「バーフバリ 伝説誕生」(3) インドの2大叙事詩,レオナルド・ダ・ヴィンチの戦車

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この映画では,主人公が滝の崖を登る時に蝶の化身のような女神が現れて導いたり,何人もの男をなぎ倒す女性の戦士も登場し,王国の実権を握るのが王の義理の姉であったりします。

それでも,やはり男性はマッチョで肉体的に大きく強く,女性のために命をかけて戦い,いくら強い女性でもそのような男性に惹かれるという世界観に貫かれています。主人公もそのライバルの王子も,筋肉隆々でプロレスラーのようです。

また,当然ですが,この映画はヒンドゥー教の世界観に満ちています。

ヒンドゥー教は古代のバラモン教に民間信仰などが融合して成立した宗教で,特定の開祖も経典もありません。そこで前回お話しした二大叙事詩が経典として扱われます。

多神教ですから,さまざまな神々がいるのですが,三大神とされるがシヴァヴィシュヌ,それにブラフマーです。シヴァとヴィシュヌはあとから加わった神で,バラモン教からの神はブラフマーです。

しかし,人気があるのはシヴァとヴィシュヌで,シヴァは創造と破壊の神でヴィシュヌは維持の神です。

ヴィシュヌはいろんな神に変身します。カンボジアアンコール朝の王で,有名なアンコール・ワットを建設したスールヤヴァルマン2世も自らをヴィシュヌの生まれ変わりであるとしましたし,ヒンドゥー教では仏教を開いた仏陀もヴィシュヌの変身だとされます。

インドでは,これらの神々を原色で描いたポスターを壁に貼るのですが,シヴァは一目で分かります。体が灰色で,だいたいあぐらをかいて座っており,眼が3つあり,頭からはガンジス川が流れ出しています。

この映画では,滝の下の村に住んでいた主人公が,彼が滝の上に行かないように母が神に祈るのに反発し,シヴァ神のエネルギーのシンボル,リンガと呼ばれる石を滝のところに移動させる場面が出てきます。

リンガは男性のペニスを象徴しています。このことは,ちゃんと一部の世界史の教科書にも書いてあるんですよ。

ところで,主人公のライバルの王子が,異民族との戦いで乗っていた馬車には,先頭に回転式の巨大な刃が装備されていて,敵の隊列に切り込んで,ばたばたと兵士を切り倒していきます。

これは,レオナルド・ダ・ヴィンチが遺したメモに書かれていたものを参考にしたのではないかと思います。

レオナルド・ダ・ヴィンチはイタリア・ルネサンスを代表する画家で,「最後の晩餐」「モナリザ」を描いた画家として有名ですが,画家だけではなくさまざまな知識と技術を身につけた,当時理想とされた万能人の典型でした。

しかし,彼の考案した武器は,ほとんど実用化されませんでした。当時の技術的限界で実用にはならなかったのです。この巨大な刃のついた馬車も,馬の力では力が不足して,人の体を傷つけるどころか草も刈れないそうです。

さて,続編ではどんな物語が展開し,どんな世界史ネタを提供してくれるのでしょうか。

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「バーフバリ 伝説誕生」(2) インドの2大叙事詩,カースト

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この映画の時代の設定はどうなっているのだろうと考えました。

監督はインドの2大叙事詩の一つ「マハーバーラタ」を参考にしたそうですが,登場人物などにあまり共通点はないようです。

ちなみに2大叙事詩「マハーバーラタ」と「ラーマーヤナ」ヒンドゥー教の聖典と記述されることがありますが,とくに「マハーバーラタ」の一部,「バガヴァッド・ギーター」が哲学的内容をもっていて聖典として扱われます。

「マハーバーラタ」はとてつもなく複雑なストーリーで,しかも登場人物の名前が覚えられません。

この映画も実は同じで,主人公の名はシブドゥ,本当は王族のマヘンドラ・バーフバリ,非業の死を遂げた父王はアマンドラ・バーフバリ,母の王妃はデーヴァセーナ,ライバルの王はバラーラデーヴァなのです。

