「黒騎士」(1) 「アイヴァンホー」・リチャード1世・ジョン

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この映画は,19世紀イギリスのロマン主義作家スコット「アイヴァンホー」の映画化で,1952年の作品です。

舞台は12世紀のイギリスで,プランタジネット朝リチャード1世の時代です。

主役のアイヴァンホーをロバート・テイラーが,ユダヤ人の娘レベッカは当時20歳のエリザベス・テイラーが演じています。

ロバート・テイラーは,大女優たちが共演をこぞって望んだという伝説的な二枚目俳優です。なお,この映画の少し前,彼もやはり赤狩り下院非米活動委員会に呼び出され,反共側に立っています。

エリザベス・テイラーは,のちにハリウッドを代表する大女優となり,8度の結婚など知られています。また,この映画ではユダヤ教徒の娘を演じていますが,実際にこの数年後にユダヤ教に改宗しています。

第3回十字軍で行方不明となったリチャード1世を探すアイヴァンホーは,オーストリアで王が捕虜になっていることを知り,解放に必要な身代金を集めるため,イギリスに帰国します。

故郷に戻ると,アイヴァンホーの愛する高貴なサクソンの女性ロウィーナの後見人となっている父は,サクソン人なのにノルマンの王に仕えているアイヴァンホーを息子と認めません。

王の弟ジョン臨席のもとに開かれる馬上試合に,アイヴァンホーも参加しようとしますが馬も武具もありません。

たまたま,助けることになったユダヤ人商人に,アイヴァンホーは王の身代金を集めることを頼みます。ユダヤ商人の娘レベッカはアイヴァンホーに惹かれ,母親の形見の宝石を馬と武具のためにと差し出しました。

馬上試合に,アイヴァンホーは素性を隠して黒ずくめの姿で参加し,次々と相手を倒しましたが,最後の試合で騎士ギルベールに敗れ,傷ついて倒れます。

レベッカは,魔女に習ったという医術でアイヴァンホーを治療するために家に連れ帰ります。

しかし,王位を狙うジョンはアイヴァンホー一味の逮捕を命じました。ユダヤ商人とレベッカ,父とロウィーナは捕らえられました。

アイヴァンホーは,自らと引き替えに彼らの釈放を要求しますが,だまされて捕らえられてしまいます。そこに森の義賊が助けに来て,城に総攻撃をかけます。

しかし,レベッカだけがギルベールに連れ去られました。ジョンの出席する裁判で,レベッカは魔女として処刑されようとしたとき,アイヴァンホーが現れて決闘裁判を要求します。

ギルベールとの一対一の対決で,アイヴァンホーは辛くも倒し,そこへ解放された王リチャード1世が軍勢を率いて現れます。

倒されたギルベールはレベッカへの真の愛を告白して息絶え,レベッカはアイヴァンホーへの愛を胸に秘め,父と立ち去るのでした。

リチャード1世が第3回十字軍に参加し,帰国途中で捕虜となって身代金を支払って解放されたことや,それを利用して王の弟ジョンが王位を狙っていたことなどは,基本的に事実です。

また,リチャード1世が吟遊詩人の歌に合わせて歌い,自分の無事を知らせたという伝説があり,この映画でも最初の方にアイヴァンホーがリュートを弾きながら歌い,それに王が合わせて歌う場面に出てきます。

歴史的事実や伝説に,架空のオリジナルの物語を絡ませるようなやり方は,NHKの大河ドラマでも同じですね。

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「ロミオとジュリエット」(2) ゲルフとギベリン,領主裁判権,グループサウンズ

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中世のイタリアの都市では,教皇党ゲルフ皇帝党ギベリンが争っていました。

ゲルフは反シュタウフェン家の大貴族ウェルフェン家,ギベリンはシュタウフェン朝の城ウィーベリングに由来する言葉だとされています。

ジュリエットのキャピュレット家はゲルフで,ロミオのモンタギュー家はギベリンだったのです。

両家が争う場面やロミオが殺人を犯すと,領主があらわれて裁判をします。

中世の農民は領主に貢納賦役の義務を負うだけでなく結婚税死亡税をとられ,教会には十分の一税を負担し,さらに領主裁判権に服しました。

この映画の舞台は都市ですが,まさにこれが領主裁判権です。

この映画の衣装は印象深いもので,おそらく時代考証した上でオリジナルのデザインを加えたものだと思います。この映画は,アカデミー賞の撮影賞とともに衣装デザイン賞を受賞しています。

