「ザ・メッセージ」 (1) ムハンマド・イスラーム教

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ムハンマドが神のお告げ,すなわちメッセージを受けてイスラーム教を創始してから,メッカでの弾圧,メッカからメディナへのヒジュラ,そしてメッカ征服までを描く作品です。

おそらくムハンマドの生涯を描く映画は,今のところこれだけではないでしょうか。

第2代正統カリフのウマルの生涯を描くテレビドラマは,サウジアラビアで制作されています。ただ,最近イランでムハンマドの生涯を描く映画が制作されたという話は聞きました。

この映画「ザ・メッセージ」の字幕は,従来の日本での呼称であった「マホメット」になっています。

この映画が公開されたのは1977年で,私の手元にある1976年の世界史の教科書でも「マホメット」と書いてあります。

「マホメット」は英語あたりから来た発音で,もとのアラビア語に近い「ムハンマド」が,最近日本で使われるようになりました。現在は,世界史の教科書でも一般のメディアでも,ほぼ「ムハンマド」です。

でも,歴史上地域によって「メフメト」などのさまざまな言い方があるように,日本には英語経由で「マホメット」という呼称が伝わったということも,また「歴史」なのではないでしょうか。

しかし,考えてみれば現地音に近い「ムハンマド」に変えたということも,やっぱり「歴史」ですね。

「イスラム教」という呼称も事情は同じで,現在,世界史では「イスラーム教」と表記しますが,まだ一般化していないようです。

さらにイスラーム教は単なる宗教ではないとして,「教」はとって「イスラーム」とすべきだとする考えもあります。

「コーラン」も,最近はセンター試験などで「クルアーン」とも表記するようになっています。「メッカ」も「マッカ」と表記することもあります。

さて,この映画の制作はアメリカ・モロッコ・リビア・サウジアラビア・クウェートの合作で,ロケはモロッコとリビアで行われたようです。

黒人奴隷から解放されてイスラーム教徒となったビラールが行う,礼拝の開始を告げる呼びかけ,アザーンはアラビア語ですが,それ以外は全編英語で,イスラーム教の信仰告白「アッラーは偉大なり。ムハンマドは預言者なり」も英語です。

ただし,この映画にはアラビア語版が存在し,アンソニー・クィンなど西欧の俳優は登場しないそうです。アンソニー・クィン演ずるハムザは主役級の扱いでしたから,ストーリーも異なっているのでしょう。

ちなみに,アンソニー・クィンはメキシコ人で,その風貌から「アラビアのロレンス」や「砂漠のライオン」などでアラブ人の役を演じ,「マルコ・ポーロの冒険」ではモンゴル人フビライ・ハン役で出演しています。

映画の最初に字幕で,カイロアズハル大学がこの映画を史実と認めていること,さらにイスラーム教の教義を尊重してムハンマドの姿は画面には現れないことが表示されます。

イスラーム教は映画でも描かれるとおり,偶像崇拝を徹底的に嫌います。アッラーは絶対なので姿を描くことはできません。

またムハンマドは神の言葉を伝える預言者ですが,神ではなくあくまで人間です。

ムハンマドだけではなく,その15歳年長の妻で最初の信者となったハディージャや,従兄弟で第4代の正統カリフとなって暗殺されたアリーも,戦闘場面で名前は出てきますが姿は写りません。

ムハンマドに登場人物が話しかけるときは,カメラに向かって話しかけています。会話もムハンマドの声は聞こえません。主人公が一切登場しない伝記映画なのです。

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今月見た映画(2017年5月)

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○はブログで取り上げた作品。●は取り上げなかった作品です。

○「クロムウェル」 1970
DVDで見ました。
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/05/04/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/05/08/

○「ブラザーサン・シスタームーン」 1972
DVDでみました。
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/05/12/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/05/14/

○「ロミオとジュリエット」 1968
DVDでみました。
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/05/17/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/05/19/

○「黒騎士」 1952
DVDでみました。
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/05/21/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/05/24/