「マハーバーラタ」には,このような名前がたくさん出てきて,訳がわからなくなります。

「マハーバーラタ」は,4世紀から6世紀のグプタ朝の時代に現在の形にまとまりました。しかし,その物語ははるか昔のことになっています。

たしかに映画に出てくる武器は槍・刀と弓矢,さらに投石機だけです。また,王国側の戦い方はギリシア・ローマの重装歩兵による密集戦法,ファランクスを思い出させます。

ところが,この映画の途中でイスラーム教徒のような商人と武器の取引をする場面が出てきます。古くからインドは西アジア方面と貿易をしていましたから,イスラーム教徒の商人とは限りません。

でも,もしイスラーム教徒の商人なら少なくとも7世紀以降ということになりますね。

奴隷身分の親衛隊長に「困ったらいつでも来い」みたいなことを言っていましたから,続編で登場するのかもしれません。そうするとその正体が明らかになるでしょう。

とにかく,この前編だけでは時代はわかりません。

ところで,インドの身分制度カースト制はよく知られていますね。

憲法では禁じているにもかかわらず,いまだにインドには根強く残っており,さまざまなトラブルのもとになっいています。

古くは,インドに侵入したアーリヤ人が,バラモンクシャトリヤヴァイシャシュードラの4つからなる身分制度のヴァルナ制を広め,それに生まれと職業が結びついたジャーティという身分が合体してカースト制が成立したと考えられています。

カーストという語も,インドに早く到達したポルトガル人のポルトガル語の「カスタ」が,その後イギリスがインドを植民地化したため,英語化したものです。

ヴァルナはもともと「色」の意味で,侵入したアーリヤ人は肌が白く,先住ののドラヴィダ人は色が黒かったことに由来するとされています。

この映画でも,主人公を含む王国の人々は色が白く,攻めてくる「野蛮な」民族は色が黒いのは,このことを背景としていると思われます。

さらに,攻めてくる民族は王国の人々とは異なる言葉を話し,通訳を介さなければ意思の疎通ができないことになっていました。

また,彼らは舌打ちするような独特の発音をします。興味深く見たのですが,今のところこれが何を意味するのか,私にはわかりません。

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「バーフバリ 伝説誕生」(1) インドの言語

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「バーフバリ 伝説誕生」はインド映画で,関西では封切り時の公開は1館のみです。

http://baahubali-movie.com/

インドが製作本数世界1の映画大国であることは,1995年の「ムトゥ 踊るマハラジャ」のヒットで有名になりました。

インドではさまざまな言葉が話されており,1950年のインド憲法では,ヒンディー語を公用語として,その他22の言語を認めています。

また,インド憲法は英語を15年以内に公用語から外すと規定していました。しかし,英語はイギリス支配下で普及していたので,公用語からの除外を無期限に延期しています。

それでも,英語離れは進み,植民地時代のイギリスの3拠点,ボンベイマドラスカルカッタがそれぞれムンバイチェンナイコルカタと,英語から現地語の表記に変わりました。ただし,入試では,まだ旧表記で出題されているようです。

インド映画はその地方の言語で作られ,他地域では吹き替えで公開されるようです。タミル語映画・ヒンディー語映画・テルグ語映画が製作数のトップ3で,この映画「バーフバリ 伝説誕生」は南インドのテルグ語映画です。

ただし,入試で出るのは,ヒンディー語と,パキスタンの公用語ウルドゥー語くらいでしょう。

ウルドゥー語はアラビア文字で書かれます。ヒンディー語は,マウルヤ朝アショーカ王時代のブラーフミー文字を祖先とする文字の一つ,デーヴァナーガリー文字で書かれます。タミル語・テルグ語は,やはりブラーフミー文字に起源をもつ,それぞれタミル文字・テルグ文字で書かれます。

物語は,巨大な滝の下にある村で育った青年が,女神の導きで断崖絶壁の滝を登ることに成功します。上の世界では,捕らえられている王妃を助け出そうとしている集団の戦士である娘と恋に落ち,青年も王妃の救出にむかいます。

