「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」(2) 冷戦

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トランボの「東京上空三十秒」は,派手な戦闘シーンはほとんどなく,航空母艦から発進するための訓練や中国に不時着してからの中国人との交流,片足を失ったパイロットと妻の再会など,戦意高揚のための映画とは思えません。「パールハーバー」と変わらないほどです。

しかし,この「東京上空三十秒」は第二次世界大戦末期の1944年,「パールハーバー」は2001年の映画です。

「東京上空三十秒」に登場するB-25爆撃機は,そうすると本物ということになりますね。

さて,トランボは冷戦開始の年,1947年に赤狩りで非米活動委員会に呼び出されました。

冷戦とは,第二次世界大戦後,アメリカ合衆国を中心とする資本主義諸国と,ソ連を中心とする共産主義諸国が,武力を使わないで対立していた状態をさします。

1946年,イギリスの前首相チャーチルがアメリカのミズーリ州フルトンで「鉄のカーテン」演説を行いました。当時東ヨーロッパには多く共産主義国が成立していました。これをチャーチルはソ連が世界の共産化をねらっているとしたのです。すぐそばで演説を聴いていた,フランクリン・ローズヴェルトの急死で副大統領から昇格したばかりのトルーマン大統領はこれに説得されたのです。

翌年,トルーマンは,トルーマン・ドクトリンを発表し,ソ連の脅威を受けていたギリシア・トルコに支援を表明しました。これが冷戦の開始とされています。そして,国務長官のジョージ・マーシャルが,ヨーロッパ復興援助計画のマーシャル・プランを発表しました。

ソ連は東ヨーロッパ諸国やフランス・イタリアの共産党を集めて共産党情報局コミンフォルムを結成して対抗します。俺たちは共産主義なんだから,アメリカの援助なんか受けちゃだめだよ,というわけです。

トランボが下院非米活動委員会から公聴会に呼び出されたのはこの時期です。

1949年,ドイツでのベルリン封鎖で対立が深まる中,アメリカなどが加わって軍事同盟の北大西洋条約機構NATOが成立しました。

6年後の1955年にはソ連も軍事同盟のワルシャワ条約機構を成立させます。

よく誤解するのは,この2つの順序です。北大西洋条約機構の方がワルシャワ条約機構より6年早く成立していることは,しっかり押さえておいてください。

1949年にドイツは,資本主義のドイツ連邦共和国(西ドイツ)と共産主義のドイツ民主共和国(東ドイツ)に分断されました。

そして東ドイツが成立する少し前には,中国国民党との内戦に勝利した中国共産党中華人民共和国を成立させました。

これはアメリカにとってショックでした。19世紀末にアメリカは門戸開放宣言を出して以来,中国を市場として確保したいと思っていました。それが共産主義の国となって失われたのです。

このような状況を背景として,1950年2月ジョセフ・マッカーシーが登場し,アメリカで反共キャンペーンのマッカーシズムが吹き荒れるのです。

1955年にジュネーヴ4巨頭会談が開かれ,アメリカのアイゼンハウアー大統領,イギリスのイーデン首相,フランスのフォール首相,そしてソ連のブルガーニン首相が会談し,狭い意味の冷戦は終わりました。

もちろんその後もベルリンの壁建設やキューバ危機など対立は続き,キューバ危機では核戦争勃発直前まで危機は高まりました。しかし,それでも対話の機会はもたれたのです。

冷戦は,広い意味では1989年にマルタ会談でアメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が冷戦の終結を宣言するまで続いたとされます。

ちなみに,1948年から49年のベルリン封鎖と1961年から89年のベルリンの壁は,まったく違う事件であることも確認しておきます。

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