フィギュアスケートで「ロミオとジュリエット」をテーマ曲として使う場合,とくに男性はこの映画のロミオのような衣装を身につけていますね。

古くは,ちょうどこの映画が公開された前後に,日本ではグループサウンズというバンドブームが起こり,タイガーズ(野球チームではありません)やテンプターズ,スパイダースなど,多くのバンドがデビューしました。

そのうちのオックスというバンドは,明らかにこの映画のロミオをもとにしたと思われる衣装で歌っていました。これを読んでいるみなさんには,何のことか分からないかもしれません。

また,この映画はシェークスピアの戯曲が原作であるため,セリフは不自然に感じると思います。

2人の出会いの舞踏会のシーンでも,有名なバルコニーの場面でも,ロミオは自分の思いを口に出して,長々と独り言を続けます。それはまるで詩を読んでいるようです。

シェークスピアの戯曲は,ほとんどが元ネタがあります。この物語も直接シェークスピアが参考にしたとされる作品があるのですが,さらにその作品ももとはギリシア・ローマ時代にさかのぼることができるようです。

恋は反対されると燃え上がる,これは古今東西変わらないようです。

1961年に映画化された「ウエスト・サイド物語」も,舞台をニューヨークの裏町に置き換えたものでした。不良たちがなんであんなにダンスがうまいんだと思いながらも,この映画も何回も見ました。

1996年には,舞台を現代ブラジルのマフィアに置き換え,ロミオをレオナルド・デカプリオが演じた「ロミオ+ジュリエット」が制作されました。今「ロミオとジュリエット」というと,こちらの映画の方を思い浮かべる人が多いかもしれませんね。それでも,もう20年以上前になります。

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「ロミオとジュリエット」(1) ヴェローナ・シェークスピア・「ハムレット」

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1968年にフランコ・ゼフィレッリ監督のこの作品「ロミオとジュリエット」を映画館で見たとき,ジュリエット役のオリビア・ハッセーの美しさに,中学生だった私は本当に驚きました。それは身近にいるようで,絶対にいない美しさでした。

上映される映画館を追いかけるようにして,たぶん10回以上見たと思います。

オリビアは私と同い年だと思っていましたが,撮影時と公開時で時間差があり,少し彼女の方が年上でした。

20年近く前,当時担当していた映像授業で,シェークスピアに関連して彼女の話をしようと前の夜に準備していたら,テレビで偶然この映画をやっていたことがありました。

さらに最近,町を歩いていたら,テレビの街頭インタビューで映画と音楽について聞かれて,この「ロミオとジュリエット」の話をしました。どうせ使われないだろうと思っていましたが,番組で使われていました。

ニーノ・ロータのテーマ曲は,フィギュアスケートでよく使われますね。

高校生のとき,深夜のラジオ番組に,このテーマ曲をあこがれていた上級生の女生徒にプレゼントするメッセージを書いたハガキを送ったら,読まれた経験があります。彼女はその番組を聞いていなかったので,何も起こりませんでした。

この物語は架空のものですが,舞台となったヴェローナにはジュリエットの家といわれるものがあり,観光名所になっていて,私も何度か訪れました。

庭にはジュリエットの銅像があり,胸のところがピカピカに光っています。この銅像の右胸に触れると幸せになれると言われているため,みんなが触るためです。

また,2人が夜,愛を語ったバルコニーは映画とは違って小さなものです。

映画のバルコニーのシーンは,ヴェローナではなくピエンツァのピッコロミニ宮で撮られました。

あらすじは,有名なので多くの人がご存じでしょう。

ヴェローナのモンタギュー家のロミオとキャピュレット家のジュリエットが,恋に落ちます。

しかし,両家は犬猿の仲,2人は両家の和解を期待するロレンス神父のもとで密かに結婚の誓いを立てます。

しかし,その直後,町で両家の争いに巻きこまれたロミオは,友人のマキューシオを殺されて逆上し,ジュリエットのいとこに当たるティボルトを殺してしまいました。

ヴェローナ大公の裁判によってロミオは追放となり,ジュリエットは貴族のパリスとの結婚を親に命じられます。

彼女は再びロレンスに相談し,仮死の毒を飲んで,葬られたあとにロミオとともに逃げる計画を立てたのです。

彼女は毒を飲んで計画通り葬られるのですが,ロミオにはこの話が伝わらず,ジュリエットが死んだと思ったロミオは毒を飲んで死んでしまいます。

目覚めたジュリエットもロミオの短剣をとって自殺してしまいました。この若い2人の恋の悲しい結末に両家の人々も和解することしたのでした。

ちょっと古いですが,1992年の慶応大商学部「シェークスピアの作品のうち『生きるべきか死ぬべきか,それが問題だ(To be or not to be : that is the qestion)』という名せりふが記されている作品のあらすじを,60字以内で述べなさい」と言う問題がを出ました。