●「プロスペローの本」1991
Amazonビデオで見ました。
シェークスピアの戯曲「テンペスト」をもとにして,鬼才ピーター・グリーナウェイ監督が自由に脚色した作品です。グリーナウェイ監督の作品は,以前に「レンブラントの夜警」を,題名につられて見て,その奇妙さに驚いたことがあります。この「プロスペローの本」では,全裸の男女が何も隠すことなく大勢出てきます。一方で主人公プロスペローやナポリ王などの衣装はルネサンスやバロックの絵画で見たような華麗なもので,デザインはワダ・エミです。劇かオペラのようで,そのうち裸に慣れてしまいます。音楽は素晴らしいとは思いますが,私はピンクフロイドが担当してもよかったのではないかと思います。

○「アルゴ」2012
Amazonビデオで見ました。
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/05/28/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/06/08/

●「武則天」
U-NEXTで見ています。
則天武后の生涯を82話で描く中国のテレビドラマ。主演のファン・ビン・ビンです。ファン・ビン・ビンは映画「楊貴妃 Lady of the Dynasty」では楊貴妃を演じています。若い頃の熊谷真実に似ています。82話,いつ見終わることやら。

私の参考書です。CDの声は女性のナレーターです。

聴くだけ世界史(古代~近代へ)    聴くだけ世界史(近現代)

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「アルゴ」(2) イラン革命・イランアメリカ大使館人質事件までのイラン史

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今回は,ほぼ受験知識です。

642年にイスラーム勢力がササン朝ニハーヴァンドの戦いで破り,ササン朝は滅んで,イランはイスラーム教徒が支配する世界となりました。

その後,アッバース朝時代になると,イスラーム教徒の平等が進み,行政能力を身につけたイラン人が台頭しました。

10世紀にはシーア派ブワイフ朝が,11世紀にはブワイフ朝を滅ぼしてトルコ系セルジューク朝がアッバース朝を支配しましたが,やがて13世紀にはモンゴル人フラグがアッバース朝を滅ぼしました。

フラグはイル・ハン国を建て,この国もイスラーム教を受け入れました。

イル=ハン国が滅んだあと,16世紀にはイランに久しぶりのイラン人の王朝サファヴィー朝が成立しました。このサファヴィー朝の時代にシーア派がイランに定着します。

サファヴィー朝はアフガン人に滅ぼされ,18世紀終わりにトルコ系のカージャール朝が成立しました。19世紀を通じてカージャール朝は,ロシアとイギリスの侵略に苦しみます。

20世紀に入って,第一次世界大戦が起こるとカージャール朝は中立を宣言しましたが,ロシアとイギリスが侵攻しました。

大戦中にロシア革命が起こってロシア軍が撤退すると,イギリスが保護国化しようとしました。その時,軍人のレザー・ハーンがクーデタを起こし,カージャール朝を倒して皇帝に即位し,パフレヴィー朝を開きました。

しかし,レザー・ハーンは独裁化し,イスラーム教を軽視するようにもなり,民衆の反発を招きました。第二次世界大戦ではナチス・ドイツに接近したため,イギリスとソ連の侵攻を受け,レザー・ハーンは子のパフレヴィー2世に位を譲って亡命しました。

第二次世界大戦後,イランの石油はイギリスのアングロ・イラニアン石油会社が支配していました。

1951年に首相となった民族主義者のモサデグは石油国有化法を議会で可決して石油国有化を進め,イギリスとアメリカに対抗するため,ソ連に接近したのです。

しかし,国際石油資本によってイランの石油は国際市場から閉め出され,アメリカとイギリスはCIAを使って秘密工作を行い1953年に皇帝派のクーデタでモサデグは失脚しました。

