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映画は,アッシジの裕福な毛織物商の息子フランチェスコが,ペルージャとの戦闘に向かうところから始まります。
しかし,彼は病にかかって帰ってきて何日も寝込みます。小鳥のさえずりに目を覚ましたフランチェスコには,すべてがこれまでとは違って見えたのでした。
そんなある日,父親の毛織物作業場で過酷な労働に従事させられている人々の姿を見て,衝撃を受けます。
彼が窓から高価な毛織物を投げ出して貧しい人々に与えると,父親は激怒して,彼をアッシジの司教の前に連れて行き,実の息子から受けた損害を訴えました。
フランチェスコは,父親にすべてを返すと言って服を脱ぎ捨てて渡し,親子の縁を切り,全裸のまま町の門から出て行きます。
彼はぼろの僧服を着て,廃墟となっていたサン・ダミアノ教会を再建することにしました。
すると,最初は彼を連れ戻そうとした友人たちも,どんどん仲間に加わり,さらにキアラという娘も参加します。
しかし,司教の指示で彼らが再建した教会は焼かれ,仲間の1人が殺されました。フランチェスコは,仲間とともにローマの教皇に会いに行くことにしました。
教皇インノケンティウス3世に面会を許されたフランチェスコは,清貧の思想を訴えます。教皇はその言葉に打たれ,フランチェスコの汚れた足に接吻したのです。
そして,彼らはふるさとに帰っていくのでした。映画はここで終わりますが,実際のフランチェスコの苦悩は続きます。
彼らは各地に布教を行いました。やがてフランチェスコは人々の尊敬をうけるようになり,さまざまなエピソードも生まれました。
有名なのは彼が小鳥にも説教を行ったと言うものです。アッシジのサン・フランチェスコ大聖堂の壁にジョットがフランチェスコの生涯を描いた28枚の連作がありますが,そのうちの最も有名な作品が「小鳥に説教する聖フランチェスコ」です。
彼らの集団には入会希望者が増えていきました。アッシジの貴族の娘であったキアラが入会して女子修道会が生まれたのは,実際には教皇に面会したのちのこの頃です。
さらにフランチェスコはエジプトにわたり,アイユーブ朝のスルタンに面会して改宗を勧めたそうです。
しかし,帰国したフランチェスコは彼の集団が大きく変わっていたのを目にします。寄進を受けた建物のなかで学問の研究をしていたのです。
彼は清貧については徹底した考えをもっており,物質的な貧しさだけでなく精神的な貧しさも必要だと考え,学問研究など信仰生活には無縁のものと考えていました。
しかし,彼の仲間はすでに大きな集団となり,さまざまな人々が集まってきました。結局彼は総長の職を譲り,隠棲します。
そして,彼にはイエスが十字架に架けられた時についた傷,すなわち聖痕が現れたとされるようになります。彼は40歳過ぎに故郷で亡くなりました。
映画が公開された1970年代当時はちょうどカウンターカルチャーの時代で,フランチェスコの清貧の生き方は時代の風潮に通ずるものがありました。
音楽は「サンシャイン・スーパーマン」や「メロー・イエロー」などのヒットを出したドノヴァンが担当しています。彼はさまざまなジャンルの音楽をとり入れて曲を作っていますが,この映画のなかで歌われるのは,とても繊細でシンプルな曲ばかりです。
でも今聞くとやはり時代を感じます。
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