「父を殺され,王位と母を奪われたデンマークの王子ハムレットが,復讐を試みるが,周りを不幸に巻きこみ,自らも命を落とす悲劇。」

これに準じるならば「イタリアのヴェローナで対立する2つの家のロミオとジュリエットが,駆け落ちしようとして失敗し,2人とも命を落す悲恋物語。」でしょうか。

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「ブラザーサン・シスタームーン」(2) フランチェスコ・インノケンティウス3世・ジョット・ドノヴァン

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映画は,アッシジの裕福な毛織物商の息子フランチェスコが,ペルージャとの戦闘に向かうところから始まります。

しかし,彼は病にかかって帰ってきて何日も寝込みます。小鳥のさえずりに目を覚ましたフランチェスコには,すべてがこれまでとは違って見えたのでした。

そんなある日,父親の毛織物作業場で過酷な労働に従事させられている人々の姿を見て,衝撃を受けます。

彼が窓から高価な毛織物を投げ出して貧しい人々に与えると,父親は激怒して,彼をアッシジの司教の前に連れて行き,実の息子から受けた損害を訴えました。

フランチェスコは,父親にすべてを返すと言って服を脱ぎ捨てて渡し,親子の縁を切り,全裸のまま町の門から出て行きます。

彼はぼろの僧服を着て,廃墟となっていたサン・ダミアノ教会を再建することにしました。

すると,最初は彼を連れ戻そうとした友人たちも,どんどん仲間に加わり,さらにキアラという娘も参加します。

しかし,司教の指示で彼らが再建した教会は焼かれ,仲間の1人が殺されました。フランチェスコは,仲間とともにローマの教皇に会いに行くことにしました。

教皇インノケンティウス3世に面会を許されたフランチェスコは,清貧の思想を訴えます。教皇はその言葉に打たれ,フランチェスコの汚れた足に接吻したのです。

そして,彼らはふるさとに帰っていくのでした。映画はここで終わりますが,実際のフランチェスコの苦悩は続きます。

彼らは各地に布教を行いました。やがてフランチェスコは人々の尊敬をうけるようになり,さまざまなエピソードも生まれました。

有名なのは彼が小鳥にも説教を行ったと言うものです。アッシジのサン・フランチェスコ大聖堂の壁にジョットがフランチェスコの生涯を描いた28枚の連作がありますが,そのうちの最も有名な作品が「小鳥に説教する聖フランチェスコ」です。

彼らの集団には入会希望者が増えていきました。アッシジの貴族の娘であったキアラが入会して女子修道会が生まれたのは,実際には教皇に面会したのちのこの頃です。

さらにフランチェスコはエジプトにわたり,アイユーブ朝スルタンに面会して改宗を勧めたそうです。

しかし,帰国したフランチェスコは彼の集団が大きく変わっていたのを目にします。寄進を受けた建物のなかで学問の研究をしていたのです。

彼は清貧については徹底した考えをもっており,物質的な貧しさだけでなく精神的な貧しさも必要だと考え,学問研究など信仰生活には無縁のものと考えていました。

しかし,彼の仲間はすでに大きな集団となり,さまざまな人々が集まってきました。結局彼は総長の職を譲り,隠棲します。

そして,彼にはイエス十字架に架けられた時についた傷,すなわち聖痕が現れたとされるようになります。彼は40歳過ぎに故郷で亡くなりました。

映画が公開された1970年代当時はちょうどカウンターカルチャーの時代で,フランチェスコの清貧の生き方は時代の風潮に通ずるものがありました。

音楽は「サンシャイン・スーパーマン」や「メロー・イエロー」などのヒットを出したドノヴァンが担当しています。彼はさまざまなジャンルの音楽をとり入れて曲を作っていますが,この映画のなかで歌われるのは,とても繊細でシンプルな曲ばかりです。

