今月見た映画(2017年4月)

スポンサーリンク

○はブログで取り上げた作品。●は取り上げなかった作品です。

●「デッドプール」2016

Amazonビデオで見ました。

歴史となーんの関係もありません。一連のマーベル・コミックの映画化のうち,R指定となった異色作品です。

配給にディズニーがかんでないので,残酷・下品が満載です。

●「ダラスの熱い日」1974

Amazonビデオで見ました。

ケネディ大統領暗殺を,6人の人物が共謀して,3人の暗殺チーム2組を訓練させ,オズワルドを暗殺者にしたてて実行する過程を,実写を挿入しながら淡々と描きます。

暗殺の動機については,黒人の躍進,ソ連や共産主義の脅威の危機感などが暗殺計画の中で語られますが,それには深入りしません。

6人の人物についても明らかにされないままです。脚本はドルトン・トランボで,彼の最後の作品です。

「ダラスの熱い日」という邦題はピンときません。ケネディが暗殺されたのは,11月ですし,この映画の暗殺を計画する人々はきわめて冷静です。原題は,“Executive Action(行政措置)”です。

○「ジャッキー ファーストレディ 最後の使命」2016

映画館で見ました。

http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/03/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/04/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/05/

●「グランド・イリュージョン」2013

Amazonビデオで見ました。

4人のマジシャンが大規模なトリックを仕掛けて,それを追うFBIを出し抜くストーリーですが,当然最後に大どんでん返しが用意されています。

まったく世界史とは関係ない,いやちょっとだけあります。古代から伝わる魔術のシンボルとして,古代エジプトの「眼」が出てきます。映画字体がトリックですから何でもできますよね。

●「ゴースト・イン・ザ・シェル」2017

映画館で見ました。

世界史とは関係ないというか,一応未来の話です。有名なアニメの実写化です。

日本人の主人公役をスカーレット・ヨハンソンがやることについて批判がありました。それより,桃井かおりが英語を話すのに,北野武だけ日本語で,しかも棒読みのセリフである意図が分かりません。

機械化されて記憶を消された主人公が,それを取り戻すために戦うというストーリー自体は,別に新しいわけではなく,背景となる世界観が重要なのですが,SF映画の金字塔「ブレード・ランナー」の世界を発展させたような都市の姿は,なぜだか薄っぺらな印象でした。

ただ,今「ブレード・ランナー」を改めてみると,未来というより過去の都市の映像のように感じるでしょう。

それよりなにより,スカーレット・ヨハンソンの体のラインが,着ぐるみを着たようだったのが,いちばん残念でした。

この作品の元のアニメの続編が「イノセンス」で,これについては以前私が書いていますので,ご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/romanee78/e/a8fd98f88b0b01e739de226f40b5cced

○「バーフバリ」 2015

映画館で見ました。

http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/09/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/10/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/11/

○「サラエボの銃声」 2014

映画館で見ました。

http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/12/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/13/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/14/

○「グレートウォール」 2017

映画館で見ました。

http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/15/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/16/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/17/

○「世界大戦争」 1961

北朝鮮のミサイル発射映像を見て思い出しました。
DVDで見ました。

http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/20/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/21/

○「黒船」 1958

DVDで見ました。
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/23/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/04/24/

私の参考書です。CDの声は女性のナレーターです。

聴くだけ世界史(古代~近代へ)    聴くだけ世界史(近現代)

スポンサーリンク

黒船」(2) ハリス,ヒュースケン,斎藤きち,井上清直,徳川家定,徳川家茂,ジョン・ウェイン

スポンサーリンク

この映画が製作された時代を考えると,今風に言えばホワイトウォッシング,つまり日本人の役を白人の俳優が演じたり,日本をステレオタイプの変な描き方をしてるのではないかと思えますが,監督が「天地創造」や「白鯨」の巨匠ジョン・ヒューストンだけに意外とちゃんと撮っています。

日本の京都や奈良でロケを行って,日本人俳優を使い,日本人は日本語で話しています。監督として有名な衣笠貞之助など,日本人スタッフも多く協力しています。

通辞のヘンリー・ヒュースケンの日本語もほぼ正確です。ただし,ヒュースケンはオランダ人で,当時の日本ではオランダ語が外交の言語でしたから,最初はオランダ語で話しているはずです。

