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ナチス・ドイツとソ連は,1939年8月23日独ソ不可侵条約を結びました。反共のナチス・ドイツと1935年のコミンテルン第7回大会で反ファシズムの人民戦線の結成を訴えたソ連の同盟に世界は驚きました。
これで東側の安全を確保したドイツは,1939年9月1日にポーランドに侵入します。すると9月3日にイギリス・フランスはドイツに宣戦布告し,第二次世界大戦が始まりました。
ソ連は独ソ不可侵条約の秘密協定にしたがって,9月17日に東からポーランドに侵入し,ポーランドはドイツ・ソ連両国によって分割・占領されました。
イギリス・フランス軍はドイツ・フランス国境ならびにフランス・ベルギー国境に陸軍の大軍を展開し,ドイツは主力の陸軍をポーランドに進軍させていたため,イギリス・フランスは圧倒的に有利な状況にありました。
しかし,本格的な戦闘は行われず,これはイギリスでは「まやかし戦争」,フランスでは「奇妙な戦争」と呼ばれました。
その原因としては,イギリス・フランスの戦前の宥和政策がまだ尾を引いていたことや,とくにフランスがドイツの戦力を過剰に恐れていたことなどが挙げられています。
前線では緊張感がだんだん失われて,両陣営の兵士がタバコやお菓子を交換したり,日光浴をしていました。
ちなみに,第一次世界大戦緒戦の西部戦線でも,1914年12月24日から25日にかけてクリスマスを祝って両軍兵士が自主的に停戦を行い,記念写真を撮ったりプレゼントを交換し,サッカーに興じたといいます。第一次世界大戦に従軍していたヒトラーは,こんなことはするべきではないと仲間を叱りつけたそうです。
1940年5月10日にドイツがフランス・ベネルクス3国に侵攻を開始し,このような状況は終わりました。
フランスは,第一次世界大戦後,ドイツ・フランス国境にマジノ線と呼ばれる長大な要塞線を建設していました。そして,イギリス・フランス軍は第一次世界大戦の経験からドイツ軍はベルギー国境から進撃してくると予想して,ベルギー・フランスの国境に主力を展開していました。
しかし,ドイツ軍の戦車部隊は,通行不可能とされていたアルデンヌの森を脱けてイギリス・フランス軍の背後に回り,イギリス・フランス軍はダンケルクに追い込まれたのです。
そこで,この映画に描かれるようなイギリス本土への撤退作戦であるダイナモ作戦が行われたのです。
イギリスに生還した主人公が,歓迎する人々の一人に「逃げてきただけだ」といいます。しかし,その人は「それだけでいいんだ」と答えました。
戦争のむなしさ,無意味さで映画を終わることもできました。しかし,監督は列車の中でチャーチルの「われわれはこれからも戦い,決して降伏しない」との演説の記事を最後に読ませて中和しています。
ノーラン監督はこの「ダンケルク」を戦争映画ではないと繰り返し述べています。しかし,やはり戦争映画です。
淀川長治は,先の旧作「ダンケルク」のパンフレット解説に,この映画を「人間」を描いていると評価した上で,戦争映画一般について
「私は常々…なにを好んで今さら勇壮なる戦士英雄を描く必要があろうと思う」
「その面白さに幾億万の金をかけて超大作を作りそれからの儲けによって大会社の資本を増すことも営業といえば営業であろうが私はその企画にいつも心をくもらせてきた一人である」と書いています。
戦争を経験した世代である淀川の率直な意見です。時代遅れだという人もいるでしょう。でも,私も同様の感想を持ちます。
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