヒマンの「後継者」というのはひどいです。

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「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」 (1) ナチス・ドイツとホロコースト

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アイヒマンは,ナチス・ドイツホロコーストを,実務的に進めた人物です。

http://next-eichmann.com/

ホロコーストとは,ナチス・ドイツ時代に組織的に行われたユダヤ人に対する弾圧・大量虐殺のことをいいます。現在,ドイツやオーストリア,さらにフランスやベルギーなどでは,このホロコーストがあったことを否定することは法律で禁止されています。

日本では1995年に雑誌「マルコ・ポーロ」がホロコーストを否定する記事を掲載し,廃刊に追い込まれました。

なお,ユダヤ人問題に関しては,ポグロムという言葉もあります。ポグロムはロシア語で「破壊」を意味する言葉で,19世紀から20世紀にかけてロシアで行われたユダヤ人への略奪や虐殺のことをいいます。いずれも入試で問われます。

ナチス,すなわち国民社会主義ドイツ労働者党は,1919年にドレクスラーがミュンヘンで結成したドイツ労働者党を改称したものです。党名には「社会主義」や「労働者」の語が含まれていますが,もちろん社会主義政党ではありません。

ナチスは略称で,対抗勢力からの蔑称です。メンバー自らナチスとはいいません。彼らは,略称のNSDAPやNS,あるいはParteiつまり「党」と呼んでいました。

ヒトラーは軍から調査を命じられて演説会に潜り込み,演説を聞いて感激し,入党しました。1921年にはその弁舌の能力で,ドレクスラーに変わって党の指導権を確立します。

ナチスは,1929年の世界恐慌までは弱小政党の一つに過ぎませんでした。しかし,世界恐慌をきっかけに党勢を急激に拡大し,1933年にヒトラー内閣が成立します。

そして,国会議事堂放火事件を利用して共産党を弾圧し,全権委任法を制定して一党独裁を実現しました。翌年ヒンデンブルク大統領が死去すると,ヒトラーはナチス党首・首相・大統領の地位を兼ねて総統(フューラー)と称し,独裁体制を完成させます。

ナチスについては,1934年までが国内における独裁体制の確立,1935年から1939年までが周辺への勢力拡大と第二次世界大戦開始と整理するといいです。入試では最重要項目の一つです。

政権得後,ナチスはユダヤ人に対する迫害を進め,強制収容所を建設してドイツ国内や占領地のユダヤ人を収容し,強制労働を行わせたり,あるいは人体実験を行ったり,ガス室で大量殺戮を行いました。

このユダヤ人の収容所への輸送に活躍したのがアイヒマンでした。オーストリア・ナチスに入党したアイヒマンは,オーストリアからのユダヤ人の,全財産との引き替えの移住を進めました。1939年ドイツのポーランド侵攻から第二次世界大戦が始まると,ベルリンでゲシュタポ(保安警察)のユダヤ人課の課長として,各地のユダヤ人を絶滅収容所に列車輸送で送り込む責任者として精力的に業務をこなしました。

敗戦後,アイヒマンはアメリカ軍に捕らえられましたが,収容所から脱出し,イタリア経由でペロン政権下のアルゼンチンに逃れることに成功しました。家族を呼び寄せ,リカルド・クレメントの名で生活していました。

しかし,イスラエルの特務機関モサドが,1960年にアイヒマンが結婚記念日に妻への花束を買ったことで彼であることを特定し,拘束します。そして正式な手続きを経ないで,イスラエルに連れ去りました。

1961年裁判が始まりました。このアイヒマン逮捕にまつわるドラマや,ドキュメンタリーはいくつもあります。

しかし,この映画「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」では,アイヒマンが主人公ではありません。

今回の話は,この映画を見る前提です。

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「アサシンクリード」 (3) アサシン教団とコロンブスの墓

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テンプル騎士団
は現在も存在していて,人間のDNAに記録されている過去を再現することのできるアニムスと呼ばれる機械を開発し,長い間人間を暴力から解放する「エデンの果実」を奪い合ってきたアサシン教団のメンバーを先祖にもつ死刑囚の過去を再現して「エデンの果実」を探します。

イスラーム教シーア派の一派に,要人暗殺を行ったニザール派というのがありました。他のイスラーム教徒からは,彼らが大麻を常用していたとされたため,「大麻野郎」を意味する「ハシーシー」と呼ばれました。これが十字軍時代にヨーロッパに伝わり,「暗殺」を意味する「アサシン」の語になったようです。

