「紀元前1万年」(1) 先史時代を扱った映画,人類と恐竜,恐竜の絶滅

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先史時代を扱った映画の1本です。

このほかには,恐竜と人間が戦う,1966年の「恐竜100万年」が有名でしょう。

100万年前には,人類は原人段階でしたが,もちろん恐竜はとっくの昔に絶滅していて地球上に存在しません。

恐竜は,約6500万年前に巨大隕石の衝突の影響で絶滅したというのが,ほぼ定説となっています。

ユカタン半島にある直径約160キロのチクシュルーブ・クレーターがその痕跡だとされ,衝突した小惑星は直径10~15キロ,衝突で起こった地震はマグニチュード11以上と想定されています。

この「恐竜100万年」のあとにも,いわゆる原始人と恐竜が出てくる映画が作られています。

1981年の,元ビートルズのリンゴ・スターが主演した「おかしなおかしな石器人」は,そのような映画をパロディにした作品です。

一方,同年のフランスのジャン・ジャック・アノー監督の「人類創世」は,しっかりとした時代考証で,もちろん恐竜などは登場せず,ネアンデルタール人クロマニョン人が登場します。

今回の「紀元前1万年」を含めて,原始人は映画では英語をしゃべることもあるのですが,「人類創世」ではそういうことはありません。

日本映画にも1997年の「北京原人 Who are you?」という映画がありました。

これは北京原人のDNAから現代に北京原人を復元するという話でしたから,先史時代を扱った映画ではありません。同時期に公開されたのが大ヒット作「タイタニック」であったこともあり,さんざんな興行成績だったようです。

さて,「紀元前1万年」の監督は「インデペンデンス・デイ」「デイ・アフター・トゥモロウ」「2012」のような,異星人や大災害が突然襲ってくる映画が得意なローランド・エメリッヒです。

また,まったく「ゴジラ」を理解していない1998年の「GODILA」や,「もう一人のシェークスピア」という歴史物も撮っています。

よく映画通を自称する人は,映画は監督で見ろ,といいますが,私の興味は別のところにあるので,監督が誰かはあまり興味はありません。

物語は,マンモスを狩る狩猟民族の若者が,馬を操る部族に恋人を奪われ,仲間とあとを追う旅に出ます。

途中で,若者は穴に落ちたサーベルタイガーを助けました。農耕民族と出会い,争いになりかけたところで,先のサーベルタイガーが現れ,若者をかばうようにして立ち去りました。

このことによって農耕民族の信頼も得た若者をリーダーとして,馬を操る民族と戦うためにさまざまな部族が集まってきます。彼らは,いずれも馬を操る部族に家族や仲間を殺されたり,連れ去られたりしていたのです。

馬を操る部族は,川を下るのに鳥のような大きな帆を張った船を使いました。

若者たちは,追いつこうとして星を頼りに砂漠をぬけて,ついに敵の本拠地にたどり着きました。

そこでは,各地から連れてこられたさまざまな部族の人々が奴隷として,マンモスをつかって巨石を積み上げ,ピラミッドを建設していました。

若者は神とされた支配者を槍で射貫いて殺し,奴隷を解放することに成功しましたが,争いのなかで彼の恋人は殺されてしまいました。

しかし,若者の部族の巫女によって彼女はよみがえったのです。

彼らは,農耕民族から穀物の種をもらい,故郷に戻って種を育て始めるのでした。

やっぱり,この映画も時代考証は適当ですね。

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今月見た映画(2017年6月)

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○はブログで取り上げた作品。●は取り上げなかった作品です。

○「ザ・メッセージ」 1976
DVDで見ました。
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/06/15/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/06/20/