権力を回復したパフレヴィー2世は,共産主義の「赤色革命」になぞられて「白色革命」という上からの近代化改革を進めました。

土地の改革や国営企業の民営化,教育の振興などを進めましたが,女性参政権や非イスラーム教徒への選挙権の拡大を行うと,ホメイニらイスラーム法学者が反発しました。

その後,ホメイニは国外追放となり,パリに亡命しました。

しかし,1970年代に第4次中東戦争の結果,石油危機が起こり,その後急速に原油価格が安定すると,イラン国民の経済格差は拡大し,政治に対する不満は高まり,デモやストライキが頻発するようになりました。

1979年1月にパフレヴィー2世は休暇と称して皇帝専用機ボーイング727を自ら操縦して,エジプトに飛び立つたのです。

ホメイニは2月に帰国し,革命評議会を組織し,イランはイスラーム主義を基礎とする共和政となりました。これがイラン革命です。

そして,元皇帝が癌の治療のためとしてアメリカに移ると,反発した学生たちがテヘランのアメリカ大使館を占拠したのです。

アメリカのカーター大統領は,人質救出作戦を試みたものの,ヘリコプターの故障や,輸送機とヘリコプターの衝突事故などが起こって失敗しました。

しかし,元皇帝が1980年にエジプトで死去するとアメリカ大使館占拠の意味がなくなり,カーターがレーガンに大統領選挙で敗れ,レーガン大統領が就任した1981年1月20日に,444日ぶりに人質は解放されたのです。

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「アルゴ」(1) イランアメリカ大使館人質事件

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2012年,スピルバーグの「リンカーン」を押さえてアカデミー作品賞を獲得した映画で,1979年のイラン革命のときに起きたイランアメリカ大使館人質事件で,逃げ出した大使館員6名を救い出すために行われた作戦を描いています。

映画の最初に,イラン石油国有化やイラン革命と人質事件までの簡単な歴史の解説がありますが,アメリカ寄りの説明ではなく,ニュートラルなものでした。

イラン革命が起こると,国王ハフレヴィー2世は国外に脱出し,各地を転々としたあと,アメリカに入国します。癌の治療が理由でした。

このニュースにイランの民衆が激高し,アメリカ大使館に「パフレヴィーを渡せ」と叫びながら押し寄せました。ついに民衆は大使館の敷地内に入り,大使館員やその家族,さらに海兵隊員など52人を捕らえました。

しかし,6名が脱出してカナダ大使の私邸に逃げ込みました。

この6人を助けるため,CIAの工作員メンデスが立てたのが,偽のSF映画の撮影のためのカナダ人映画関係者として6人を救出するという,まるで映画のような計画だったのです。でも,これは実話なのです。

そのSF映画のタイトルが「アルゴ」です。荒涼とした惑星のシーンをイランで撮るために,という理由ができるので,SF映画が選ばれたのです。

この事件の前に,ちょうどルーカスの「スター・ウォーズ」が世界的に大ヒットしていました。「アルゴ」のポスターやキャラクターが出てきますが,まったく「スター・ウォーズ」のパクリのようなものでした。

ハリウッドの映画関係者も協力し,オフィスを用意し,脚本や配役も決め,俳優たちは衣装をつけ,メークもして,脚本の読み合わせまでメディアに公開し,本物であるようにみせかけます。

イランに乗り込んだメンデスは,大使館員たちにはそれぞれ監督やカメラマンなどの役割を割り当てて,作品の内容からそれぞれの個人的な情報まで頭に入れさせます。

政府の許可を取って,バザールでロケハンを行うのですが,そこで政府関係者に写真を撮られていました。

脱出決行の前日になって,CIAから作戦の中止を言い渡されます。しかし,メンデスは実行を通告して一方的に連絡を絶ちました。

彼らがカナダ大使館を車で出ると,カナダ大使夫妻も大使館を急遽撤収します。

アメリカ大使館員の写真は占拠されたときにシュレッダーにかけて処分したのですが,イラン側は子供などを大勢動員してシュレッダーにかかった紙をつなぎ合わせていました。

3段階の空港のセキュリティを通過しようとしますが,飛行機に乗る最後の段階で止められます。映画のスタッフであることを脚本や絵コンテを出し,アメリカのオフィスにまで電話をさせて確認をとり,やっと搭乗が許されました。