映画のアサシン教団も,明らかにイスラーム教徒なのですが,あまりそれは強調されていません。近年のイスラーム教徒の動きを刺激しないようにでしょうか。

さて,結局イベリア半島最後のイスラーム王朝であるナスル朝スルタンが「エデンの果実」を持っていたのですが,息子をキリスト教徒側に人質に取られて交換に「エデンの果実」を渡すという場面が出てきます。

ナスル朝最後のスルタンはムハンマド11世ですが,これは受験では出ないでしょう。

スルタンとは,11世紀にアッバース朝カリフからセルジューク朝の建国者トゥグリル=ベクがもらった称号で,以後イスラーム世界の君主が使いました。

また,その舞台はグラナダのアルハンブラ宮殿で,その中庭にある有名なライオンのパテオが出てきます。イスラーム教は偶像崇拝を厳格に否定するため,イスラーム世界では絵画や彫刻は発達しませんでした。ただし,例外にミニアチュール(細密画)があります。ライオンのパテオの噴水には,ライオンの彫刻がありましたね。

私は行って実際に見たのですが,アルハンブラ宮殿の奥にある玉座の天井には,歴代の王の肖像が描いてあります。やっぱり記録は何とか残しておきたかったのですね。

最後に「エデンの果実」はコロンブスの手に託され,彼が墓で持って行くと約束したことが判明しました。そこでセビリャの大聖堂に行くと,聖職者がうやうやしく「エデンの果実」を渡します。

ところが,コロンブスの遺体は,スペインで彼が亡くなったあと,遺言で彼が到達したサンサルバドルのあったドミニカに移されました。ドミニカが17世紀にフランス領になると,彼の遺体はスペイン領のキューバに移されています。さらに1898年のアメリカ=スペイン戦争でスペインが敗れると,スペインに戻されました。

つまり,ずっとスペインにあったわけではありません。この辺はちょっと設定が安直です。

まあ「ダ・ビンチ・コード」でも,最後に「聖杯」はルーブル美術館のガラスのピラミッドの下にあることになっていましたから,似たようなものです。

コロンブスの墓は,これも私も実際に行って見ましたが,あの通り,4人の王に担がれた状態で宙に浮いてる落ち着かない墓です。

テンプル騎士団は,「エデンの果実」を手に入れたましたが,それは人間を暴力から解放するとともに,自分たちが世界を支配するためでした。

そこでやはり現代まで続いていたアサシン教団が立ち上がり,奪い返します。その過程で,アニムスを開発していた女性の科学者は,アサシン教団に父を殺されたことから復習を誓います。

続編を作るのは間違いないですね。

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「アサシンクリード」 (2) 「エデンの果実」とテンプル騎士団

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この映画に出てくる「エデンの果実」は,旧約聖書の創世記に出てくる「善悪の知恵の実」のことです。

旧約聖書によれば,神によって創造されたアダムとイブはエデンの園で暮らしていました。神はこの知恵の実を食べることを二人に禁じていましたが,蛇に誘惑されてイブがその実を食べてしまい,アダムもイブの勧めで食べ,神の怒りで二人は楽園を追放されます。

これがキリスト教,とくにカトリック教会における人間の原罪です。

一般には,この果実はリンゴだとされていて,この映画でも”apple”になっていたと思います。

17世紀にイギリスのミルトンは,この物語をピューリタン文学の代表作である「失楽園」に書きました。

映画では,この「エデンの果実」は,人間を暴力から解放する力を持つものということになっています。それは自由意志を人間から奪うことであり,それによって人類を救済できるとしてテンプル宗教騎士団が手に入れようとし,アサシン教団との間で長い間奪い合いが続いているというのです。

宗教騎士団は,11世紀から12世紀にかけて十字軍の時期に聖地イェルサレムで結成された,修道士でありながら武器をとって戦う組織です。具体的には聖地巡礼の警護や病院経営などに携わりました。ヨハネ騎士団・テンプル騎士団・ドイツ騎士団があります。