山村聡が演じている下田奉行田村左右衛門守が英語がペラペラだったするのは,架空の人物ですし仕方がないでしょう。

もちろん変なところはあり,江戸の寺が明らかに東大寺で,仁王像や大仏が出てきます。

また,黒田節を編曲したBGMが流れるのはご愛敬としても,芸者お吉が宴会で「叱られて」を歌うのはあり得ないでしょう。

まず芸者が宴会で歌う歌として変ですし,しかも「叱られて」はのちの1920年に雑誌で発表された童謡です。なお,タウンゼント・ハリスとヘンリーの前で歌う「とうりゃんせ」は江戸時代からのわらべうたです。

当時,実際に下田奉行としてハリスと対応したのは井上清直で,徳川家定への謁見を実現し,日米修好通商条約締結の全権となり,さらに外国奉行としてロシア・フランス・イギリスとも通商条約を締結しています。

ハリスは敬虔なクリスチャンで一生独身でした。

お吉は本当は斎藤きちという女性で,ハリスが体調を崩したさいに看護婦の派遣を要請したのですが,日本側は看護婦の意味が分からず,芸者のきちを派遣したようです。

しかし,ハリスはきちを気に入らなかったのか,すぐに送り返しています。その期間は,3日あるいは3か月と言われています。

もちろん,映画のように江戸まで同行したと言うことはありません。

その後,きちは芸者に戻ったのですが,外人に身を任せたとして差別を受け,幼なじみと所帯を持ちますがそれもうまくいかず,アルコール中毒となって最後は自殺するという不幸な女性でした。

1928年に十一谷義三郎が発表した小説『唐人お吉』で有名になり,1930年には溝口健二監督でサイレント映画になりました。

通辞ヘンリー・ヒュースケンは,1861年に日本で暗殺されています。その時彼は28歳でした。

この映画では老人として登場しますが,実際は青年だったのです。主役のジョン・ウェインを目立たせる配慮だったのでしょう。

ハリスに謁見した将軍は第13代徳川家定で,病弱で凡庸な将軍だったとされており,謁見の翌年35歳で死去しました。

この映画に出てくる将軍は,ハリスが持参したイスや望遠鏡に興味を示す少年のように描かれています。

これは家定の次の第14代徳川家茂を投影したのではないでしょうか。この家茂と結婚したのが有名な和宮です。

しかし,有能な将軍として期待されていた家茂も,20歳で夭折してしまいます。

なお,ジョン・ウェインは,1979年に72歳でなくなりました。その原因は,ウェインがチンギス・ハンを演じた「征服者」を1955年に撮ったとき,ネバダ核実験場の風下でロケをして被爆したためとする研究もあります。

スポンサーリンク

「黒船」(1) 日本の「開国」

スポンサーリンク

この映画は,1858年の日米修好通商条約100年の年1958年のハリウッド映画です。

主演は西部劇のイメージの強いジョン・ウェインで,日米修好通商条約を結ぶことに成功したハリスを演じます。

そのハリスのもとに下田奉行から命じられて仕えたお吉,いわゆる唐人お吉を日本人女優安藤永子が演じています。安藤永子は,ニューヨークのプレミアにまで出席していますが,この作品以外の出演作の情報がほとんどありません。

原題は“The Barbarian and the Geisha”です。アメリカ人が自嘲的にでも「野蛮人」というタイトルをつけているのは,ちょっと注目されます。しかし,「黒船」という日本のタイトルは,ペリーを連想させて安易ですし,センスに欠けます。

物語は,1856年にハリスが通辞のヘンリーと従者を連れて,突然黒船でやってきて下田に小舟で上陸したことに始まります。

下田奉行の田村左右衛門守は,かれらに宿舎を提供し,幕府に対応を問い合わせます。幕府は協議する間,下田に留め置くことを命じます。

そこで下田奉行がハリスらをもてなす宴会で,ハリスは芸者のお吉と出会います。下田奉行はお吉を身の回りの世話のためにハリスのもとに送り込み,ハリスも日本側の動向を探るため,お吉をそばに置くことにします。

やがてアメリカの黒船が再びやってきたのですが,その船にはコレラの患者が乗っていて,制止を振り切って上陸してしまいます。

そのため下田にコレラが蔓延し,ハリスはお吉とともに住民たちの看病に奮闘します。当時コレラの治療法は分かっておらず,しかたなくコレラにかかった者の家を焼く払うことで感染を防ごうとします。

