「ザ・マミー 呪われた砂漠の王女」(1) 映画の歴史,ミイラ映画の歴史

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ユニバーサルが,マーベル・シネマテック・ユニバースというシリーズで一つの世界をつくって,アイアンマンやキャプテン・アメリカなどの映画を発表しているように,ミイラやフランケンシュタインや狼男などの古典的キャラクターを,ダーク・ユニバースというシリーズで展開しようとする第一作です。

会社として本気なのは,トム・クルーズとラッセル・クロウを,この「ザ・マミー 呪われた砂漠の王女」であえて共演させたということでも分かります。

http://themummy.jp/
いわゆるミイラ映画は,1932年に「ミイラ再生」から6作,1950年代から70年代にリメイクされて4作,さらに1999年の「ハムナプトラ 失われた砂漠の都」からシリーズとして3作公開されています。

1894年にフランスのリヨンでリュミエール兄弟が撮影した46秒の「工場の出口」というフィルムが翌年パリで公開されて,映画の歴史が始まりました。

ただし,それ以前に箱の中をのぞきこむ形の映画は,1891年にエジソンによって発明されています。

当初アメリカの映画産業の中心は,東海岸のニューヨークだったのですが,そこは白人プロテスタントWASPに支配されており,自由な映画製作を求めて,映画製作者たちは西海岸に移りました。

当時のフィルムは感度が低く,晴れた日が多い西海岸の方が撮影に適していたという事情もありました。

1920年代にはそれまでの無声映画に代わって音声をともなったトーキーが,さらに1930年代にはカラー映画が登場します。

1929年に世界恐慌が起こると,アメリカの映画産業でも独占化が進む一方,安い値段で楽しめる娯楽として,映画は大衆的人気を得ました。

1929年にはアカデミー賞も始まりました。

ユニバーサルの創業者カール・レムリーから,1928年に21歳の誕生日にユニバーサルピクチャースの社長の地位をプレゼントされたカール・レムリー・ジュニアは,劇場網を整備し,トーキー用にスタジオをつくり変えてモンスター映画を製作することにしました。

1931年にドラキュラとフランケンシュタインの映画を成功させたあと,フランケンシュタインを演じたボリス・カーロフを起用して,翌年「ミイラ再生」を製作したのです。

1922年にハワード・カーターらがツタンカーメンの墓の発掘に成功して話題になっていましたから,そこからアイデアを得たと思われます。

映画の主人公イムホテプは,エジプト古王国第3王朝のジョゼル王に仕えた実在の人物で,サッカラに残る階段ピラミッドの設計者として知られています。

ちなみにオウム真理教の開祖麻原彰晃は,前世はイムホテプだそうです。

この「ミイラ再生」,1950年代にリメイクされた「ミイラの幽霊」,そして「ハムナプトラ 失われた砂漠の都」や今回の「ザ・マミー 呪われた砂漠の王女」は,いずれも原題はThe Mummyです。

日本では「マミー」といえばお母さんを意味するmammyから優しいイメージで,カバヤのビスケットの製品名にあったし,森永の飲料にも使われているので,今回の作品まで使うのを避けていたのでしょう。

今回の作品にも,「マミー」の前にあえて「ザ」がつけてありますね。

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