でも今聞くとやはり時代を感じます。

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「ブラザーサン・シスタームーン」(1) 修道院・教会建築様式

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「ブラザーサン・シスタームーン」は,イタリアのフランコ・ゼフィレッリ監督が,撮影時に15歳のオリビア・ハッセーと17歳のレオナード・ホワイティングで撮った「ロミオとジュリエット」の次に監督した1972年の映画で,托鉢修道会フランチェスコ会の創設者フランチェスコの若き日を描いています。

修道院というのは,世俗を離れてひたすらキリスト教の信仰の生活を送る修道士が共同生活する場で,西ヨーロッパ最初の修道院は,6世紀にベネディクトスが中部イタリアのモンテ=カシノに建てたのが最初です。

その後10世紀にはフランスにクリュニー修道院が,11世紀にはシトー修道院が建てられました。

クリュニー修道院は教会改革運動を進め,教皇グレゴリス7世に影響を与えました。教皇グレゴリウス7世は,神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世聖職叙任権をめぐって争い,その結果,皇帝が教皇に謝罪するという「カノッサの屈辱」事件が起こりました。

シトー修道院は,12世紀以降中世ヨーロッパの大開墾運動の中心として活動しています。

しかし,「清貧・純潔・服従」を掲げた修道院も,諸侯などから土地の寄進を受けて富裕化し,堕落していきます。

そこで,一切の財産を否定し,人々の施しによって生活し,清貧を守ろうとしたのが托鉢修道会で,このフランチェスコがイタリアのアッシジで設立したフランチェスコ修道会と,スペインのドミニコがフランスのトゥールーズで設立したドミニコ会があります。

この映画のロケはアッシジだけでなく,塔の町として知られ,世界遺産にも登録されているサン・ジミニャーノでも行われました。

中世イタリアの都市では,防衛や監視のために塔が建てられました。やがてそれが権勢の象徴となり,都市貴族たちは競って建設しました。

サン・ジミニャーノでは多い時には塔が70本以上あったそうです。その後,多くの都市では,塔が不要になり,壊されて再開発されたのですが,サン・ジミニャーノはあまりに廃れたため,塔は壊されることもなく現在まで残ることになったそうで,現在14本残っています。

また,教皇庁の場面はシチリアのパレルモ近郊モンレアーレのドゥオーモで撮られました。

現在ヴァティカンサン=ピエトロ大聖堂は,16世紀のルネサンス時代にブラマンテラファエロ,そしてミケランジェロらによって建てられたルネサンス様式の建築です。

教皇インノケンティウス3世がフランシスコを接見したのは,それ以前の初代のサン=ピエトロ大聖堂なので,フランチェスコの時代のロマネスク様式の建物が選ばれたのでしょう。

モンレアーレのドゥオーモは,ロマネスク様式の一つノルマン様式の建築で,しかもビザンツ様式の影響を受けたモザイクで飾られています。映画のなかでもあちこちでキラキラ輝いて,カトリック教会の豪華さを演出しています。

ローマ教皇インノケンティウス3世の役はアレックス・ギネスで,「クロムウェル」ではチャールズ1世を演じていました。

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「クロムウェル」(2) ピューリタン革命・王政復古・名誉革命

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映画は,1640年に王チャールズ1世がスコットランドとの戦争のために議会を11年ぶりに開くことになり,クロムウェルの領地のあるケンブリッジにロンドンから迎えが来る場面で始まります。

やがて,ピューリタン革命が始まると,クロムウェルは議会軍に参加し,最初の戦いであるエッジヒルで,経験と装備に勝る国王軍に敗れました。寄せ集めの軍では勝てないと考えたクロムウェルは,私財を投じてジェントリヨーマンを集めて鉄騎隊を編成して訓練します。

ジェントリとは,中世以来の騎士や豊かな農民の地主層で,ヨーマンとは独立自営農民すなわち農奴から解放された農民層です。

クロムウェルは議会軍を率いてネーズビーの戦いに参加し,勝利を収めました。王との妥協を模索したクロムウェルは,要求を無視したチャールズ1世を結局処刑します。さらに議会をも解散し,議場の議長席に1人座るところで映画は終わります。

受験的には,議会は王党派議会派に別れて内戦となり,議会派が勝利した後,議会派内部で対立が起こり,多数派の長老派を少数派であったクロムウェルの独立派が追放し,さらにより過激な水平派を弾圧して独裁を行うと説明されます。

