「リンカーン/秘密の書」 リンカンはなぜヴァンパイアと戦うのか

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2012年に公開されたもう1本のリンカンの映画,「リンカーン/秘密の書」は,リンカンがヴァンパイアすなわち吸血鬼と,斧で戦うという怪作です。

監督は,アンジェリーナ=ジョリー主演の「ウォンテッド」(ピンクレディーではありません)で知られるカザフスタン出身のティムール=ベクマンベトフ,製作はティム=バートンです。

原作はセス=グレアム=スミスの2010年のベストセラー小説「ヴァンパイアハンター・リンカーン」で,いかにもティム=バートン好みの作品です。

幼いときにヴァンパイアに母を殺されたリンカンが,ヴァンパイアハンターの下で修行し,銀の斧を使ってヴァンパイアを次々と退治し,母の仇を討つことに成功します。実際にリンカンは,斧の名手だったそうです。

将来の妻と出会ったリンカンは,ヴァンパイアハンターから足を洗い,大統領に当選して南北戦争でヴァンパイアに支配されている南部と戦います。

ヴァンパイア一味に息子を殺されたリンカンは,再び銀の斧をとって,銀の銃弾や砲弾を使ってゲテイスバーグの戦いに勝利しました。

ヴァンパイアはヨーロッパやアジアに逃げ去り,アメリカは自由の国となるのです。

リンカンにヴァンパイアとの戦い方を教えたヘンリーも,実は妻をヴァンパイアに殺され,自らも血を吸われてヴァンパイアになっていたことが明らかになります。ヴァンパイアは同じヴァンパイアを殺せないので,リンカンを訓練したのです。

つまり,この映画あるいは原作の小説は,先住民を殺し,奴隷制度を行って血を吸ったのはヴァンパイアだとするのです。

奴隷制度を行っていたのもアメリカ人で,それを廃止したのもアメリカ人というジレンマを,すべて南部を支配していたヴァンパイアのせいにしてしまう都合のいい話です。

白人の西部開拓を正当化した「明白な天命(マニフェスト・ディスティニー)」を思い出しました。

実際には,リンカンは先住民に対しては過酷な政策を行っています。

ヴァンパイアであったリンカンの師匠ヘンリーは,リンカンとともに最後まで戦い,リンカンに「永遠の命」を与えようと申し出ますが,リンカンはそれを断り,妻とフォード劇場に向い,暗殺されてしまいました。

ヴァンパイアは年をとらないので,ヘンリーは現在まだ生きていることになっています。

だったら,みんなヴァンパイアになればいいのではないでしょうか。

病気や高齢化などすべては一挙に解決します。ヴァンパイアはヴァンパイアを殺せないそうなので,殺人も戦争もなくなります。

ただし,そのかわり深刻な人口問題が起こります。

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「リンカーン」 toy presidentのリンカンのフィギュア

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今回は,私の以前のブログ「21世紀のデカメロン」に書いた,リンカンについての映画2本,スピルバーグの「リンカーン」と謎の映画「リンカーン/秘密の書」についての記事を,一部書き換え,加筆して,2回に分けて再録します。

2012年には2本のリンカン(リンカーン)に関する映画が製作されました。

1本はスティーヴン・スピルバーグ監督の「リンカーン」で,主演のダニエル・デイ・ルイスはアカデミー主演男優賞をとりました。

ただし,作品賞は,以前にこのブログで取り上げた,イランのアメリカ大使館人質事件を題材とした「アルゴ」で,「リンカーン」は受賞を逃しました。

この映画は,リンカンが奴隷制を禁じる憲法修正第13条を議会で成立させるため,共和党保守派と急進派,さらに民主党の一部の支持を得るために苦慮する姿を描きます。

そこに,次男を失った悲しみからリンカンを非難する妻,軍隊に入隊しようとする長男と妻に再び子を失う悲しみを与えたくないと反対するリンカンの,家庭人としての苦悩が重なります。