最初は抵抗していた村人も,最後にはハリスに感謝します。下田奉行もこれで借りができたとして,江戸に向かう手はずを整えてくれました。

ハリスはお吉らとともに江戸に向かい,将軍に謁見するものの,幕府内部は開国派と攘夷派に別れて対立し,暗殺事件まで起こります。

下田奉行田村も攘夷派の重臣から命じられ,いったん下田に戻ったハリスの暗殺に向かいますが,お吉の機転によって失敗し,自害します。

お吉は責任を感じてハリスのもとを去りました。結局,日米修好通商条約は締結されることになり,そのため江戸に向かうハリスの姿をお吉は陰から見送るのでした。

さて,入試的には最近世界史でも日本史を重視しようという傾向があります。将来的には日本史と世界史を一つにした教科も作られるそうです。

1853年にアメリカ東インド艦隊のペリーが大統領フィルモアの国書を持って浦賀に来航し,いったん退去したのち,翌年に再び来航して日米和親条約江戸幕府と結びました。

この条約で下田箱館を開港することになっていたので,1956年にハリスが下田に来て,翌年日米修好通商条約を結びます。

これは開港場と領事裁判権関税自主権放棄などを含む不平等条約でした。同年,オランダ・ロシア・イギリス・フランスとも同じような内容の条約を結びました。

しかし,このとき江戸幕府が独断で調印したため,討幕運動が高まります。

そして第15代将軍徳川慶喜は軍制改革や政治改革に取り組んだものの,1967年に大政奉還で天皇に政権を返し,明治維新となります。

1889年には大日本帝国憲法が発布され,翌年第1回帝国議会が開催されました。

その開催直前には何かと話題になっている教育勅語が発布されています。

日本の「開国」については,世界史ではこれくらいでしょう。

スポンサーリンク

「世界大戦争」(2) 東西対立と核兵器,核の抑止力

スパンサーリンク

この映画が公開された1961年という時代を考えてみましょう。

第二次世界大戦太平洋戦争が終結して2年後,1947年にはトルーマン・ドクトリンが発表され,いわゆる冷戦が始まりました。

1948年から49年にはベルリン封鎖で東西の緊張は高まりました。その最中にアメリカ側の軍事同盟である北大西洋条約機構,NATOが成立します。

1950年から53年の朝鮮戦争では,「国連軍」の名でアメリカ軍が大韓民国側を支援し,前年に建国したばかりの中華人民共和国義勇軍という形で北の朝鮮民主主義人民共和国を支援して参戦しました。1953年に板門店休戦協定が結ばれました。

この間,日本は1947年に戦争放棄を定めた日本国憲法を制定しましたが,朝鮮戦争中に警察予備隊が創設され,保安隊を経て,1954年には自衛隊として事実上の再軍備が行われました。

1951年にはサンフランシスコ講和会議平和条約が結ばれましたが,ソ連や東欧諸国は加わらず,平和条約締結と同時に日米安全保障条約が結ばれ,日本はアメリカ中心の反共軍事同盟に組み込まれます。

朝鮮戦争のさいにアメリカはさまざまな軍事物資を日本で調達したため,特需景気が起こり,その後の日本の高度経済成長のきっかけになりました。

また,第二次世界大戦末期にはアメリカが原爆を開発し,広島・長崎に使用しました。1949年にはソ連も開発に成功し,アメリカは52年には水爆実験に成功,翌年ソ連も成功しています。

1954年には,ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験で,日本の漁船第五福竜丸が被爆して犠牲者が出ました。これによって原水爆禁止運動も高まりました。