1653年にクロムウェルは護国卿に就任し,独裁を行いました。しかし,クロムウェルがインフルエンザで亡くなると,彼の子リチャード=クロムウェルが護国卿になりましたが,父ほどのカリスマ性はなく,すぐに辞任してしまいました。

議会には長老派が復帰し,王党派と妥協して王政復古となり,亡命先のフランスから戻ったチャールズ2世が即位します。やがて議会は王党派が多数を占めるに至ります。

王政復古後,クロムウェルは墓を暴かれて遺体は絞首刑にされた上に首をはねられ,さらし者にされたそうです。しかし,19世紀に再評価がすすみ,現在はイギリスの議会となっているウェストミンスター宮殿の前に,クロムウェルの銅像がたっています。それでも評価は2分しているようです。

さて,王政復古で議会と王は宗教的にも対立はなくなったはずだったのですが,王はフランス亡命中にカトリックの影響を受けていました。フランスはフランス絶対主義を象徴する,カトリック教徒の太陽王ルイ14世の治世でした。

チャールズ2世の死後,弟ジェームズがジェームズ2世として即位しました。彼はカトリックの洗礼を受けていました。ただ,彼には男子の跡継ぎがいなかったので,とにかく議会は事を荒立てたくなかったのです。

しかし,50歳を超えていた王に跡継ぎができました。このままではカトリックの王が続きます。そこで,ジェームズは追放され,ジェームズの娘でプロテスタントのメアリが嫁ぎ先のオランダから呼び返されました。

すると彼女は夫のオランダ総督ウィリアムとともに帰国し,1688年にメアリ2世ウィリアム3世として即位したのです。

これを血を流さなかったことから,名誉革命と言います。

議会は2人の王の即位に際して,議会が王に優越するという権利の宣言を認めさせ,権利の章典として法律化しました。ここにイギリスの議会主権が確立します。

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「クロムウェル」(1) イギリスの宗教改革 ステュアート朝 囲い込み

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今回の映画は1970年の作品で,ずばり世界史そのもののタイトル「クロムウェル」です。

主演のリチャード・ハリスはアイルランド出身の俳優で「ハリー・ポッター」シリーズの1作目と2作目で魔法学校の校長役を演じています。また,「グラディエーター」ではマルクス・アウレリウス・アントニヌス役をやっています。

カトリックの多いアイルランド出身の俳優が,ピューリタンクロムウェルを演ずるというのは興味深いですね。

イギリスでは,ピューリタン革命の100年以上前に宗教改革が行われました。

テューダー朝のイギリス王ヘンリ8世が離婚問題でカトリック教会から分離し,1534年に国王至上法を発布して,イギリス国王を首長とするイギリス国教会を設立したのです。

しかし,理由が離婚問題だけに,信仰内容はカトリックと変わりませんでした。

そこで,次のエドワード6世の時代に,やはり宗教改革で成立したカルヴァン派の教義をとり入れて一般祈禱書が制定されました。

でも,儀式はカトリック的なものを残していたので,イギリスのカルヴァン派はイギリス国教会をカトリック的な要素の残った不純なものとして,純化すべきだと考えたのです。そこで,pureからピューリタンと呼ばれました。

この映画でも,クロムウェルが教会でカトリック的な器物を見つけて激怒する場面が出てきます。

テューダー朝は,17世紀初頭にエリザベス1世が独身のままなくなり,断絶しました。

そこでスコットランド王ジェームズ6世が招かれて,イギリス王ジェームズ1世として即位し,ステュアート朝を開きました。しかし,彼はイギリスの状況をよく知らず,王権神授説を信奉して専制政治を行いました。

この映画でも出てきますが,王権神授説とは王の権力は神から与えられたもので,神聖なものであるという考えです。だから国民がとやかく言うべきではないという,国王にとって都合の良いものです。

彼の時代には,その専制政治に反発した人々を中心としたピルグリム・ファーザーズメイフラワー号でアメリカに渡りました。

ジェームズ1世の子チャールズ1世も専制政治を行い,議会が1628年に議会の認めない課税や不当な逮捕の停止を求めた権利の請願を発表しました。

この時代は,まだ王は専制君主ですから,王に「お願い」をしたのです。王はいったん認めておきながら,翌年議会を解散して11年間議会を開きませんでした。

しかし,スコットランドで反乱が起こり,その戦費を捻出する増税を認めさせるために議会が開かれましたが,拒否したため3週間で解散されたため,短期議会と呼ばれました。

再び開かれた会議も王の要求を認めず,ついにピューリタン革命が起こりました。この議会は1653年にクロムウェルによって解散させられるまで13年間開かれていたので,長期議会といいます。