ダニエル・デイ・ルイスは,映画「ガンジー」でガンジーを演じたベン・キングズレーのように,リンカンになりきっています。

また,共和党急進派のタデウス=スティーブンスを演じたのは,おなじみのトミー・リー・ジョーンズですが,彼が憲法修正第13条が可決されたのち,その原本を持ち帰って一緒に暮らしている黒人女性に見せるエピソードは,彼の徹底した人種差別反対を個人的なものに矮小化しているようにも思えます。実際のスティーブンスは,黒人女性を事実上の妻としていました。

それにしても,トミー・リー・ジョーンズが画面に登場すると,どうしても缶コーヒーのCMに出てくる変な宇宙人を思い出してしまいます。それほど,あのCMがよくできてるということなのですが。

さて,今はもうないのですが,大統領のフィギュアを専門的に作っていたtoy presidentという会社がアメリカにあって,私は何体かフィギュアを買って送ってもらいました。

これらの大統領のフィギュアは,有名な演説をしゃべるように作られています。

リンカンは,25のフレーズをしゃべります。ゲティスバーグ演説も入っていますが,なぜか「人民の,人民による,人民のための政治」の部分ではなく,その冒頭の部分です。

私のインスタグラムのsekainorekisiにあげたものです。

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先月見た映画(2017年8月)

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○はブログで取り上げた作品。●は取り上げなかった作品です。

●「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」
Amazonビデオで見ました。
ドローンを使った現代の戦争を描いた作品です。ロンドンの司令部で,アメリカ軍のMQ-9リーバ-無人偵察攻撃機を使って,イギリス・アメリカ軍が合同でケニアと協力し,ナイロビで準備が進められているテロを未然に防ぐ作戦が展開されます。指令はロンドン,無人攻撃機の操縦はアメリカのネバダ州で行っているのです。ところがテロリストの拠点をミサイル攻撃しようとしたとたん,建物のそばにパンを売る少女が店を出します。その少女を巻きこむ攻撃をすべきかどうか,許可を出すのは誰か。司令部は苦慮した結果,結局攻撃は行われ,少女は命を落とします。MQ-9リーバ-の,のっぺりとした機首のデザインは不気味です。しかし,この映画は一種のファンタジーでしょう。一人の少女を犠牲にするかどうかで,攻撃を躊躇するとは思えません。また「世界一安全な戦場」のサブタイトルは不要でしょう。

●パシフィック・リム
Netflixで見ました。
「パシフィック・リム」とは環太平洋地域のことで,太平洋にできた異次元との裂け目から次々と現れる怪獣を,環太平洋防衛軍の巨人ロボット兵器が迎撃する物語です。日本の怪獣映画の伝統を受け継ぐ作品で,怪獣は英語でもkaijuと呼ばれています。菊地凛子(幼い時代は芦田愛菜)が重要な役で出ています。防衛軍のロボットは,パイロットが神経を接続して操縦するのですが,負担が重いため右脳・左脳を2人で分担して同期することになっています。ちょっと設定がこね回し過ぎた感があります。怪獣と巨人ロボットの戦いも暗いシーンが多く,日本の怪獣映画のような明快さはありません。第2作が制作されているようですが,どうなるのでしょうか。この映画のギレルモ・デル・トロ監督の作品に「パンズ・ラビリンス」という作品があります。これに出てくる目が手のひらにあるペイルマンに,無人偵察攻撃機MQ-9リーバ-が似ていることを思い出しました。

○「ザ・マミ- 呪われた砂漠の王女」
映画館で見ました。
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/08/13/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/08/14/

○「カサノバ」
DVDで見ました。
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/08/16/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/09/08/

●「カサノバ」(監督フェデリコ・フェリーニ)
DVDで見ました。
こちらのフェリーニの「カサノバ」は,雰囲気がまったく違います。ヴェネツィアのカーニバルのシーンで始まるのですが,巨大な女神の頭部が海から現れるなど,独特の美意識で撮られています。カサノバの衣装や化粧,海をあえてビニールのシートで表現するなど,舞台の演劇のようです。カサノバの自伝のエピソードをつなぎ合わせたような構成で,突然一つのエピソードが終わり,次のエピソードが始まります。何かに似ているなと思ったら,そう,日本の歌舞伎でした。