このあたりまでは,インド映画らしく,女神の場面や娘との恋の場面ではミュージカルのように歌と踊りが出てきます。

やがて,青年が王妃の息子,すなわち王子であることが明らかになり,彼の父王の戦闘での活躍が語られます。

こうなると,突然,特撮を駆使した大スペクタクル映画となります。

無敵の父はライバルであった先王の王子を押さえて,王として即位したのですが,裏切りにあって亡くなります。

裏切ったのが,王妃に仕えていた奴隷身分の親衛隊長であることが分かったところで,続編に続くとなります。

インド映画は3時間くらいが普通なのですが,この映画は2015年製作で2時間ほどの前編でした。

後編は今年2017年公開だそうです。

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「ジャッキー ファーストレディ 最後の使命」(3) ソクラテス・プラトン・アリストテレス,三大悲劇詩人

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今回は,この映画では描かれなかった後日談です。

1968年にジョン・F・ケネディの弟ロバート・ケネディが大統領選挙中に暗殺されると,自らと子供たちの身の危険を感じたジャッキーは,周囲の反対を押し切ってギリシアの海運王オナシスと再婚しました。

ロバート・ケネディ暗殺も映画になっており,過去に私はブログに書きました。

http://blog.goo.ne.jp/romanee78/e/0a9814be005d37767ececf8132fb9dca

オナシスは,フルネームをアリストテレス・ソクラテス・オナシスといいます。古代ギリシアの三大哲学者ソクラテスプラトンアリストテレスのうち2人が名前に入っています。

まったくこの映画とは関係ないのですが,プラトンのイデア論について,私が簡単に説明した映像があるので,よければ見てください。世界史の入試でも慶応の商学部で,イデア論について簡単に説明させる問題が出ています

https://youtu.be/dIiP_PB8THw

オナシスと結婚したジャッキーですが,オナシスには愛人がいました。オペラ歌手として有名なマリア・カラスです。

彼女は美貌とその歌唱で世界的名声を得たのですが,難度の高い曲を歌い続け,10年ほどで声がダメになってしまいました。高い声が出なくなったのです。

声が出なくなったのと同じ頃オナシスと出会って愛人となり,オナシスがジャッキーと結婚したのちも関係は続いていたようです。

カラスは,1969年に主演したパゾリーニ監督の映画「王女メディア」では1曲も歌いませんでした。

「王女メディア」はギリシアの三大悲劇詩人エウリピデス「メディア」が原作です。

三大悲劇詩人は,先ほどのソクラテスと同じ頃,アテネで活躍したアイスキュロスソフォクレス・エウリピデスで,他の二人の代表作には,アイスキュロスは「アガメムノン」,ソフォクレスには「オイディプス」があります。

また,これに対して悲劇詩人にアリストファネスがいて,代表作には「女の平和」があり,「雲」という作品にはソクラテスが登場します。

「王女メディア」の監督のパゾリーニは,1975年「ソドムの市」という作品の撮影を終えた直後,殺されました。映画がネオファシストに対する風刺・批判であったためではないかとされています。

この映画「ジャッキー ファーストレディ 最後の使命」の中で,ジャッキーは寝る前にケネディとともにレコードをかけて聴いたと言っています。それはミュージカル「キャメロット」のレコードでした。

歌っているのは,多くの史劇に出演しているリチャード・バートンです。エリザベス・テーラーとの結婚・離婚をくり返したことでも知られています。

「キャメロット」は中世文学のアーサー王を題材にしたミュージカルで,キャメロットはアーサー王の王国の都で理想郷の名です。

ジャッキーにとって,ケネディと暮らしたホワイトハウスが理想郷だったのでしょう。

1975年,オナシスが亡くなるとジャッキーはニューヨークに戻り,編集者の仕事に就きました。そして1994年に病気で亡くなっています。

ケネディとジャッキーの次男ジョン・F・ケネディ・ジュニアは,ケネディの国葬の日が3歳の誕生日でした。幼い彼がケネディの柩に敬礼する姿が人々の涙を誘いました。

その後,地方検事をつとめたのち,雑誌の発行人となりました。ハンサムで大統領候補としても期待されたのですが,1999年に38歳で飛行機事故で亡くなりました。

姉のキャロライン・ケネディはオバマ政権下で日本大使となって来日したことで知られていますね。

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「ジャッキー ファーストレディ 最後の使命」(2) アイゼンハワー・ケネディ・ジョンソン・軍産複合体