また,当時は,囲い込みすなわちエンクロージャーが行われており,その様子がこの映画に出てきます。

領主が,土地を垣根や柵で囲って農民を追い出したのです。

15世紀から17世紀の第1次囲い込みはこれで,非合法で毛織物産業が発展したための牧羊が目的でした。

これに対して18世紀から19世紀の第2次囲い込みは,議会の承認を受けた合法的なもので,農業生産の合理化のためでした。これで仕事を失った農民たちは産業革命の労働者となっていきます。

今回は,この映画の前史,ピューリタン革命の前史を中心にお話ししました。

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今月見た映画(2017年4月)

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○はブログで取り上げた作品。●は取り上げなかった作品です。

●「デッドプール」2016

Amazonビデオで見ました。

歴史となーんの関係もありません。一連のマーベル・コミックの映画化のうち,R指定となった異色作品です。

配給にディズニーがかんでないので,残酷・下品が満載です。

●「ダラスの熱い日」1974

Amazonビデオで見ました。

ケネディ大統領暗殺を,6人の人物が共謀して,3人の暗殺チーム2組を訓練させ,オズワルドを暗殺者にしたてて実行する過程を,実写を挿入しながら淡々と描きます。

暗殺の動機については,黒人の躍進,ソ連や共産主義の脅威の危機感などが暗殺計画の中で語られますが,それには深入りしません。

6人の人物についても明らかにされないままです。脚本はドルトン・トランボで,彼の最後の作品です。

「ダラスの熱い日」という邦題はピンときません。ケネディが暗殺されたのは,11月ですし,この映画の暗殺を計画する人々はきわめて冷静です。原題は,“Executive Action(行政措置)”です。

○「ジャッキー ファーストレディ 最後の使命」2016

映画館で見ました。

http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/03/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/04/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/05/

●「グランド・イリュージョン」2013

Amazonビデオで見ました。

4人のマジシャンが大規模なトリックを仕掛けて,それを追うFBIを出し抜くストーリーですが,当然最後に大どんでん返しが用意されています。

まったく世界史とは関係ない,いやちょっとだけあります。古代から伝わる魔術のシンボルとして,古代エジプトの「眼」が出てきます。映画字体がトリックですから何でもできますよね。

●「ゴースト・イン・ザ・シェル」2017

映画館で見ました。

世界史とは関係ないというか,一応未来の話です。有名なアニメの実写化です。

日本人の主人公役をスカーレット・ヨハンソンがやることについて批判がありました。それより,桃井かおりが英語を話すのに,北野武だけ日本語で,しかも棒読みのセリフである意図が分かりません。

機械化されて記憶を消された主人公が,それを取り戻すために戦うというストーリー自体は,別に新しいわけではなく,背景となる世界観が重要なのですが,SF映画の金字塔「ブレード・ランナー」の世界を発展させたような都市の姿は,なぜだか薄っぺらな印象でした。

ただ,今「ブレード・ランナー」を改めてみると,未来というより過去の都市の映像のように感じるでしょう。

それよりなにより,スカーレット・ヨハンソンの体のラインが,着ぐるみを着たようだったのが,いちばん残念でした。

この作品の元のアニメの続編が「イノセンス」で,これについては以前私が書いていますので,ご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/romanee78/e/a8fd98f88b0b01e739de226f40b5cced

○「バーフバリ」 2015

映画館で見ました。

http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/09/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/10/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/11/

○「サラエボの銃声」 2014

映画館で見ました。

http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/12/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/13/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/14/

○「グレートウォール」 2017

映画館で見ました。

http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/15/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/16/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/17/

○「世界大戦争」 1961

北朝鮮のミサイル発射映像を見て思い出しました。
DVDで見ました。

http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/20/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/21/

○「黒船」 1958

DVDで見ました。
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/23/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/24/

私の参考書です。CDの声は女性のナレーターです。

聴くだけ世界史(古代~近代へ)    聴くだけ世界史(近現代)

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