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この映画が公開された1961年という時代を考えてみましょう。
第二次世界大戦・太平洋戦争が終結して2年後,1947年にはトルーマン・ドクトリンが発表され,いわゆる冷戦が始まりました。
1948年から49年にはベルリン封鎖で東西の緊張は高まりました。その最中にアメリカ側の軍事同盟である北大西洋条約機構,NATOが成立します。
1950年から53年の朝鮮戦争では,「国連軍」の名でアメリカ軍が大韓民国側を支援し,前年に建国したばかりの中華人民共和国は義勇軍という形で北の朝鮮民主主義人民共和国を支援して参戦しました。1953年に板門店で休戦協定が結ばれました。
この間,日本は1947年に戦争放棄を定めた日本国憲法を制定しましたが,朝鮮戦争中に警察予備隊が創設され,保安隊を経て,1954年には自衛隊として事実上の再軍備が行われました。
1951年にはサンフランシスコ講和会議で平和条約が結ばれましたが,ソ連や東欧諸国は加わらず,平和条約締結と同時に日米安全保障条約が結ばれ,日本はアメリカ中心の反共軍事同盟に組み込まれます。
朝鮮戦争のさいにアメリカはさまざまな軍事物資を日本で調達したため,特需景気が起こり,その後の日本の高度経済成長のきっかけになりました。
また,第二次世界大戦末期にはアメリカが原爆を開発し,広島・長崎に使用しました。1949年にはソ連も開発に成功し,アメリカは52年には水爆実験に成功,翌年ソ連も成功しています。
1954年には,ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で,日本の漁船第五福竜丸が被爆して犠牲者が出ました。これによって原水爆禁止運動も高まりました。
現在も作り続けられている「ゴジラ」の最初の映画はこの年に公開され,公開当時のポスターには「水爆大怪獣映画」と書かれていました。
その後は,子供に人気のあるキャラクターになっていきますが,当初は核兵器の恐怖を怪獣に置き換えたものだったのです。
1955年にはソ連側の軍事同盟であるワルシャワ条約機構が結成されますが,ジュネーヴ4巨頭会談が開かれて,東西冷戦は「雪解け」と呼ばれる時期を迎えました。
翌年,ソ連のフルシチョフが,アメリカを中心とする資本主義諸国とソ連を中心とする社会主義諸国の平和共存を発表しました。
しかし,1961年のこの映画の公開直前,突然東西ベルリンの間に壁が建設され,冷戦を象徴する建造物になりました。
そして,翌年の1962年には現実に映画のような事態となりました。
1959年に革命が起こり,社会主義国となったキューバにソ連がミサイル基地を建設し,アメリカが反発してキューバ危機が起こったのです。
この時期にはアメリカでも同じようなテーマで映画が作られています。例えば1959年の「渚にて」は核戦争が起きたあとの世界を描いた作品です。
核の抑止力による平和は,史上最大の勢力均衡です。勢力均衡は力のバランスで平和を維持する方法です。
核兵器を使うと,報復攻撃を受けて共倒れになるので使えない。そこで戦争を抑止する力になるというのが,核の抑止力です。
したがって,核兵器を廃絶すると世界が平和になるというわけには,必ずしもいきません。
また,勢力均衡はどこかで小競り合いが起こると,それが全体を巻きこむことになる恐れがあります。
世界の平和はその危険性をつねにはらんでいるというのは,今回の北朝鮮問題で世界の人々があらためて認識することになったのではないでしょうか。
この映画のようなことが起こらないことを願うしかありません。
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