●「1900年」
DVDで見ました。
「ラストエンペラー」のベルナルド・ベルトリッチ監督の5時間16分の長編です。1901年から1945年まで,同じ年に生まれた地主の子と小作人の子の友情と反発を軸に,地主と小作人の対立,ロシア革命の影響下の社会主義運動の高揚,ファシズム運動の台頭,第二次世界大戦終結によるファシズムの崩壊までを描いています。とくに社会主義の浸透に対して旧来の地主勢力がファシズムを支持する姿と,戦後の彼らに対する農民の怒りを描いています。農村のファシストを演じたのが,フェリーニの「カサノバ」でカサノバを演じたドナルド・サザーランドです。しかも1976年の同じ年公開です。ここにはおしゃれなイタリアはまったく出てきません。なお,原題「Novecento」は,イタリア語で「900」のことですが1900年代すなわち20世紀のことです。邦題「1900年」は変です。

私の参考書です。CDの声は女性のナレーターです。

聴くだけ世界史(古代~近代へ)    聴くだけ世界史(近現代)

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ダンケルク(2) ポーランド侵攻,まやかし戦争,ダンケルクの戦い,淀川長治

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ナチス・ドイツソ連は,1939年8月23日独ソ不可侵条約を結びました。反共のナチス・ドイツと1935年のコミンテルン第7回大会で反ファシズムの人民戦線の結成を訴えたソ連の同盟に世界は驚きました。

これで東側の安全を確保したドイツは,1939年9月1日にポーランドに侵入します。すると9月3日にイギリス・フランスはドイツに宣戦布告し,第二次世界大戦が始まりました。

ソ連は独ソ不可侵条約の秘密協定にしたがって,9月17日に東からポーランドに侵入し,ポーランドはドイツ・ソ連両国によって分割・占領されました。

イギリス・フランス軍はドイツ・フランス国境ならびにフランス・ベルギー国境に陸軍の大軍を展開し,ドイツは主力の陸軍をポーランドに進軍させていたため,イギリス・フランスは圧倒的に有利な状況にありました。

しかし,本格的な戦闘は行われず,これはイギリスでは「まやかし戦争」,フランスでは「奇妙な戦争」と呼ばれました。

その原因としては,イギリス・フランスの戦前の宥和政策がまだ尾を引いていたことや,とくにフランスがドイツの戦力を過剰に恐れていたことなどが挙げられています。

前線では緊張感がだんだん失われて,両陣営の兵士がタバコやお菓子を交換したり,日光浴をしていました。

ちなみに,第一次世界大戦緒戦の西部戦線でも,1914年12月24日から25日にかけてクリスマスを祝って両軍兵士が自主的に停戦を行い,記念写真を撮ったりプレゼントを交換し,サッカーに興じたといいます。第一次世界大戦に従軍していたヒトラーは,こんなことはするべきではないと仲間を叱りつけたそうです。

1940年5月10日にドイツがフランス・ベネルクス3国に侵攻を開始し,このような状況は終わりました。

フランスは,第一次世界大戦後,ドイツ・フランス国境にマジノ線と呼ばれる長大な要塞線を建設していました。そして,イギリス・フランス軍は第一次世界大戦の経験からドイツ軍はベルギー国境から進撃してくると予想して,ベルギー・フランスの国境に主力を展開していました。

しかし,ドイツ軍の戦車部隊は,通行不可能とされていたアルデンヌの森を脱けてイギリス・フランス軍の背後に回り,イギリス・フランス軍はダンケルクに追い込まれたのです。

そこで,この映画に描かれるようなイギリス本土への撤退作戦であるダイナモ作戦が行われたのです。

イギリスに生還した主人公が,歓迎する人々の一人に「逃げてきただけだ」といいます。しかし,その人は「それだけでいいんだ」と答えました。

戦争のむなしさ,無意味さで映画を終わることもできました。しかし,監督は列車の中でチャーチルの「われわれはこれからも戦い,決して降伏しない」との演説の記事を最後に読ませて中和しています。