現在も作り続けられている「ゴジラ」の最初の映画はこの年に公開され,公開当時のポスターには「水爆大怪獣映画」と書かれていました。

その後は,子供に人気のあるキャラクターになっていきますが,当初は核兵器の恐怖を怪獣に置き換えたものだったのです。

1955年にはソ連側の軍事同盟であるワルシャワ条約機構が結成されますが,ジュネーヴ4巨頭会談が開かれて,東西冷戦は「雪解け」と呼ばれる時期を迎えました。

翌年,ソ連のフルシチョフが,アメリカを中心とする資本主義諸国とソ連を中心とする社会主義諸国の平和共存を発表しました。

しかし,1961年のこの映画の公開直前,突然東西ベルリンの間に壁が建設され,冷戦を象徴する建造物になりました。

そして,翌年の1962年には現実に映画のような事態となりました。

1959年に革命が起こり,社会主義国となったキューバにソ連がミサイル基地を建設し,アメリカが反発してキューバ危機が起こったのです。

この時期にはアメリカでも同じようなテーマで映画が作られています。例えば1959年の「渚にて」は核戦争が起きたあとの世界を描いた作品です。

核の抑止力による平和は,史上最大の勢力均衡です。勢力均衡は力のバランスで平和を維持する方法です。

核兵器を使うと,報復攻撃を受けて共倒れになるので使えない。そこで戦争を抑止する力になるというのが,核の抑止力です。

したがって,核兵器を廃絶すると世界が平和になるというわけには,必ずしもいきません。

また,勢力均衡はどこかで小競り合いが起こると,それが全体を巻きこむことになる恐れがあります。

世界の平和はその危険性をつねにはらんでいるというのは,今回の北朝鮮問題で世界の人々があらためて認識することになったのではないでしょうか。

この映画のようなことが起こらないことを願うしかありません。

スポンサーリンク

「世界大戦争」(1) 核戦争の恐怖

スポンサーリンク

最近,北朝鮮の4基のミサイルが同時に発射されるニュース映像を見て,どこかで見たような気がしました。

それで思い出して見たのが1961年に製作された「世界大戦争」という日本映画です。

このなかで,ミサイルが次々と発射される特撮のシーンがあるのですが,あのニュース映像そっくりです。

特撮を担当したのは,「ゴジラ」や「ウルトラマン」シリーズなどで有名な円谷英二です。

物語は戦後16年,復興した日本が舞台です。まさに当時の「今の日本」です。

世界は,核武装した同盟国と連邦国の2つ陣営に分かれて対立しています。映画でははっきり言いませんが,同盟国側はソ連側,連邦側はアメリカ側のようです。

北大西洋で行われていた同盟国側の軍事演習に,連邦国の潜水艦が侵入し,捕獲されたことで両陣営が緊張します。

やがて朝鮮半島の南北朝鮮を分ける38度線で軍事衝突が起こり,小型の核兵器が使用され,第三次世界大戦勃発の危険性が高まります。

日本では,連日報道されるニュースに,人々は戦争の恐怖を感じながらも,そんなことにはならないだろうと楽観的に考え,みんなごく普通の日常生活を送っています。

日本政府は平和を維持し,再び核兵器が使われないようにと外交努力を重ねます。

やがて38度線で停戦協定が結ばれ,戦争の危機が去ったと思われたとき,ベーリング海で両陣営の戦闘機同士の戦闘が起こり,ついに全面戦争が始まります。

ミサイル攻撃を恐れて逃げ惑う人々で日本は大混乱となりますが,ミサイル到達までわずかな時間しかなく,東京は核ミサイルによって一瞬のうちに破壊されます。

世界中の都市ニューヨーク,モスクワ,パリ,ロンドンなどもミサイル攻撃で破壊され,世界は終わりを迎えます。

映画のなかでは,38度線での核兵器使用,ベーリング海での戦闘機同士の戦闘など,なぜ起こったのかというような説明はまったくありません。それは国際情勢と普通の人々の生活との対比を中心に描こうとしたからだと思います。

50年以上前の映画ですが,現在の国際情勢に似ていると思いませんか。

軍事演習中の事件から両者が対立し,しかも武力衝突が朝鮮半島でまず起こるところなど,気持ちが悪いくらいです。

連日,緊迫する国際情勢がニュースで放送されていても,ほとんどの人はそんなことにはまさかならないだろうと,恋愛や日々の雑事に追われている,でもひとたびミサイルのボタンが押されると,取り消しのつかない事態になるのです。