●「アマルフィ 女神の報酬」 2009
DVD で見ました。出演している俳優陣にあまり興味がもてなかったため,今まで見逃してきました。最初,題名を聞いた時は期待しました。アマルフィはイタリアの町で,中世にはヴェネツィア・ジェノヴァ・ピサとならんで東方貿易で栄えました。現在でも,イタリアの海軍旗には,⒋つの紋章がついているのですが,それはこの4都市のものです。ストーリーは,母親とローマを旅していた女の子が誘拐され,母親は日本の外交官とその行方を探すことになり,やがて意外な真犯人とその目的が明らかになるというものです。ただ,アマルフィは途中で捜査を攪乱するために,犯人が誘い出す町として登場するだけです。「女神の報酬」というサブタイトルに至っては,意味不明です。脚本家のクレジットがないことが問題になったのですが,脚本に関わった1人は,この作品が自分の脚本だということを知られたくないと辞退したそうです。

○「7月4日に生まれて」 1989
DVDで見ました。
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/06/29/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/07/01/

●「ルーシー」 2014
Amazonビデオで見ました。
スカーレット・ヨハンソン演ずる普通の女の子ルーシーが,韓国マフィアに新型麻薬の運び屋として,体に麻薬を埋め込まれます。ところが殴られたことで,その袋が破れ,薬が体中にまわり,ルーシーの脳が活性化されていきます。普通の人間は10%くらいしか脳を使えないのに,ルーシーは,その割合が20%,30%とだんだん高まるにつれ,電子機器を自由に操るなどさまざまな能力を発揮するようになります。そして,韓国マフィアと戦いながら,脳科学の権威である研究者に会いに行くのです。ルーシーというのは,この映画でも,化石人類のシーンが挿入されますが,1974年にエチオピアで発見された,人類の祖先アウストラロピテクスの一種の化石人骨につけられた名前です。当時,調査隊のテープレコーダーからビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」が繰り返しかかっていたことから名付けられました。

私の参考書です。CDの声は女性のナレーターです。

聴くだけ世界史(古代~近代へ)    聴くだけ世界史(近現代)

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「7月4日に生まれて」(2) インドシナ戦争・ベトナム戦争・ニクソン

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ベトナムは,第二次世界大戦後,フランスとのインドシア戦争,アメリカとのベトナム戦争という2つの戦争を戦いました。

ベトナムには,第二次世界大戦後ホー・チ・ミンを大統領としてベトナム民主共和国が成立しましたが,フランスがベトナムの独立を認めず,インドシナ戦争が起こりました。

フランスは,この戦争中にベトナム南部にベトナム最後の王朝である阮朝の王であったバオダイを主席として,ベトナム国を建国します。

ベトナム民主共和国が北ベトナム,ベトナム国がフランスの傀儡政権の南ベトナムです。

しかし,アフリカのフランスの植民地であったアルジェリアで独立運動が高まり,フランスはベトナムでディエンビエンフーの戦いで敗北すると,ベトナムをあきらめ,1954年にジュネーヴ休戦協定を結んで手を引きました。

ジュネーヴ休戦協定は,北緯17度線を南北の境界線とし,2年後に統一選挙を行うというものでした。しかし,選挙を行えば,圧倒的人気をもつホー・チ・ミンが大統領になるのは明らかでした。

そこで,共産主義の拡大を恐れるアメリカが乗り出してきて,ベトナム国の主席バオダイを追い出して,ゴ・ディン・ジェムを大統領にベトナム共和国を建てました。

日本と同じように,南ベトナムを民主国家に育て上げ,共産主義に対する防波堤としようとしたのです。

しかし,ベトナム共和国の政府は腐敗し,南ベトナム解放民族戦線がつくられ,反政府のゲリラ活動を展開しました。

アメリカのケネディ大統領は軍事顧問として特殊部隊を送り込んで対応しました。

ケネディが暗殺された後,副大統領から大統領に昇格したジョンソン,トンキン湾事件という,アメリカの艦艇が北ベトナムの魚雷艇に攻撃されたという事件をでっち上げ,これを理由に南ベトナム解放民族戦線に援助を与えている北ベトナムへの爆撃,いわゆる北爆を開始したのです。その爆薬の量はすさまじいものでした。

しかし,映画に描かれているように,アメリカ国内で,なぜ遠いベトナムで戦わなければいけないのかという疑問の声が高まり,ベトナムでのアメリカ軍の蛮行が報道されると,アメリカ国内だけでなく国外でも反戦運動が高ました。

