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1953年,私が生まれて2週間ほどたった日に,ジャクリーン・ケネディは24歳で12歳年上の上院議員ジョン・F・ケネディと結婚しました。
結婚7年目の1960年,ケネディは大統領選挙で共和党のニクソンを僅差で破って当選し,翌年大統領に就任しました。ケネディは,アメリカ初のカトリック教徒の大統領として知られています。当然,ジャッキーもカトリック教徒の家庭で育ちました。
アメリカを中心とする資本主義諸国とソ連を中心とする共産主義諸国の冷戦は,1955年に前任大統領アイゼンハワーがジュネーヴ4巨頭会談に参加し,いったんは「雪どけ」を迎えていました。
しかし,1960年の大統領選挙運動中にモスクワでアメリカのU2型偵察機が撃墜されたことをきっかけに,アメリカとソ連は再び対立し,ケネディは就任後の1961年にはキューバへの侵攻計画ピッグス湾事件を起こして失敗します。
さらにこの年ベルリンの壁が建設され,翌年にはキューバ危機でソ連との対立が激化します。これは何とかソ連のフルシチョフの譲歩で,危機を脱し,1963年には両者の間にホットラインがひかれ,部分的核実験停止条約も成立させました。
一方で,ケネディはベトナムには特殊部隊を送り込んで介入を開始し,国内では黒人差別撤廃をめざす公民権運動が高まり,キング牧師の“I Have A Dream”の演説で有名なワシントン大行進が行われました。
こんな情勢の中で,ケネディは2期目の当選をめざして南部の支持を獲得するため,ジャッキーとともにテキサス州ダラスを訪れ,暗殺されるのです。
大統領としては2年10か月と2日の短い在任期間で,それがそのままジャッキーがファーストレディであった期間でした。
この映画はジャッキー中心の映画ですから,ケネディ大統領暗殺についての疑惑などにはほとんど触れません。
犯人として逮捕されたソ連への亡命歴のあるリー・ハーヴェイ・オズワルドは,2日後テレビの生中継中にジャック・ルピーに暗殺されました。
ジャック・ルピーの動機もはっきりしないもので,1964年に死刑判決を受け,獄中で1967年に死亡しました。
陰謀説の視点からケネディ暗殺事件を描いたのが,ドルトン・トランボの最後の脚本による1973年の「ダラスの熱い日」です。
また,オリバー・ストーンの「JFK」は,軍産複合体による陰謀説にたって真っ正面からこの問題を描いています。当時,この映画はアメリカで大きな問題となりました。
冒頭,ケネディとジャッキーを乗せた車が遊説に出かけるシーンのバックに流れる音声は前任のアイゼンハワー大統領の退任演説です。
軍産複合体,military-industrial complexとは軍需産業と軍部さらに政府機関が一体となったもので,アイゼンハワーがこの退任演説でアメリカを戦争に駆り立てるものとして警告したことで有名になりました。
軍需産業にとって,戦争またはその脅威がなければ商品の武器などが売れません。軍部はその存在理由が失われます。そこで,協力して戦争またはその脅威を作り出そうとする傾向をもつというわけです。
アメリカの政治を決定しているのが何かについては,いろんな説がありますが,大統領がその退任演説で指摘したことには説得力があります。
当時ケネディはベトナムから手を引こうとしていました。
そしてケネディの暗殺を目の前で目撃した後任のジョンソン大統領は,1965年に北ベトナムへの爆撃,すなわち北爆を開始してベトナム戦争を本格化させたのです。
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