この映画の戦車や戦闘機はいかにもミニチュアで,ミサイル発射装置の機器も玩具のようですが,それでも,今のわれわれの置かれている状況を考えさせられます。

この映画は受験生に見ることはあまり勧められません。

でも,次回は,この映画の作られた1961を中心として世界と日本について受験的にまとめてみたいと思います。

スポンサーリンク

「グレートウォール」(3) 宋・遼・西夏・金・元

スポンサーリンク

この映画で饕餮(とうてつ)に都まで攻め込まれるは,実際の歴史ではある意味,饕餮以上の勢力に滅ぼされました。

前々回書いたように,宋の前の五代の時代に,北方の契丹後晋の建国を助けた代償に,現在の北京を含む16の町,燕雲十六州を獲得していました。したがって異民族との境界は,長城よりずっと南にまで下がっていました。

宋は五代の最後の後周の武将趙匡胤が建国しました。

趙匡胤すなわち宋の初代皇帝太祖は,の末期から五代の時代の混乱の元凶を,節度使が地方で自立して軍閥化した藩鎮であると考えました。

そこで藩鎮の力を骨抜きにしようと,文治主義をとりました。武官に対して文官を優位に置く,いまふうに言うとシビリアンコントロールです。ここに君主独裁体制のしくみが成立しました。

しかし,その結果,宋は軍事的には弱体化してしまったのです。そこで,宋は周辺諸国に贈り物をすることで,何とか平和を維持しようとしました。

契丹の遼とは,1004年に宋の皇帝を兄,遼の皇帝を弟としつつも,毎年宋から遼にをプレゼントすることを約束する澶淵の盟を結びました。

さらに,西方のタングート西夏とは1044年に慶暦の和約を結んで,宋を君主,西夏を臣下としながら,やはり宋から西夏に銀や絹,そしてお茶を送ることを約束しました。

この負担や軍事費や官僚の給料のため宋は財政難に陥り,宰相王安石新法という改革をやろうとすると,官僚たちの反発にあい,官僚は新法党旧法党分かれて党争をくり返し,宋は弱体化していきます。

12世紀になると遼から自立して建国した女真が,いっしょに遼を滅ぼそうと宋に声をかけてきました。宋は,同意をしたものの遼と金の共倒れをねらっていました。

遼を滅ぼした金は,約束違反を理由に宋を攻撃し,都の開封を占領し,皇帝欽宗・上皇徽宗をはじめ多くの皇族を北方に拉致しました。

詳しくは書けませんが,宋の皇族や後宮の女性たちはひどい辱めを受けました。徽宗は,金の貴族たちが食事をする給仕をさせられたそうです。

これを靖康の変といい,いったん宋は滅ぼされたのですが,江南に逃れた欽宗の弟高宗が,杭州を都の臨安として宋を復興しました。これまでの宋を北宋,このあとの宋を南宋といいます。

南宋と金は1142年に淮河を国境とし,今回は金を主君,南宋を臣下として,やはり毎年プレゼントを贈るという,漢民族からすると屈辱的な和約を結んだのです。

「饕餮以上の勢力に滅ぼされた」という意味はこれでおわかりでしょう。だからといって,この映画の饕餮は金をなぞらえているというのは,深読みしすぎだとは思います。

その金も1234年(覚えやすい年号ですね)にモンゴルのオゴタイ=ハンに滅ぼされ,南宋もフビライ=ハンに滅ぼされて,中国はモンゴル人のが支配することになります。

真打ち登場という感じです。

今回は,映画の解説ではなくほとんど宋と遼・西夏・金そして元の通史になってしまいました。

スポンサーリンク

「グレートウォール」(2) 饕餮(とうてつ),中国の古代文明,スタートレック

スポンサーリンク

饕餮(とうてつ)は,古代中国の怪物です。からの時代の青銅器には,饕餮文と呼ばれる奇怪な文様が刻まれていることがあります。

饕餮は体が牛または羊で人間の顔を持ち,何でも食べる貪欲な存在だったのですが,そのことから魔物もたべると考えられるようになり,魔除けのシンボルともなりました。

殷や周の時代には,王が神の意志を占って政治を行う神政政治でした。

殷後期の都の遺跡である殷墟から,たくさんの獣の骨や亀の甲羅が発掘され,最初は何か分からず,龍の骨として漢方薬に使われていたらしいですが,それらに刻まれていたのが漢字の先祖にあたる甲骨文字で,神の意志を占うために使われたものだということが分かったのです。