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1953年,私が生まれて2週間ほどたった日に,ジャクリーン・ケネディは24歳で12歳年上の上院議員ジョン・F・ケネディと結婚しました。

結婚7年目の1960年,ケネディは大統領選挙で共和党のニクソンを僅差で破って当選し,翌年大統領に就任しました。ケネディは,アメリカ初のカトリック教徒の大統領として知られています。当然,ジャッキーもカトリック教徒の家庭で育ちました。

アメリカを中心とする資本主義諸国とソ連を中心とする共産主義諸国の冷戦は,1955年に前任大統領アイゼンハワージュネーヴ4巨頭会談に参加し,いったんは「雪どけ」を迎えていました。

しかし,1960年の大統領選挙運動中にモスクワでアメリカのU2型偵察機が撃墜されたことをきっかけに,アメリカとソ連は再び対立し,ケネディは就任後の1961年にはキューバへの侵攻計画ピッグス湾事件を起こして失敗します。

さらにこの年ベルリンの壁が建設され,翌年にはキューバ危機でソ連との対立が激化します。これは何とかソ連のフルシチョフの譲歩で,危機を脱し,1963年には両者の間にホットラインがひかれ,部分的核実験停止条約も成立させました。

一方で,ケネディはベトナムには特殊部隊を送り込んで介入を開始し,国内では黒人差別撤廃をめざす公民権運動が高まり,キング牧師の“I Have A Dream”の演説で有名なワシントン大行進が行われました。

こんな情勢の中で,ケネディは2期目の当選をめざして南部の支持を獲得するため,ジャッキーとともにテキサス州ダラスを訪れ,暗殺されるのです。

大統領としては2年10か月と2日の短い在任期間で,それがそのままジャッキーがファーストレディであった期間でした。

この映画はジャッキー中心の映画ですから,ケネディ大統領暗殺についての疑惑などにはほとんど触れません。

犯人として逮捕されたソ連への亡命歴のあるリー・ハーヴェイ・オズワルドは,2日後テレビの生中継中にジャック・ルピーに暗殺されました。

ジャック・ルピーの動機もはっきりしないもので,1964年に死刑判決を受け,獄中で1967年に死亡しました。

陰謀説の視点からケネディ暗殺事件を描いたのが,ドルトン・トランボの最後の脚本による1973年の「ダラスの熱い日」です。

また,オリバー・ストーンの「JFK」は,軍産複合体による陰謀説にたって真っ正面からこの問題を描いています。当時,この映画はアメリカで大きな問題となりました。

冒頭,ケネディとジャッキーを乗せた車が遊説に出かけるシーンのバックに流れる音声は前任のアイゼンハワー大統領の退任演説です。

軍産複合体,military-industrial complexとは軍需産業と軍部さらに政府機関が一体となったもので,アイゼンハワーがこの退任演説でアメリカを戦争に駆り立てるものとして警告したことで有名になりました。

軍需産業にとって,戦争またはその脅威がなければ商品の武器などが売れません。軍部はその存在理由が失われます。そこで,協力して戦争またはその脅威を作り出そうとする傾向をもつというわけです。

アメリカの政治を決定しているのが何かについては,いろんな説がありますが,大統領がその退任演説で指摘したことには説得力があります。

当時ケネディはベトナムから手を引こうとしていました。

そしてケネディの暗殺を目の前で目撃した後任のジョンソン大統領は,1965年に北ベトナムへの爆撃,すなわち北爆を開始してベトナム戦争を本格化させたのです。

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「ジャッキー ファーストレディ 最後の使命」(1) ケネディ暗殺 ザプルーダ・フィルム