しかし,バザールで撮られた写真とシュレッダーの紙をつなぎあわせて同一人物であることをイラン側が突き止め,離陸体制に入った飛行機をイランのパトカーや兵士を乗せたジープが追いかけます。

それを振り切り,ついに脱出に成功したのでした。

映画の最初に「真実の物語」と画面に出ますが,やはり,いろいろとドラマチックな演出がされていて,バザールへの危険なロケハンはやっていないし,中止命令が出たのにメンデスが独断で実行したというのもフィクションで,空港でパトカーやジープが追いかけてきた事実もないそうです。

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「黒騎士」(2) 第3回十字軍,ロビン・フッド

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この映画では,アイヴァンホーはほぼ名前として使われていますが,本来は王からもらった所領の地名で,原作ではウィルフレッドが名前です。

「黒騎士」というと,受験的には百年戦争初期に活躍したエドワード黒太子を思い浮かべるかもしれません。「黒太子」の名は身につけていた甲冑が黒色であったためのあだ名だとされています。

ただ,黒騎士は本来は主君を持たない騎士をいい,主君を持たないために盾に紋章をつけることができないことに由来します。

この物語では,主人公のアイヴァンホーが素性を隠すために黒ずくめの甲冑を身につけて馬上試合に参加します。しかし,原作では,黒騎士はアイヴァンホーではなく,アイヴァンホーに助太刀する謎の騎士で,実は王のリチャード1世なのです。映画では主人公を際立たせるために単純化されたのでしょう。

登場人物に関して,アイヴァンホーが捕らえられた城を攻撃するシャーウッドの森の義賊の首領は,小説ではロビン・フッドを想起させる人物が別名で登場します。この映画では目立った活躍をすることはありませんでした。

ロビン・フッドは伝説上の人物で,16世紀頃からこのリチャード1世が十字軍に参加している時に王の弟ジョンに抵抗した義賊の首領と考えられるようになりました。

何度も映画化されていて,ケビン・コスナーやラッセル・クロウがロビン・フッド役を演じています。007で有名なショーン・コネリーがロビン,その恋人役がオードリ・ヘップバーンの「ロビンとマリアン」という映画もあります。

リチャード1世が参加した第3回十字軍は,アイユーブ朝を建てたサラディンが聖地イェルサレムを占領したため,教皇グレゴリウス8世の呼びかけで行われることになりました。

神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世とフランス王フィリップ2世も参加したのですが,いち早く出発したフリードリヒ1世は途中のシリアの川で落馬して溺死してしまいました。

フィリップ2世は,リチャード1世とともにアッコンを占領することには成功しましたが,リチャード1世と反目して帰国しました。

そのため,リチャード1世が単独で戦うことになり,結局キリスト教徒のイェルサレム巡礼をイスラーム側が認める休戦協定を結んで帰国します。

当時の王たちはあだ名を持っており,リチャード1世はその勇猛さからライオンハーテッドすなわち獅子心王,フィリップ2世は偉大な王としてオーギュストすなわち尊厳王,さらにフリードリヒ1世はバルバロッサすなわち赤髭王と呼ばれました。

リチャード1世の弟ジョンは,のちにイギリス王に即位しましたが,そのあだ名はラックランド,欠地王といいます。これはプランタジネット朝を開いた父のヘンリ2世から領地を与えられなかったことに由来します。

「冬のライオン」という映画もあるのですが,この「ライオン」はリチャード1世とジョンの父ヘンリ2世のことです。

リチャード1世は,映画で描かれたように十字軍からの帰国途中にオーストリアで捕らえられ,莫大な身代金を支払って釈放されました。

帰国後はフランスでフィリップ2世と戦い,戦闘中の怪我がもとで亡くなりました。在位中にはわずか半年ほどしかイギリスにおらず,戦いに身を置いていました。

英語は話せなかったそうです。

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