そこで,王の権威を示す儀式に使われる青銅器に,恐れられると同時に守護神でもある饕餮が刻まれたのでしょう。

また,以前はよく4大文明として,エジプト文明メソポタミア文明インダス文明黄河文明をあげていました。4大文明自体,当時もっとたくさんの古代文明が存在していたことが明らかになるにつれ,あまり言わなくなりました。

それはともかく,中国の古代文明は,黄河文明と呼ばれていました。黄河流域で繁栄していたから黄河文明で,前期は仰韶文化,後期が竜山文化と呼ばれます。

しかし,長江流域にも古代文明が存在したことがだんだん分かってきて,現在では教科書などは中国文明という表現を使い,それを黄河文明と長江文明に分けます。

長江文明には,仰韶文化と同時期の河姆渡遺跡が見つかり,竜山文化と同時期の良渚文化,そして殷と時期が重なる三星堆文化などがあります。

この三星堆文化では,やはり青銅器が発達したのですが,そのデザインは饕餮文以上に独特で, 眼が飛び出している奇怪な仮面が出土しています。

正確には眼ではなく瞳が飛び出しているのです。しかも巨大なもので,とても顔にはつけることができません。

おそらく,当時は誰でもわかる自明の意味があったのでしょう。でも今は誰にも分かりません。おそらく歴史上のさまざまな解釈は後世の人がまったく誤解しているものもあるでしょうし,今われわれにとって当たり前のことでも,何百年か何千年か経てば,まったく意味が分からなくなるのかもしれません。

この映画の饕餮は,女王の指令を受けて行動しているので,強力な磁石を近づけるとその指令が伝わらなくなり,おとなしく寝てしまうという設定になっています。

皆さんは,蜂や蟻を連想したかもしれませんが,私はアメリカのテレビシリーズのスタートレックを思い出しました。

いくつかシリーズがあるのですが,1980年代から90年代に放送され,映画化もされているネクストジェネレーションシリーズにボーグという宇宙生命体が出てきます。

やはりボーグ・クィーンと呼ばれる女王の指令ですべてのドローンと呼ばれる生命体がコントロールされており,個々のメンバーには個としての意識はないのです。そして異文化の知識や技術をどんどん吸収するために侵略をくり返す存在です。

もちろん,これにも元ネタらしきものはあるのですが,この映画の制作者たちが参考にしたのはたぶん間違いないでしょう。

スポンサーリンク

「グレートウォール」(1) 秦の長城と明の長城,ノルマンコンクェスト

スポンサーリンク

「グレートウォール」は,万里の長城のことです。

http://greatwall-movie.jp/

中国の万里の長城を舞台とした映画で,主演がマット・ディモン,いったいどんな映画だろうと思いますね。

中国とアメリカの資本で作られ,監督が中国,主演俳優がアメリカ,共演の俳優やエキストラは中国・香港・台湾,撮影などのスタッフはハリウッドと,最近の映画産業を象徴するような体制です。ちなみに共演者のなかには,中国のアイドルも複数出演しています。

ところで,最近アメリカでは白人以外の登場人物を白人が演ずることをホワイトウォッシングとして批判する風潮があります。確かに,そういう例は多く,「ゴースト・イン・ザ・シェル」も批判を受けました。

ちょっと古いですが,オードリ・ヘップバーンの「ティファニーで朝食で」で,白人のミッキー・ルーニーがステレオタイプな日本人役を演じたのが例としてよくあげられます。なかにはジョン・ウェインがチンギス・ハンを演じた「征服者」という映画もあります。

この「グレート・ウォール」はヨーロッパで傭兵として暮らしていた人物が,仲間ととともに一攫千金を夢見てヨーロッパにはまだなかった黒色火薬を求めて,万里の長城にたどりつくという物語ですから,設定がいかに荒唐無稽だとしてもホワイトウォッシングには当たらないでしょう。

万里の長城は,始皇帝戦国時代がすでに造っていたものをつなぎ合わせて修築しました。そのときは版築という方法で造られ,北方の騎馬遊牧民であった匈奴に対する防衛のために建設されました。

現在の石造の万里の長城は,ずっとのちの14世紀に成立したの時代のもので,場所は秦のものよりずっと南にあります。

明は,モンゴル人を北方に追いやって建国した漢民族の王朝です。北方に追いやった北元と呼ばれたモンゴル人の国は滅ぼしましたが,その後再びモンゴル人のオイラト韃靼に圧迫され続けました。