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ジャッキーとは,1963年11月22日,テキサス州のダラスで暗殺されたケネディ大統領の妻ジャクリーン・ケネディの愛称で,当時彼女は,華やかな装いとイメージでファッションアイコンとして人気がありました。

夫の暗殺後,彼女が苦悩のなかで揺れ動く姿を描いたのが「ジャッキー ファーストレディ 最後の使命」です。

http://jackie-movie.jp/

彼女のファッションを楽しみに見た人は,ちょっとがっかりしたかもしれません。

ジャッキーが暗殺の日に身につけていたのは,ピンクのシャネルスーツですが,それはケネディの血で汚れてしまいました。

政治的空白を作らないために,暗殺後すぐに大統領専用機エアフォースワンで,副大統領であったジョンソンの大統領就任式が行われましたが,彼女はその血で汚れたスーツで出席しています。

暗殺以前にジャッキーがホワイトハウスを案内するテレビ番組では赤いスーツを着ていましたし,暗殺されたあと,悲しみの中でホワイトハウスで何枚も衣装を取り替える場面もあります。

しかし,あまり記憶にのこらないかもしれません。

なぜなら,この映画は,ほとんどジャッキーを演じたナタリー・ポートマンのアップなのです。彼女の表情,仕草を中心に映画は進みます。

ナタリー・ポートマンは,「レオン」のマチルダや「スター・ウォーズ」のアミダラ姫で有名ですね。「ブラックスワン」ではアカデミー賞主演女優賞に輝きました。

歴史的な映画では,「ブーリン家の姉妹」でイギリス王ヘンリ8世イギリス国教会を設立する原因となったアン・ブーリンを演じています。

この映画「ジャッキー ファーストレディ 最後の使命」は,ケネディの葬儀のあと,しばらくして行われたインタビューでの回想の形をとっています。

したがって時系列がややわかりにくいかもしれません。

ホワイトハウスの内装はそれまで大統領が替わるたびにリフォームされていましたが,ジャッキーはイギリスに渡っていたリンカン時代の家具などを買い戻し,ホワイトハウスを歴史的な内装にしたてあげました。

ただ,ケネディ大統領自身は,それを単なる浪費としか思っていませんでした。

そのホワイトハウスの内部を案内するテレビ番組が制作されました。

YouTubeでは,実際に放映された番組そのものを見ることができますし,今回の映画で再現されているものと,当時の本物の番組とを比較したものも見ることができます。

また,ジャッキーは,ケネディの葬儀を,暗殺された偉大な大統領リンカンの葬儀に関する資料を取り寄せて企画しました。

ところで,たまたまケネディのパレードを8ミリで撮影していて事件を撮影することになった,撮影者の名からザプルーダ・フィルムと呼ばれる映像は,見たことがある人が多いと思います。

私は,映像授業で使うため,制作のスタッフに使用許可の交渉をしてもらったことがあるのですが,あまりにも高額の使用料を要求されたため,あきらめたことがあります。

当時,ザプルーダ家と合衆国政府との間でフィルムの所有権や権利をめぐっていろいろあり,最終的には合衆国政府が買い取ったようです。

ケネディの暗殺を取り上げる映画やテレビ番組では必ずこのフィルムが流れます。

ところが,ジャッキー中心のこの映画には,まったく使われていません。

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今月見た映画(2017年3月)

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○はブログで取り上げた作品。●は取り上げなかった作品です。

今月は,歴史物ばかりになりました。いつもは他のジャンルも見ます。

○「アサシンクリード」2016

映画館で見ました。

http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/03/10/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/03/11/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/03/12/

○「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」2015

映画館で見ました。

http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/03/15/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/03/16/

●「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮」2015

映画館で見ました。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「ミラノの貴婦人の肖像」「モナリザ」「最後の晩餐」などを,再現ドラマを交えながら解説するドキュメンタリーです。