戦闘も長期化して莫大な戦費で財政難となったアメリカは,ニクソン大統領が戦後の国際経済の基礎となっていたドルと金の交換を停止しました。これはドル・ショックあるいはニクソン・ショックと呼ばれます。

さらに北ベトナムの背後にいる中国との関係を改善するため,電撃的にニクソンが北京を訪問して毛沢東と会談しました。

そして,1973年にベトナム和平協定を結び,アメリカはベトナムから手を引きます。

その翌年,ニクソン大統領はウォーターゲート事件で辞任しました。

ニクソン大統領といえばベトナム戦争と結びつけられ,この映画でも主人公は,ニクソンを大統領候補に選ぶ共和党大会に抗議に向かいます。

しかし,ニクソンは結果的に中国との関係を改善し,ベトナム戦争から手を引きました。

戦争を開始したのはケネディであり,ジョンソンです。 ニクソンは前任者たちの尻ぬぐいをしたのです。

以前も書きましたが,もしアメリカの政治を動かしているのが軍産複合体ならば,ベトナム戦争から手を引いたため,ニクソンはウォーターゲート事件を暴かれ,大統領の座から引きずり下ろされたと考えることもできるでしょう。

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「7月4日に生まれて」(1) 27クラブ,誕生日を基準に世界史を勉強する方法

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7月4日アメリカ独立宣言が発表された日です。

主演のトム・クルーズは,もちろんただの偶然ですが,前日の7月3日生まれです。

監督は自身ベトナム戦争に従軍したオリバー・ストーンで,1986年にベトナム戦争を描いた「プラトーン」を発表し,アカデミー賞作品賞を獲りました。この「7月4日に生まれて」でも,アカデミー賞監督賞を獲っています。

「プラトーン」とこの「7月4日に生まれて」,さらに1991年の「ドアーズ」が,1960年代のアメリカ社会を描いた三部作とされています。

念のために,プラトーンとはギリシアの哲学者プラトンとは関係なく,軍隊の編成上の小隊のことです。

また,「ドアーズ」は,1960年代後半から70年代初めに活動したロック・バンド,ドアーズのボーカリストだったジム・モリソンの生涯を描いた作品で,前2作のベトナム戦争とは違う切り口で,当時のアメリカの社会を描いています。

ドアーズは,私の好きなバンドの1つでした。コッポラ監督の「地獄の黙示録」の,ジャングルが炎に包まれる最後のシーンで流れるのが彼らの「ジ・エンド」。暗く重たく長い曲です。

ジム・モリソンは1971年,これも偶然ですが,やはり7月3日にパリで27歳の若さで急死しました。

27歳で亡くなったミュージシャンには,ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズ,ジャニス・ジョップリン,ジミ・ヘンドリックス,そしてニルヴァーナのカート・コバーンがいます。また,さかのぼれば,ブルースの神様ロバート・ジョンソンも27歳で亡くなっています。

これらの人々のことを27(トゥエンティセブン)クラブと言うこともあります。

ちなみに,ブライアン・ジョーンズが亡くなったのは,もちろん偶然ですが7月3日です。

さて,映画では,1940年代,まさに先ほど名を並べたようなミュージシャンと同じ世代の,アメリカの地方都市に生まれた少年が,海兵隊に入るのを夢見て,それを実現します。

そして,愛国心に燃えて,共産主義と戦うために,ベトナム戦争に従軍するのです。しかし,現実は想像とはまったく違った混沌とした世界で,無差別にベトナムの農民を殺害し,混乱の中で部下のアメリカ兵まで射殺してしまうのです。

そして自らも負傷して,下半身不随となって帰国します。帰国すると,アメリカでは反戦運動が高まっていました。

弟や過去の友人らがベトナム戦争を否定すると,最初は激しく反発していましたが,やがて男としての機能を失った自分に絶望し,すさんだ生活を送るようになっていきます。

ついに家族にも見放されてメキシコに旅立ちますが,ついに自分が誤って殺してしまった部下の家族のところに行き,真実を伝えます。

やがて反戦運動に身を投じ,1972年のニクソンを大統領候補に選んだ共和党大会に仲間とプラカードを掲げながら乗り込みます。1976年の民主党大会では,本を著して有名になった彼は,多くの人々の前に演説するため車いすを進めるのでした。

