「ブラザーサン・シスタームーン」(1) 修道院・教会建築様式

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「ブラザーサン・シスタームーン」は,イタリアのフランコ・ゼフィレッリ監督が,撮影時に15歳のオリビア・ハッセーと17歳のレオナード・ホワイティングで撮った「ロミオとジュリエット」の次に監督した1972年の映画で,托鉢修道会フランチェスコ会の創設者フランチェスコの若き日を描いています。

修道院というのは,世俗を離れてひたすらキリスト教の信仰の生活を送る修道士が共同生活する場で,西ヨーロッパ最初の修道院は,6世紀にベネディクトスが中部イタリアのモンテ=カシノに建てたのが最初です。

その後10世紀にはフランスにクリュニー修道院が,11世紀にはシトー修道院が建てられました。

クリュニー修道院は教会改革運動を進め,教皇グレゴリス7世に影響を与えました。教皇グレゴリウス7世は,神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世聖職叙任権をめぐって争い,その結果,皇帝が教皇に謝罪するという「カノッサの屈辱」事件が起こりました。

シトー修道院は,12世紀以降中世ヨーロッパの大開墾運動の中心として活動しています。

しかし,「清貧・純潔・服従」を掲げた修道院も,諸侯などから土地の寄進を受けて富裕化し,堕落していきます。

そこで,一切の財産を否定し,人々の施しによって生活し,清貧を守ろうとしたのが托鉢修道会で,このフランチェスコがイタリアのアッシジで設立したフランチェスコ修道会と,スペインのドミニコがフランスのトゥールーズで設立したドミニコ会があります。

この映画のロケはアッシジだけでなく,塔の町として知られ,世界遺産にも登録されているサン・ジミニャーノでも行われました。

中世イタリアの都市では,防衛や監視のために塔が建てられました。やがてそれが権勢の象徴となり,都市貴族たちは競って建設しました。

サン・ジミニャーノでは多い時には塔が70本以上あったそうです。その後,多くの都市では,塔が不要になり,壊されて再開発されたのですが,サン・ジミニャーノはあまりに廃れたため,塔は壊されることもなく現在まで残ることになったそうで,現在14本残っています。

また,教皇庁の場面はシチリアのパレルモ近郊モンレアーレのドゥオーモで撮られました。

現在ヴァティカンサン=ピエトロ大聖堂は,16世紀のルネサンス時代にブラマンテラファエロ,そしてミケランジェロらによって建てられたルネサンス様式の建築です。

教皇インノケンティウス3世がフランシスコを接見したのは,それ以前の初代のサン=ピエトロ大聖堂なので,フランチェスコの時代のロマネスク様式の建物が選ばれたのでしょう。

モンレアーレのドゥオーモは,ロマネスク様式の一つノルマン様式の建築で,しかもビザンツ様式の影響を受けたモザイクで飾られています。映画のなかでもあちこちでキラキラ輝いて,カトリック教会の豪華さを演出しています。

ローマ教皇インノケンティウス3世の役はアレックス・ギネスで,「クロムウェル」ではチャールズ1世を演じていました。

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「クロムウェル」(2) ピューリタン革命・王政復古・名誉革命

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映画は,1640年に王チャールズ1世がスコットランドとの戦争のために議会を11年ぶりに開くことになり,クロムウェルの領地のあるケンブリッジにロンドンから迎えが来る場面で始まります。

やがて,ピューリタン革命が始まると,クロムウェルは議会軍に参加し,最初の戦いであるエッジヒルで,経験と装備に勝る国王軍に敗れました。寄せ集めの軍では勝てないと考えたクロムウェルは,私財を投じてジェントリヨーマンを集めて鉄騎隊を編成して訓練します。

ジェントリとは,中世以来の騎士や豊かな農民の地主層で,ヨーマンとは独立自営農民すなわち農奴から解放された農民層です。

クロムウェルは議会軍を率いてネーズビーの戦いに参加し,勝利を収めました。王との妥協を模索したクロムウェルは,要求を無視したチャールズ1世を結局処刑します。さらに議会をも解散し,議場の議長席に1人座るところで映画は終わります。

受験的には,議会は王党派議会派に別れて内戦となり,議会派が勝利した後,議会派内部で対立が起こり,多数派の長老派を少数派であったクロムウェルの独立派が追放し,さらにより過激な水平派を弾圧して独裁を行うと説明されます。

1653年にクロムウェルは護国卿に就任し,独裁を行いました。しかし,クロムウェルがインフルエンザで亡くなると,彼の子リチャード=クロムウェルが護国卿になりましたが,父ほどのカリスマ性はなく,すぐに辞任してしまいました。