ノーラン監督はこの「ダンケルク」を戦争映画ではないと繰り返し述べています。しかし,やはり戦争映画です。

淀川長治は,先の旧作「ダンケルク」のパンフレット解説に,この映画を「人間」を描いていると評価した上で,戦争映画一般について

「私は常々…なにを好んで今さら勇壮なる戦士英雄を描く必要があろうと思う」

「その面白さに幾億万の金をかけて超大作を作りそれからの儲けによって大会社の資本を増すことも営業といえば営業であろうが私はその企画にいつも心をくもらせてきた一人である」と書いています。

戦争を経験した世代である淀川の率直な意見です。時代遅れだという人もいるでしょう。でも,私も同様の感想を持ちます。

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「ダンケルク」(1) ノーラン監督の「ダンケルク」と旧作「ダンケルク」

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スピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」以来の戦場の臨場感・緊張感,銃弾が空気を切る音。

私は通常上映で見ましたが,IMAXだとさらに臨場感は高まったのだろうと思います。

この映画「ダンケルク」は,3つの地上と海上と空で展開される話を交差させて,第二次世界大戦中の1940年にドイツ軍に包囲されたイギリス・フランス軍中心の40万人近い兵士をイギリスへ脱出させた作戦を描いています。

 
http://wwws.warnerbros.co.jp/dunkirk/

 
私はこの映画のテレビCMを見て,1964年のジャン・ポール・ベルモンド主演の同名の映画「ダンケルク」を思い出しました。

原題は“WEEK-END a ZUYDCOOTE(ズイドコートの週末)”。ズイドコートはダンケルク近くの海岸の名です。

クリストファー・ノーラン監督は,この「ダンケルク」に影響を与えた映画として,「西部戦線異状なし」「アルジェの戦い」や,戦争映画ではない「エイリアン」「スピード」など,11本を挙げてロンドンで上映したそうです。

その11本にはこの旧作「ダンケルク」は含まれていません。私が読んだ限りでは,監督はこの作品について言及していないようです。

旧作「ダンケルク」の公開当時のパンフレットには,淀川長治の長文の解説が載っており,映画の最初の方で,主人公のベルモンドがドイツ軍が撒いたビラが降ってくるのを拾って読むシーンが出てくるというのです。

今回の「ダンケルク」も冒頭に同様のシーンがありました。これは一種のオマージュなのかもしれません。

11本には含めていませんが,監督はやはり「プライベート・ライアン」を再び見たそうです。そしてすごい映画だとしながら,今回はそれとは違う方向性で描いたと言っています。

「プライベート・ライアン」では,ライアン二等兵を探すべく,戦場を駆け巡る一人一人の個性を描きます。

しかしこの「ダンケルク」では,どの人物も同じように描かれます。浜辺で助けを待つ主人公は,時に他の兵士と見分けがつかなくなります。

唯一,小船でダンケルクに向かう老船長の人物像は浮き上がりますが,彼とて助けた兵士に息子を殺されても怒るわけでも泣き叫ぶわけでもなく,船の操舵を続けます。

戦争映画につきものの,血や残酷なシーンもほとんどありません。

女性は,救護や看護のための女性がわずかに登場するだけです。

旧作「ダンケルク」ではベルモンドはフランス兵に襲われそうになった女性を助け,恋に落ちます。真珠湾攻撃を描いた「パール・ハーバー」は,戦争が恋愛物語の舞台装置と化していました。

