「レッズ」 (1) 冷戦・デタント・第2次冷戦

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「レッズ」は,ロシア十月革命の優れたルポルタージュ「世界をゆるがした十日間」を著したジョン・リードの半生を描いた,1981年の作品です。

彼の「世界をゆるがした十日間」は,センター試験で問題文として引用されたこともあります。

レッズとは共産主義者のことです。日本でも差別的なニュアンスの「アカ」という言葉がありますね。

これらは共産主義あるいは社会主義の象徴が赤旗であることからきています。元々はフランスで戒厳令をを示す旗だったのが,フランス革命中に虐殺事件が起こり,抗議する側が逆の意味で掲げたことに由来するようです。

この映画は,ウォーレン・ベイティが製作・監督・脚本・主演を兼ね,アカデミー賞に12部門でノミネートされ,監督賞・撮影賞・助演女優賞の3部門でオスカーを獲得しました。

しかし,反共のアメリカで,いくらアメリカ人ジャーナリストだとしても,共産主義者を主人公としてロシア革命を舞台とした映画がハリウッドでよく撮れたものだと思います。

それはこの映画が撮られた時期が大きく影響しています。撮影が行われたのは,1979年から1980年です。

第二次世界大戦後の,アメリカを中心とした資本主義諸国とソ連を中心とした共産主義諸国の東西対立,いわゆる冷戦についてはこのブログでも何回か説明しました。

1955年にはジュネーヴ4巨頭会談が行われ,「雪解け」が進みましたが,1961年にはベルリンの壁が建設され,1962年のキューバ危機では両者の対立は核戦争の危機にまで高まりました。

しかし,1970年代には緊張緩和すなわちデタントが実現していきます。

1971年には,中華民国から中華人民共和国国連代表権が交替し,翌1972年にニクソン大統領は訪中して中華人民共和国を事実上承認しました。

日本は同年,田中角栄首相が訪中して日中共同声明を発表し,国交正常化をアメリカに先駆けて実現しました。

アメリカと中華人民共和国の国交正常化は1979年のカーター大統領時代に実現しています。

また,ソ連は中華人民共和国の国連代表権を後押ししてきたのですが,1956年にフルシチョフ平和共存スターリン批判を発表すると中ソ対立が起こり,1969年には中ソ国境で武力衝突まで発生していました。

1972年の米中接近に対して,同年にソ連のブレジネフはニクソンと第1次戦略兵器制限交渉(SALTⅠ)の条約を締結しました。

1975年にはソ連・アメリカ・ヨーロッパ諸国など35カ国で全欧安全保障会議(CSCE)を開きました。

米中国交正常化と同じ1979年には,ブレジネフはカーターとの間で第2次戦略兵器制限交渉(SALTⅡ)の条約を結んでいます。

しかし,同年,ソ連がアフガニスタンに侵攻すると,アメリカは反発し,翌1980年にモスクワで行われたオリンピックを,アメリカや日本,さらに中華人民共和国などはボイコットしています。

1981年には「強いアメリカ」を掲げるレーガンが大統領となり,第2次冷戦ともいわれる事態になりました。SALTⅡも期限の1985年までにアメリカが批准せず,成立しませんでした。

このようなデタントが頂点を迎え,そして急に再び対立が激しくなる1979年から1980年の時期に,この映画は製作されたのです。

撮影はソ連では行われず,フィンランドやスペインで似たような場所を探して撮っています。

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