さて,7月4日はアメリカ独立宣言の日でした。この日が誕生日の人は,きっとアメリカ独立宣言やアメリカ独立戦争について記憶に残りやすいはずです。

私は8月26日生まれです。1789年の8月26日は,フランス革命人権宣言が採択された日です。

このように,自分の誕生日を基準に勉強してみてはどうでしょうか。自分と関係があるから忘れにくいはずです。

調べてみると,きっとあなたの誕生日にも,歴史的に重要な事件が起こっていますよ。

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「ザ・メッセージ」(2) イスラーム教成立以前,コプト教,偶像崇拝禁止

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映画の冒頭に,後半で出てくるメッカとの停戦の時期に,ビザンツ皇帝ササン朝アレクサンドリアの大司教にメディナから派遣されて使者が改宗を勧める場面が出てきます。

ビザンツ皇帝はギリシア正教で,ササン朝の王はゾロアスター教,もちろんアレクサンドリアの大司教はローマ=カトリックですね。

ビザンツ帝国とササン朝は,ムハンマド以前の6世紀に最盛期を迎えました。ビザンツ帝国はユスティニアヌス1世,ササン朝はホスロー1世のそれぞれ治世でした。

しかし,最盛期は没落の始まりです。両国は激しく戦ったため国力を使い果たして衰退しました。

両国の抗争で,東西の交通路も安全が確保できなくなり,アラビア半島南西部を通る新たな交通路が使われるようになりました。

すると,アラビア半島で遊牧生活を送っていたアラブ人のなかに隊商貿易に従事する人々が現れ,貧富の差拡大したのです。

従来の遊牧生活に基づいた社会規範は通用しなり,新たな社会規範が求められるようになりました。それに答えたのがイスラーム教だったのです。

したがってイスラーム教は単なる内面の信仰だけにとどまらず,豚肉食べるな,酒飲むな,妻は4人までというような生活の細部まで規定しているのです。

この映画には,受験世界史では扱わないエピソードも出てきます。

メッカで弾圧を避けたイスラーム教徒の一部がアビシニアに逃れます。アビシニアはエチオピアで,コプト教が信仰されています。コプト教はキリスト教単性論で,単性論は5世紀半ばにカルケドン宗教会議で異端とされました。

黒人の皇帝は,イスラーム教徒の話を聞き,自分たちの宗教とイスラーム教の共通点を認め,保護を約束するのです。

さらに,砂漠の泉を押さえたことで数の上で圧倒的に有利なメッカの軍を破ったバドルの戦いや,メディナ軍の兵士が持ち場を離れたたため,後方からメッカの騎兵に攻撃されてムハンマドが負傷したウフドの戦いなどが描かれます。

628年には,メッカとの間にフダイビーヤの和議が結ばれて停戦となりました。このとき,周辺の諸国に3人の使者が改宗を求めるために派遣され,それが冒頭の場面に出てきました。

しかし,停戦は破られ,ムハンマドの軍勢は1万を超えるまでになりました。結局メッカは戦わずして降伏したのです。

イスラーム教徒がメッカを占領する場面で,ムハンマドがラクダに乗ってきてカーバ神殿に入り,内部にあった偶像を杖で倒します。

この映画はムハンマドが一切画面に登場しないにもかかわらず,一部のイスラーム教の国では公開できなかったと読んだ記憶があります。このムハンマドの持った杖が映ったのがその原因かもしれません。

イスラーム教徒たちは,その他の偶像を投げ捨て,みんなで破壊します。イスラーム教徒たちは勝利の歓喜に包まれています。

しかし,この場面を見ると,アフガニスタンのターリバーン政権がバーミヤンの大仏を破壊した事件や,イスラーム国がシリアのパルミラなど多くの遺跡を破壊していることを思い出します。

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