「7月4日に生まれて」(2) インドシナ戦争・ベトナム戦争・ニクソン

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ベトナムは,第二次世界大戦後,フランスとのインドシア戦争,アメリカとのベトナム戦争という2つの戦争を戦いました。

ベトナムには,第二次世界大戦後ホー・チ・ミンを大統領としてベトナム民主共和国が成立しましたが,フランスがベトナムの独立を認めず,インドシナ戦争が起こりました。

フランスは,この戦争中にベトナム南部にベトナム最後の王朝である阮朝の王であったバオダイを主席として,ベトナム国を建国します。

ベトナム民主共和国が北ベトナム,ベトナム国がフランスの傀儡政権の南ベトナムです。

しかし,アフリカのフランスの植民地であったアルジェリアで独立運動が高まり,フランスはベトナムでディエンビエンフーの戦いで敗北すると,ベトナムをあきらめ,1954年にジュネーヴ休戦協定を結んで手を引きました。

ジュネーヴ休戦協定は,北緯17度線を南北の境界線とし,2年後に統一選挙を行うというものでした。しかし,選挙を行えば,圧倒的人気をもつホー・チ・ミンが大統領になるのは明らかでした。

そこで,共産主義の拡大を恐れるアメリカが乗り出してきて,ベトナム国の主席バオダイを追い出して,ゴ・ディン・ジェムを大統領にベトナム共和国を建てました。

日本と同じように,南ベトナムを民主国家に育て上げ,共産主義に対する防波堤としようとしたのです。

しかし,ベトナム共和国の政府は腐敗し,南ベトナム解放民族戦線がつくられ,反政府のゲリラ活動を展開しました。

アメリカのケネディ大統領は軍事顧問として特殊部隊を送り込んで対応しました。

ケネディが暗殺された後,副大統領から大統領に昇格したジョンソン,トンキン湾事件という,アメリカの艦艇が北ベトナムの魚雷艇に攻撃されたという事件をでっち上げ,これを理由に南ベトナム解放民族戦線に援助を与えている北ベトナムへの爆撃,いわゆる北爆を開始したのです。その爆薬の量はすさまじいものでした。

しかし,映画に描かれているように,アメリカ国内で,なぜ遠いベトナムで戦わなければいけないのかという疑問の声が高まり,ベトナムでのアメリカ軍の蛮行が報道されると,アメリカ国内だけでなく国外でも反戦運動が高ました。

戦闘も長期化して莫大な戦費で財政難となったアメリカは,ニクソン大統領が戦後の国際経済の基礎となっていたドルと金の交換を停止しました。これはドル・ショックあるいはニクソン・ショックと呼ばれます。

さらに北ベトナムの背後にいる中国との関係を改善するため,電撃的にニクソンが北京を訪問して毛沢東と会談しました。

そして,1973年にベトナム和平協定を結び,アメリカはベトナムから手を引きます。

その翌年,ニクソン大統領はウォーターゲート事件で辞任しました。

ニクソン大統領といえばベトナム戦争と結びつけられ,この映画でも主人公は,ニクソンを大統領候補に選ぶ共和党大会に抗議に向かいます。

しかし,ニクソンは結果的に中国との関係を改善し,ベトナム戦争から手を引きました。

戦争を開始したのはケネディであり,ジョンソンです。 ニクソンは前任者たちの尻ぬぐいをしたのです。

以前も書きましたが,もしアメリカの政治を動かしているのが軍産複合体ならば,ベトナム戦争から手を引いたため,ニクソンはウォーターゲート事件を暴かれ,大統領の座から引きずり下ろされたと考えることもできるでしょう。

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