議会には長老派が復帰し,王党派と妥協して王政復古となり,亡命先のフランスから戻ったチャールズ2世が即位します。やがて議会は王党派が多数を占めるに至ります。

王政復古後,クロムウェルは墓を暴かれて遺体は絞首刑にされた上に首をはねられ,さらし者にされたそうです。しかし,19世紀に再評価がすすみ,現在はイギリスの議会となっているウェストミンスター宮殿の前に,クロムウェルの銅像がたっています。それでも評価は2分しているようです。

さて,王政復古で議会と王は宗教的にも対立はなくなったはずだったのですが,王はフランス亡命中にカトリックの影響を受けていました。フランスはフランス絶対主義を象徴する,カトリック教徒の太陽王ルイ14世の治世でした。

チャールズ2世の死後,弟ジェームズがジェームズ2世として即位しました。彼はカトリックの洗礼を受けていました。ただ,彼には男子の跡継ぎがいなかったので,とにかく議会は事を荒立てたくなかったのです。

しかし,50歳を超えていた王に跡継ぎができました。このままではカトリックの王が続きます。そこで,ジェームズは追放され,ジェームズの娘でプロテスタントのメアリが嫁ぎ先のオランダから呼び返されました。

すると彼女は夫のオランダ総督ウィリアムとともに帰国し,1688年にメアリ2世ウィリアム3世として即位したのです。

これを血を流さなかったことから,名誉革命と言います。

議会は2人の王の即位に際して,議会が王に優越するという権利の宣言を認めさせ,権利の章典として法律化しました。ここにイギリスの議会主権が確立します。

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「クロムウェル」(1) イギリスの宗教改革 ステュアート朝 囲い込み

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今回の映画は1970年の作品で,ずばり世界史そのもののタイトル「クロムウェル」です。

主演のリチャード・ハリスはアイルランド出身の俳優で「ハリー・ポッター」シリーズの1作目と2作目で魔法学校の校長役を演じています。また,「グラディエーター」ではマルクス・アウレリウス・アントニヌス役をやっています。

カトリックの多いアイルランド出身の俳優が,ピューリタンクロムウェルを演ずるというのは興味深いですね。

イギリスでは,ピューリタン革命の100年以上前に宗教改革が行われました。

テューダー朝のイギリス王ヘンリ8世が離婚問題でカトリック教会から分離し,1534年に国王至上法を発布して,イギリス国王を首長とするイギリス国教会を設立したのです。

しかし,理由が離婚問題だけに,信仰内容はカトリックと変わりませんでした。

そこで,次のエドワード6世の時代に,やはり宗教改革で成立したカルヴァン派の教義をとり入れて一般祈禱書が制定されました。

でも,儀式はカトリック的なものを残していたので,イギリスのカルヴァン派はイギリス国教会をカトリック的な要素の残った不純なものとして,純化すべきだと考えたのです。そこで,pureからピューリタンと呼ばれました。

この映画でも,クロムウェルが教会でカトリック的な器物を見つけて激怒する場面が出てきます。

テューダー朝は,17世紀初頭にエリザベス1世が独身のままなくなり,断絶しました。

そこでスコットランド王ジェームズ6世が招かれて,イギリス王ジェームズ1世として即位し,ステュアート朝を開きました。しかし,彼はイギリスの状況をよく知らず,王権神授説を信奉して専制政治を行いました。

この映画でも出てきますが,王権神授説とは王の権力は神から与えられたもので,神聖なものであるという考えです。だから国民がとやかく言うべきではないという,国王にとって都合の良いものです。

彼の時代には,その専制政治に反発した人々を中心としたピルグリム・ファーザーズメイフラワー号でアメリカに渡りました。

ジェームズ1世の子チャールズ1世も専制政治を行い,議会が1628年に議会の認めない課税や不当な逮捕の停止を求めた権利の請願を発表しました。

この時代は,まだ王は専制君主ですから,王に「お願い」をしたのです。王はいったん認めておきながら,翌年議会を解散して11年間議会を開きませんでした。

しかし,スコットランドで反乱が起こり,その戦費を捻出する増税を認めさせるために議会が開かれましたが,拒否したため3週間で解散されたため,短期議会と呼ばれました。

再び開かれた会議も王の要求を認めず,ついにピューリタン革命が起こりました。この議会は1653年にクロムウェルによって解散させられるまで13年間開かれていたので,長期議会といいます。

また,当時は,囲い込みすなわちエンクロージャーが行われており,その様子がこの映画に出てきます。

領主が,土地を垣根や柵で囲って農民を追い出したのです。

15世紀から17世紀の第1次囲い込みはこれで,非合法で毛織物産業が発展したための牧羊が目的でした。

これに対して18世紀から19世紀の第2次囲い込みは,議会の承認を受けた合法的なもので,農業生産の合理化のためでした。これで仕事を失った農民たちは産業革命の労働者となっていきます。

今回は,この映画の前史,ピューリタン革命の前史を中心にお話ししました。

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