今回の「ダンケルク」では,会話は最小限に抑えられており,全部書き出しても紙1枚に収まるくらいです。

これらのことによって,観客は登場人物には感情移入できません。

監督は戦争の中の人物を描こうとしたのではなく,戦争という事態を描こうとしたのでしょう。

その結果,この映画は非常によくできた戦場体験のアトラクションとなっています。

3つの物語がそれぞれ時間の流れが違うことは,画面に「防波堤:1週間」,「海:1日」,「空:1時間」と明示してくれます。

さらに象徴的なのが全編音楽が流れていることです。緊張感を高める効果をあげています。しかし,現実の戦場には音楽は決して流れていません。

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「カサノバ」(2) ヴェネツィアの歴史

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この映画は,18世紀のヴェネツィアを舞台としています。

ヴェネツィアは,アドリア海の奥に位置するヴェネツィア湾のラグーナと呼ばれる潟に,無数の丸太の杭を打ち込んで建設された人口都市です。

5世紀にゲルマン人の侵入から逃れた北イタリアの住民が建設を開始しました。

当初アドリア海を支配していたビザンツ(東ローマ)帝国の支配下で,ヴェネツィアは事実上の自治権を持っていました。

7世紀末には初代の総督(ドージェ)を選出し,ヴェネツイア共和国の歴史が始まります。

11世紀にはビザンツ帝国からアドリア海の海上防衛を任され,ビザンツ帝国内での貿易特権を得ます。

そして11世紀末にクレルモン宗教会議で教皇ウルバヌス2世が提唱して十字軍が開始されると,これを利用して東方(レヴァント)貿易を拡大して繁栄しました。

13世紀初めの第4回十字軍に際しては,十字軍をビザンツ帝国の都コンスタンティノープル攻撃に誘導し,十字軍はコンスタンティノープルを占領してビザンツ帝国をいったん滅ぼし,ラテン帝国を建設します。

13世紀から14世紀にはライバルの都市ジェノヴァとの戦いではヴェネツィアは有利な立場を維持しました。

しかし,1453年にビザンツ帝国がオスマン帝国に滅ぼされて地中海にオスマン帝国が進出し,さらにいわゆる大航海時代となって,地中海から大西洋や太平洋に貿易の中心が移り,商業革命が起こり,ヴェネツィアはゆっくりと衰退していくことになります。

それでも1538年のプレヴェザの海戦や1571年のレパントの海戦では,スペインなどとともに艦隊を出してオスマン帝国と戦っています。

17世紀末のカルロヴィッツ条約は,オスマン帝国が衰退に向かう転機となる条約ですが,結んだ相手はオーストリア・ポーランド,そしてヴェネツィアです。

時代は少し戻りますが,15世紀から16世紀にかけては神聖ローマ皇帝フランス王がイタリアを舞台としてイタリア戦争を戦い,都市が衰退してイタリア・ルネサンスも衰退しますが,ヴェネツィアは海上にあるため,戦争の影響を受けず,ヴェネツィア派と呼ばれる画家たち,ティツィアーノティントレットヴェロネーゼが活躍し,イタリア・ルネサンス最後の輝きを放ちました。

また,17世紀頃からイギリスの富裕な貴族の子息たちは学業を終えると,グランド・ツアーと呼ばれる一種の修学旅行で大陸に渡り,フランスからイタリアをめざしました。その旅はお供をつれて数年にわたるもので,目的地としてヴェネツィアは人気がありました。

1797年にナポレオン・ボナパルトに侵略されて,ついにヴェネツィア共和国は崩壊しました。

このヴェネツィア共和国最後の18世紀に生きたのがカサノバだったのです。

ヴェネツィアは,独立を失ってから,観光で繁栄してきました。いわば200年の筋金入りの観光都市です。

近年,ヴェネツィアは地盤沈下と地球温暖化の影響などで,毎年秋から冬にかけてたびたび潮位が上がり,水につかります。

これをアクア・アルタといい,潮位の高さによって4種類の警報がけたたましく鳴るそうです。住民にとってはやっかいな話なのですが,観光客は大はしゃぎです。

ところで,このアクア・アルタ対策に日本企業が防潮ゲートを作るプロジェクトが進められています。その名は,紅海を真っ二つに割った旧約聖書のエピソードにちなんでモーゼ・プロジェクトと名付けられました。

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