今年の京大入試でドイツ騎士団の「結成当初の活動目的は何か」という問題が出ました。

ヨハネ騎士団は,十字軍の失敗後,拠点をキプロス島・ロードス島・マルタ島と移しました。現在も存続していてイタリアのローマに事務局を置いています。

ドイツ騎士団は帰国後,バルト海方面に東方植民を行い,それがプロイセンの起源となります。

テンプル宗教騎士団は銀行業などで大もうけをしたため,その財産を狙うフィリップ4世に弾圧されて,14世紀に潰滅しています。

フィリップ4世といえば,教皇ボニファティウス8世アナーニ事件で捕らえたフランス王ですね。この事件は1303年ですが,その前年,国内の支持を得るためフィリップ4世は初めて三部会を招集しました。

テンプル騎士団が弾圧された日が13日の金曜日だったため,不吉な日とされるようになったのです。

この映画の舞台は15世紀末ですから,ほとんど200年後の話です。でもテンプル騎士団は現代まで続いていることになっていて,「果実」を手に入れた彼らが総会を開いたのはイギリスのロンドンでしたから,18世紀末にイギリスで成立したとされているフリーメイソンと結びつけられているようです。テンプル騎士団にその起源を求める説があります。「ダ・ビンチ・コード」でも同じようにテンプル宗教騎士団が登場します。

今日は,キリスト教におけるアダムとイブ楽園追放ヨハネ騎士団テンプル騎士団・ドイツ騎士団,そしてフィリップ4世について押さえておいてください。

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「アサシンクリード」 (1) コロンブスと国土回復運動の完成

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さて,最初にとりあげるのは,2017年3月現在公開中の「アサシンクリード」です。
http://www.foxmovies-jp.com/assassinscreed/

死刑になった男が,目覚めると生きていて,ある財団の研究所に収容されています。かれはDNAの記憶をたどる巨大なクレーンのような機械に接続されて,過去の世界へ人間の自由意志を制御することができる「エデンの果実」を探しに行くことになります。

この映画は,元はゲームだそうですが,私は知りませんでした。

最初に私がこの映画を知ったのは,別の映画の前に流れる予告編でした。その予告編でまず気になったのは,「ルネサンス時代のスペイン」という言葉です。

ルネサンスと言えば,14世紀にイタリアで始まり,15世紀以降ヨーロッパ各地に広まった文化ですね。

スペインのルネサンスは,受験的にはセルバンテス「ドン=キホーテ」くらいしか出てきません。

いつの話なんだろと思っていました。映画を見ていると,1492年前後の話だということが分かります。15世紀の終わりだから,確かにルネサンスの時代ですが,映画にルネサンスはとくに出てきません。

むしろ,1492年と言えば,コロンブスのいわゆる「新大陸発見」の時代,つまり大航海時代ですね。

「新大陸発見」と書きましたが,今の世界史ではこうはいいません。「コロンブスのサンサルバドル到達」といいます。

コロンブスは死ぬまで,彼が到達した土地はインドだと思っていました。その誤解からアメリカ大陸の先住民は,「インディオ」とか「インディアン」すなわちインド人と呼ばれるようになったのです。それにインド人と呼ばれた人々が現に生活していたわけですから,ヨーロッパ人が知らない土地だったに過ぎません。

また,「アメリカ」の名前は,1500年頃にこの土地がインドではなくて「新大陸」だと報告したアメリゴ=ヴェスプッチにちなみます。

そして,この1492年は,スペインがイベリア半島最後のイスラーム王朝ナスル朝の都グラナダを占領して,国土回復運動すなわちレコンキスタを完成した年でもあります。

国土回復運動というのは,キリスト教徒がイスラーム教徒からイベリア半島を取り戻そうとする運動で8世紀から続いていました。スペインはカスティリャイサベルアラゴンフェルナンドが結婚して成立しました。

この映画でも,主人公たちが火あぶりにされそうになる宗教裁判に,イサベルとフェルディナント,2人の王が臨席しています。

それにグラナダ陥落の場面で,有名なアルハンブラ宮殿が出てきます。

今回は,この映画の時代だけで終わってしまいました。

まだまだ話は続きます。

まずは,コロンブスのサンサルバドル到達とスペインによるグラナダ占領すなわち国土回復運動の完成は,1492年というのを覚えておきましょう。

1492年を「石の国」とか「いよ国だ」とか,無理矢理ゴロ合わせで覚えなくても,もう覚えたのではありませんか。

年代は「覚える」のではなく,結果として「覚えてしまうもの」です。

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