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この映画で饕餮(とうてつ)に都まで攻め込まれる宋は,実際の歴史ではある意味,饕餮以上の勢力に滅ぼされました。
前々回書いたように,宋の前の五代の時代に,北方の契丹の遼が後晋の建国を助けた代償に,現在の北京を含む16の町,燕雲十六州を獲得していました。したがって異民族との境界は,長城よりずっと南にまで下がっていました。
宋は五代の最後の後周の武将趙匡胤が建国しました。
趙匡胤すなわち宋の初代皇帝太祖は,唐の末期から五代の時代の混乱の元凶を,節度使が地方で自立して軍閥化した藩鎮であると考えました。
そこで藩鎮の力を骨抜きにしようと,文治主義をとりました。武官に対して文官を優位に置く,いまふうに言うとシビリアンコントロールです。ここに君主独裁体制のしくみが成立しました。
しかし,その結果,宋は軍事的には弱体化してしまったのです。そこで,宋は周辺諸国に贈り物をすることで,何とか平和を維持しようとしました。
契丹の遼とは,1004年に宋の皇帝を兄,遼の皇帝を弟としつつも,毎年宋から遼に銀や絹をプレゼントすることを約束する澶淵の盟を結びました。
さらに,西方のタングートの西夏とは1044年に慶暦の和約を結んで,宋を君主,西夏を臣下としながら,やはり宋から西夏に銀や絹,そしてお茶を送ることを約束しました。
この負担や軍事費や官僚の給料のため宋は財政難に陥り,宰相王安石が新法という改革をやろうとすると,官僚たちの反発にあい,官僚は新法党と旧法党分かれて党争をくり返し,宋は弱体化していきます。
12世紀になると遼から自立して建国した女真の金が,いっしょに遼を滅ぼそうと宋に声をかけてきました。宋は,同意をしたものの遼と金の共倒れをねらっていました。
遼を滅ぼした金は,約束違反を理由に宋を攻撃し,都の開封を占領し,皇帝欽宗・上皇徽宗をはじめ多くの皇族を北方に拉致しました。
詳しくは書けませんが,宋の皇族や後宮の女性たちはひどい辱めを受けました。徽宗は,金の貴族たちが食事をする給仕をさせられたそうです。
これを靖康の変といい,いったん宋は滅ぼされたのですが,江南に逃れた欽宗の弟高宗が,杭州を都の臨安として宋を復興しました。これまでの宋を北宋,このあとの宋を南宋といいます。
南宋と金は1142年に淮河を国境とし,今回は金を主君,南宋を臣下として,やはり毎年プレゼントを贈るという,漢民族からすると屈辱的な和約を結んだのです。
「饕餮以上の勢力に滅ぼされた」という意味はこれでおわかりでしょう。だからといって,この映画の饕餮は金をなぞらえているというのは,深読みしすぎだとは思います。
その金も1234年(覚えやすい年号ですね)にモンゴルのオゴタイ=ハンに滅ぼされ,南宋もフビライ=ハンに滅ぼされて,中国はモンゴル人の元が支配することになります。
真打ち登場という感じです。
今回は,映画の解説ではなくほとんど宋と遼・西夏・金そして元の通史になってしまいました。
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