画像は4Kで撮ったとかできれいです。

○「エクソダス」2014

公開時に映画館で見て,今回ブログを書くためにAmazonビデオで見直しました。

http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/03/17/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/03/19/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/03/20/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/03/21/

●「十誡」1923

DVD で見ました。

サイレントです。

セシル・B・デミルが1923年に旧約聖書の出エジプト記を映画化した作品で,1956年の「十戎」はこのリメイクです。

ただし,モーセの出エジプトの物語は前半だけで,モーセがシナイ山から降りてヘブライ人の偶像崇拝に怒ると,突然現代の,といっても1923年当時ですが,信仰心の厚い母親とその2人の息子の教訓めいた物語となります。

最後は,イエスの奇跡になぞらえて皮膚病が治るエピソードで終わります。

○「東京上空三十秒」1944

Amazonビデオで見ました。

http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/03/27/

●「コンスタンチン大帝」1961

DVDで見ました。

キリスト教公認で有名なローマ皇帝コンスタンティヌスが,政敵との権力闘争の結果,312年のミルウィウス橋の戦いで空に十字を見て勝利したエピソードを描いています。

ミラノ勅令やニケーア公会議は出てきません。

原題は“Constantine And The Cross”です。

画像の痛みが結構あります。

「十誡」と「コンスタンチン大帝」はこの10枚組のDVDを購入してみました。「十誡」は単品でも買えますが,こちら方がコストパフォーマンスに優れます。他にもいろんなセットがあるようです。

私の参考書です。CDの声は女性のナレーターです。

聴くだけ世界史(古代~近代へ)    聴くだけ世界史(近現代)

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「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」(3) アメリカ共産党・マッカーシズム・ローゼンバーグ事件

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ところで,教科書にはまったく出てこないので,アメリカには共産党が存在しなかったかのようですが,アメリカにも共産党は存在し,現在も活動しています。1919年に結成され,一時は党員が10万人いたと言われます。

第二次世界大戦中は,党が穏健路線をとっていたことやソ連がアメリカと同じ連合国として戦っていたことから,政府は監視を続けていたものの弾圧などは行われませんでした。

しかし戦後,1947年に冷戦が開始されると取り締まりが始まったのです。

下院非米活動委員会は,目立った存在であったハリウッドの映画関係者を見せしめに公聴会に呼び出して共産党との関係を問いただし,証言を拒否したトランボらは議会侮辱罪で投獄されました。そして,政府の転覆を計画したという理由で共産党幹部が逮捕されました。当時,共産党は非合法ではありませんでした。

1950年にはウィスコンシン州選出の共和党上院議員のジョセフ・マッカーシーが,ある共和党女性クラブで国務省に205人の共産主義者が紛れ込んでいると演説しました。それは人気取り,あるいは注目を浴びたいためのものだったようです。

しかし,当時の社会情勢を背景として,メディアが彼を一挙に有名人にしました。彼も引っ込みがつかなくなったのか調子に乗ってどんどん告発を続けます。それは共和党議員や陸軍の幹部にまで及びました。

すると,ジャーナリストのエドワード・R・マーローが,彼のテレビ番組でマッカーシーについての特集を放送し,その矛盾を批判しました。

映画「グッドナイト&グッドラック」は,これを描いています。「21世紀のデカメロン」に書いています。

http://blog.goo.ne.jp/romanee78/e/ddd3d26912d03d42d37b014cacc9062f

 

以後マッカーシーの人気は失われていきます。そして陸軍と対立し,上院で「品位を汚した」と譴責決議を受けて失脚しました。その後,健康を害して1957年に死去しています。

マッカーシーが反共キャンペーンを開始した1950年には,ローゼンバーク事件が起こりました。科学者のジュリアス・ローゼンバーグとエセル・グリーングラス・ローゼンバーグ夫妻が,ソ連に原爆製造に関する情報を流したスパイ容疑でFBIに逮捕されたのです。

