「カサノバ」(2) ヴェネツィアの歴史

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この映画は,18世紀のヴェネツィアを舞台としています。

ヴェネツィアは,アドリア海の奥に位置するヴェネツィア湾のラグーナと呼ばれる潟に,無数の丸太の杭を打ち込んで建設された人口都市です。

5世紀にゲルマン人の侵入から逃れた北イタリアの住民が建設を開始しました。

当初アドリア海を支配していたビザンツ(東ローマ)帝国の支配下で,ヴェネツィアは事実上の自治権を持っていました。

7世紀末には初代の総督(ドージェ)を選出し,ヴェネツイア共和国の歴史が始まります。

11世紀にはビザンツ帝国からアドリア海の海上防衛を任され,ビザンツ帝国内での貿易特権を得ます。

そして11世紀末にクレルモン宗教会議で教皇ウルバヌス2世が提唱して十字軍が開始されると,これを利用して東方(レヴァント)貿易を拡大して繁栄しました。

13世紀初めの第4回十字軍に際しては,十字軍をビザンツ帝国の都コンスタンティノープル攻撃に誘導し,十字軍はコンスタンティノープルを占領してビザンツ帝国をいったん滅ぼし,ラテン帝国を建設します。

13世紀から14世紀にはライバルの都市ジェノヴァとの戦いではヴェネツィアは有利な立場を維持しました。

しかし,1453年にビザンツ帝国がオスマン帝国に滅ぼされて地中海にオスマン帝国が進出し,さらにいわゆる大航海時代となって,地中海から大西洋や太平洋に貿易の中心が移り,商業革命が起こり,ヴェネツィアはゆっくりと衰退していくことになります。

それでも1538年のプレヴェザの海戦や1571年のレパントの海戦では,スペインなどとともに艦隊を出してオスマン帝国と戦っています。

17世紀末のカルロヴィッツ条約は,オスマン帝国が衰退に向かう転機となる条約ですが,結んだ相手はオーストリア・ポーランド,そしてヴェネツィアです。

時代は少し戻りますが,15世紀から16世紀にかけては神聖ローマ皇帝フランス王がイタリアを舞台としてイタリア戦争を戦い,都市が衰退してイタリア・ルネサンスも衰退しますが,ヴェネツィアは海上にあるため,戦争の影響を受けず,ヴェネツィア派と呼ばれる画家たち,ティツィアーノティントレットヴェロネーゼが活躍し,イタリア・ルネサンス最後の輝きを放ちました。

また,17世紀頃からイギリスの富裕な貴族の子息たちは学業を終えると,グランド・ツアーと呼ばれる一種の修学旅行で大陸に渡り,フランスからイタリアをめざしました。その旅はお供をつれて数年にわたるもので,目的地としてヴェネツィアは人気がありました。

1797年にナポレオン・ボナパルトに侵略されて,ついにヴェネツィア共和国は崩壊しました。

このヴェネツィア共和国最後の18世紀に生きたのがカサノバだったのです。

ヴェネツィアは,独立を失ってから,観光で繁栄してきました。いわば200年の筋金入りの観光都市です。

近年,ヴェネツィアは地盤沈下と地球温暖化の影響などで,毎年秋から冬にかけてたびたび潮位が上がり,水につかります。

これをアクア・アルタといい,潮位の高さによって4種類の警報がけたたましく鳴るそうです。住民にとってはやっかいな話なのですが,観光客は大はしゃぎです。

ところで,このアクア・アルタ対策に日本企業が防潮ゲートを作るプロジェクトが進められています。その名は,紅海を真っ二つに割った旧約聖書のエピソードにちなんでモーゼ・プロジェクトと名付けられました。

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