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第一次世界大戦後,ユーゴスラヴィアは,セルヴ・クロアート・スロヴェーン王国という名前で成立しました。「セルビア人とクロアティア人とスロヴェニア人の国」という名前が,そのあとの歴史を暗示しています。
国王のクーデタが起こり,国名は「南スラヴ人の地」すなわちユーゴスラヴィアとなりました。
第二次世界大戦が起こると,ナチス・ドイツの侵略を受けましたが,チトーの指導でパルチザン闘争を展開しました。
第二次世界大戦後,社会主義国家となったユーゴスラヴィアは,カリスマ的指導者チトーのもと,独自の社会主義をめざしました。
ソ連はこれに反発して,ユーゴスラヴィアをコミンフォルムから除名しました。
チトーはアメリカとソ連のどちらとも距離を置く第三世界のリーダーの一人となり,1961年には第1回の非同盟諸国首脳会議がユーゴスラヴィアの首都ベオグラードで開かれました。
チトーが1980年に亡くなり,さらにソ連が1991年に崩壊すると,中心を失い,共通の敵を失ったユーゴスラヴィアでは民族対立が激しくなります。
共通の敵を持ったとき集団は団結します。そこで各共和国の政治家たちは民族対立をあおり,自分たちの権力を確保しようとしたのです。
1991年にクロアティアとスロヴェニアが独立を宣言すると内戦が勃発し,翌年ボスニア・ヘルツェゴヴィナが独立を宣言し,内戦は激化しました。
ユーゴスラヴィアを表す言葉に,「7つの国境,6つの共和国,5つの民族,4つの言語,3つの宗教,2つの文字,1つの国家」というのがあります。
すなわち,ユーゴスラヴィアは周りを7か国と国境を接し,クロアティア,スロヴェニア,ボスニア・ヘルツェゴヴィナ,セルビア,モンテネグロ,マケドニアの6つの共和国からなってます。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナは,セルビア人・クロアティア人,さらにイスラーム教に改宗したボシュニャク人と呼ばれる人々の国なので,民族は全体で5つです。
宗教はカトリック・ギリシア正教・イスラーム教の3つ,文字はローマ字とキリル文字の2つ,そして国は一つというのです。
ユーゴスラヴィアの民族問題の縮図がボスニア・ヘルツェゴヴィナなのはわかりますね。
内戦の結果,ユーゴスラヴィアという国は完全に崩壊し,バラバラに解体しました。
それでも,ボスニア・ヘルツェゴヴィナは,民族対立をかかえたまま共和国として存続しているのです。
このような歴史を背景として,サライェヴォ事件のプリンチップの評価も時代とともに変化しました。
映画のなかで語られているように,最初の記念碑は暗殺されたフェルディナント夫妻を悼む記念碑でした。
ユーゴスラヴィアが成立するとプリンチップを英雄とする記念碑が建てられました。第二次世界大戦中には壊され,ヒトラーにプレゼントするため持ち去られたそうです。
さらに第二次世界大戦後は人民解放をめざした英雄として再び記念碑が建てられました。
プリンチップはセルビア人でした。したがって,現在でも彼がテロリストかそうでないのか,ボスニアで意見の対立があり,それがこの映画のインタビューでの議論なのです。
この映画の屋上でインタビュー番組が製作されている下では,経営難のホテルで一見無関係に展開されるホテルの支配人と労働者,さらに裏の世界の人間などのドラマは,この国の民族対立を象徴しているのでしょう。
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