確かにソ連は1949年に原爆開発に成功しています。しかし,夫妻がスパイ活動を行ったという物的証拠は存在せず,彼らは無罪を主張しましたが,1951年死刑判決を受けました。

世界各国で助命運動が高まり,サルトルアインシュタインピカソなど多くの文化人がえん罪を訴えました。それでも,夫妻は司法取引にも応ぜず,1953年に死刑が執行されたのです。

その後,この事件はえん罪と言うのが定説になっていました。

ところが,1995年にアメリカ政府が公開したソ連の「ベノナ計画」に関する文書で,ローゼンバーグ夫妻はやはりソ連のスパイで,当時のアメリカ政府内部にはマッカーシーの告発した以上の共産主義者すなわちソ連のスパイが潜入していたことが明らかになったという話もあります。その信憑性はどうなのでしょうか。

最後に,「ハリウッドに最も嫌われた男」というのは的外れなサブタイトルだと思います。「ハリウッド」がトランボを嫌ったのではありません。

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「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」(2) 冷戦

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トランボの「東京上空三十秒」は,派手な戦闘シーンはほとんどなく,航空母艦から発進するための訓練や中国に不時着してからの中国人との交流,片足を失ったパイロットと妻の再会など,戦意高揚のための映画とは思えません。「パールハーバー」と変わらないほどです。

しかし,この「東京上空三十秒」は第二次世界大戦末期の1944年,「パールハーバー」は2001年の映画です。

「東京上空三十秒」に登場するB-25爆撃機は,そうすると本物ということになりますね。

さて,トランボは冷戦開始の年,1947年に赤狩りで非米活動委員会に呼び出されました。

冷戦とは,第二次世界大戦後,アメリカ合衆国を中心とする資本主義諸国と,ソ連を中心とする共産主義諸国が,武力を使わないで対立していた状態をさします。

1946年,イギリスの前首相チャーチルがアメリカのミズーリ州フルトンで「鉄のカーテン」演説を行いました。当時東ヨーロッパには多く共産主義国が成立していました。これをチャーチルはソ連が世界の共産化をねらっているとしたのです。すぐそばで演説を聴いていた,フランクリン・ローズヴェルトの急死で副大統領から昇格したばかりのトルーマン大統領はこれに説得されたのです。

翌年,トルーマンは,トルーマン・ドクトリンを発表し,ソ連の脅威を受けていたギリシア・トルコに支援を表明しました。これが冷戦の開始とされています。そして,国務長官のジョージ・マーシャルが,ヨーロッパ復興援助計画のマーシャル・プランを発表しました。

ソ連は東ヨーロッパ諸国やフランス・イタリアの共産党を集めて共産党情報局コミンフォルムを結成して対抗します。俺たちは共産主義なんだから,アメリカの援助なんか受けちゃだめだよ,というわけです。

トランボが下院非米活動委員会から公聴会に呼び出されたのはこの時期です。

1949年,ドイツでのベルリン封鎖で対立が深まる中,アメリカなどが加わって軍事同盟の北大西洋条約機構NATOが成立しました。

6年後の1955年にはソ連も軍事同盟のワルシャワ条約機構を成立させます。

よく誤解するのは,この2つの順序です。北大西洋条約機構の方がワルシャワ条約機構より6年早く成立していることは,しっかり押さえておいてください。

1949年にドイツは,資本主義のドイツ連邦共和国(西ドイツ)と共産主義のドイツ民主共和国(東ドイツ)に分断されました。

そして東ドイツが成立する少し前には,中国国民党との内戦に勝利した中国共産党中華人民共和国を成立させました。

これはアメリカにとってショックでした。19世紀末にアメリカは門戸開放宣言を出して以来,中国を市場として確保したいと思っていました。それが共産主義の国となって失われたのです。

このような状況を背景として,1950年2月ジョセフ・マッカーシーが登場し,アメリカで反共キャンペーンのマッカーシズムが吹き荒れるのです。

1955年にジュネーヴ4巨頭会談が開かれ,アメリカのアイゼンハウアー大統領,イギリスのイーデン首相,フランスのフォール首相,そしてソ連のブルガーニン首相が会談し,狭い意味の冷戦は終わりました。