一時,明の皇帝の正統帝はオイラトの指導者エセンの捕虜になっています。このように北方の民族に苦しめられたことを北虜と言います。同時期に海上で暴れ回った海賊の倭寇の活動に苦しんだこととと合わせて,北虜南倭ともいいます。

しかし,この映画の時代は,中国の都が汴梁と画面に表示されましたから,開封のことでしょう。したがって代ということになります。

主人公が自分の経験を語るさいに,ハロルド2世の名をあげました。ハロルド2世は,1066年にヘースティングスの戦いに敗れて戦死したイングランド王です。

勝利したウィリアムは,ノルマン朝を建ててウィリアム1世として即位しました。これをノルマンコンクェストといいます。やはり時代的に符合します。

しかし,宋代には北方民族の契丹に現在の北京を含む燕雲十六州を支配されていました。したがって長城が中国と北方民族の最前線ではありませんでした。

この映画では中国の長城が,北方民族に対する防衛のためではなく,無数の饕餮(とうてつ)と呼ばれる怪物が60年ごとに襲ってくるのを防ぐために作られたという設定になっています。したがって,秦でも明でもなく宋という時代が選ばれたのでしょう。

スポンサーリンク

「サラエヴォの銃声」(3) ユーゴスラヴィアの歴史,ユーゴスラヴィア内戦

スポンサーリンク

第一次世界大戦後,ユーゴスラヴィアは,セルヴ・クロアート・スロヴェーン王国という名前で成立しました。「セルビア人とクロアティア人とスロヴェニア人の国」という名前が,そのあとの歴史を暗示しています。

国王のクーデタが起こり,国名は「南スラヴ人の地」すなわちユーゴスラヴィアとなりました。

第二次世界大戦が起こると,ナチス・ドイツの侵略を受けましたが,チトーの指導でパルチザン闘争を展開しました。

第二次世界大戦後,社会主義国家となったユーゴスラヴィアは,カリスマ的指導者チトーのもと,独自の社会主義をめざしました。

ソ連はこれに反発して,ユーゴスラヴィアをコミンフォルムから除名しました。

チトーはアメリカとソ連のどちらとも距離を置く第三世界のリーダーの一人となり,1961年には第1回の非同盟諸国首脳会議がユーゴスラヴィアの首都ベオグラードで開かれました。

チトーが1980年に亡くなり,さらにソ連が1991年に崩壊すると,中心を失い,共通の敵を失ったユーゴスラヴィアでは民族対立が激しくなります。

共通の敵を持ったとき集団は団結します。そこで各共和国の政治家たちは民族対立をあおり,自分たちの権力を確保しようとしたのです。

1991年にクロアティアスロヴェニアが独立を宣言すると内戦が勃発し,翌年ボスニア・ヘルツェゴヴィナが独立を宣言し,内戦は激化しました。

ユーゴスラヴィアを表す言葉に,「7つの国境,6つの共和国,5つの民族,4つの言語,3つの宗教,2つの文字,1つの国家」というのがあります。

すなわち,ユーゴスラヴィアは周りを7か国と国境を接し,クロアティア,スロヴェニア,ボスニア・ヘルツェゴヴィナ,セルビアモンテネグロマケドニアの6つの共和国からなってます。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナは,セルビア人・クロアティア人,さらにイスラーム教に改宗したボシュニャク人と呼ばれる人々の国なので,民族は全体で5つです。

宗教はカトリックギリシア正教イスラーム教の3つ,文字はローマ字キリル文字の2つ,そして国は一つというのです。

ユーゴスラヴィアの民族問題の縮図がボスニア・ヘルツェゴヴィナなのはわかりますね。

内戦の結果,ユーゴスラヴィアという国は完全に崩壊し,バラバラに解体しました。

それでも,ボスニア・ヘルツェゴヴィナは,民族対立をかかえたまま共和国として存続しているのです。

このような歴史を背景として,サライェヴォ事件のプリンチップの評価も時代とともに変化しました。

映画のなかで語られているように,最初の記念碑は暗殺されたフェルディナント夫妻を悼む記念碑でした。

ユーゴスラヴィアが成立するとプリンチップを英雄とする記念碑が建てられました。第二次世界大戦中には壊され,ヒトラーにプレゼントするため持ち去られたそうです。

さらに第二次世界大戦後は人民解放をめざした英雄として再び記念碑が建てられました。

プリンチップはセルビア人でした。したがって,現在でも彼がテロリストかそうでないのか,ボスニアで意見の対立があり,それがこの映画のインタビューでの議論なのです。

この映画の屋上でインタビュー番組が製作されている下では,経営難のホテルで一見無関係に展開されるホテルの支配人と労働者,さらに裏の世界の人間などのドラマは,この国の民族対立を象徴しているのでしょう。