もちろんその後もベルリンの壁建設やキューバ危機など対立は続き,キューバ危機では核戦争勃発直前まで危機は高まりました。しかし,それでも対話の機会はもたれたのです。

冷戦は,広い意味では1989年にマルタ会談でアメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が冷戦の終結を宣言するまで続いたとされます。

ちなみに,1948年から49年のベルリン封鎖と1961年から89年のベルリンの壁は,まったく違う事件であることも確認しておきます。

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「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」(1) 赤狩り,真珠湾攻撃

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「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」は2016年に公開された映画で,赤狩りにあって変名で作品を発表せざるを得なかった,アメリカの脚本家ドルトン・トランボの物語です。

第二次世界大戦後の1947年,冷戦が始まった年に,赤狩りすなわち共産主義者にたいする弾圧が開始され,ハリウッド・テンと呼ばれた10人の映画関係者が下院非米活動委員会に呼び出されました。

一種の見せしめとして,目立つ存在だったハリウッドの映画に関わる人々が選ばれたのです。

公聴会で「共産主義者か,あるいはかつてそうだったことがあるか」と問われ,若い頃共産党員だったトランボは憲法に保障されている権利を理由に証言を拒否し,1950年に議会侮辱罪で有罪となって投獄されました。

この年には,上院議員ジョセフ・マッカーシーが国務省に205人の共産主義者がいると発表したことから,いわゆるマッカーシズムと呼ばれる反共の運動がさらに高まります。

翌年,刑期を終えたトランボは本名では仕事ができず,生活のためにいくつもの変名を使って,映画の脚本を書き続けます。

1953年のアカデミー原案賞受賞作「ローマの休日」は,イアン・マクレラン・ハンターの名を借りて,トランボが書いたものでした。

1956年にはロバート・リッチの変名で「黒い牡牛」でアカデミー原案賞を受賞しましたが,授賞式には当然出席できませんでした。

その後,社会情勢の変化や彼の才能を評価する人々の努力もあり,1960年にポール・ニューマン主演の「栄光への脱出」やカーク・ダグラス主演の「スパルタクス」は,本名で発表しました。

1971年,第二次世界大戦中に発表した小説を映画化した「ジョニーは戦場に行った」で初監督をつとめました。

当時アメリカはベトナム戦争で国内外の批判を受けており,この作品は各地で多くの映画賞を受賞しています。

ケネディ大統領の暗殺を描いた1973年の「ダラスの熱い日」が,トランボの最後の作品となりました。

1975年には,改めて「黒い牡牛」のアカデミー賞トロフィーのオスカーを授与され,その翌年トランボは亡くなりました。

映画は,家族の支えで不遇の時代を生き抜いたトランボの姿を描き,最後は家族に対して感謝のスピーチをするという,いかにもアメリカ人の好みそうな一種のホームドラマとなっています。

「ローマの休日」がトランボの作品であることが明らかにされたのは彼の死後で,1993年に妻にオスカーが渡されました。

また,第二次世界大戦中の1944年に,トランボは「東京上空三十秒」という映画の脚本を書いています。

この映画はドーリットル空襲を描いたものです。1941年12月の真珠湾攻撃のあと,日本に対する反撃を計画したアメリカは,1942年4月,航空母艦2隻に航続距離の長い陸軍のB-25爆撃機を積んで日本の近海に運び,日本の各地を爆撃して中国に着陸するという作戦を実行しました。

この作戦が司令官の名前からドーリットル空襲と呼ばれます。ただし入試には出てきません。

恋愛映画の背景として真珠湾攻撃を描いた映画「パールハーバー」にも,この作戦が登場します。

「パール・ハーバー」については,過去にブログ「21世紀のデカメロン」に書いています。よかったら読んでください。
http://blog.goo.ne.jp/romanee78/e/734141da54e72ac377cda499f0a35e4d

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