スポンサーリンク

「サラエヴォの銃声」(2) サライェヴォ事件

スポンサーリンク

オーストリアの帝位継承者フランツ・フェルディナントは,当時のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの子ではなく,皇帝の弟カール・ルードヴィッヒの子でした。皇帝と美貌で有名な皇妃エリザベートの間の子ルドルフは,心中事件を起こしてすでに亡くなっていました。

フェルディナントはオーストリア帝国軍の総司令官として,ボスニア・ヘルツェゴヴィナで行われる軍事演習の視察に,妻のゾフィーとともにやって来ることになりました。

そこで,セルビアの秘密結社黒手団は,数人のメンバーをサライェヴォに送り込んだのです。

陸軍の演習を視察したあと,フェルディナントとゾフィーは随行員とともに,サライェヴォの市役所で開かれる歓迎式典に6台の車でパレードしました。ある橋にさしかかったとき,突然沿道の群衆のなかから黒手団のメンバーの青年チャブリノヴィッチが爆弾を投げつけました。

爆弾はフェルディナント夫妻の車ではなく,後続の車に当たって爆発しました。随行員は重傷を負いましたが,夫妻には別状なかったので,そのまま車列は市庁舎に向かい,式典を済ませました。

そのあとの予定はキャンセルされ,負傷した随行員の見舞いに行くことになりました。

ところが夫妻の車の運転手が予定の変更を聞かされていなかったため,途中で引き返すことになり,スピードを緩めたのです。

そのチャンスに黒手団のもう一人のメンバーのガヴリロ・プリンチップが拳銃で数発発射しました。ゾフィーはほぼ即死状態となり,フェルディナントも胸を打たれ,二人とも収容された病院で亡くなりました。

 
ウィーンの軍事史博物館に収められている,事件のときにフェルディナントが着ていた軍服。応急手当のために裂かれている。

 
当時,多民族国家であるオーストリアは,支配下の諸民族のナショナリズムに苦しんでいました。

ドイツ統一をめぐるプロイセン=オーストリア戦争に敗れたあとは,支配下のマジャール人にだけ自治権を与えてハンガリー王国をつくらせ,その王位をオーストリア皇帝がかねるオーストリア=ハンガリー帝国を成立させて,マジャール人とともに他の民族を支配しようとしたのです。

でも,スラブ系の人々の民族運動は高まるばかりでした。

フェルディナントは,スラヴ人にも自治権を与えるオーストリア=ハンガリー=スラヴ三重帝国をつくるべきだと考えていました。しかし,皇帝フランツ・ヨーゼフはこれに反対し,2人は対立していました。

そこで,フェルディナントは危険なボスニア・ヘルツェゴヴィナにあえて行くことにしたのです。

また,妻のゾフィーはベーメンの貴族の娘で,身分が低いとして結婚には周りが反対しました。結局,結婚は承認されたものの,ゾフィーには将来の皇后の地位は認められず,2人の間の子供にも帝位継承権は認められませんでした。

フェルディナントは,このボスニア・ヘルツェゴヴィナ訪問に,ゾフィーを同行することを強く主張しました。つまり,この訪問がゾフィーの公式行事のデビューだったのです。

この日6月28日は,2人の結婚記念日だったとも言われています。

一方,暗殺団のメンバーの多くは捕らえられました。チャブリノヴィッチとプリンチップは未成年だったため,死刑にはなりませんでしたが,2人とも数年後に獄中で病死しています。

暗殺団のメンバーの一人,チャブリノヴィッチとよく似た名前のチュブリロヴィッチは,その後ベオグラード大学教授,さらに閣僚になっています。

受験勉強では,ただ「第一次世界大戦のきっかけとなった事件」でおしまいでしょう。でも,そこにはこれだけのドラマがあります。

スポンサーリンク