「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」(1) 赤狩り,真珠湾攻撃

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「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」は2016年に公開された映画で,赤狩りにあって変名で作品を発表せざるを得なかった,アメリカの脚本家ドルトン・トランボの物語です。

第二次世界大戦後の1947年,冷戦が始まった年に,赤狩りすなわち共産主義者にたいする弾圧が開始され,ハリウッド・テンと呼ばれた10人の映画関係者が下院非米活動委員会に呼び出されました。

一種の見せしめとして,目立つ存在だったハリウッドの映画に関わる人々が選ばれたのです。

公聴会で「共産主義者か,あるいはかつてそうだったことがあるか」と問われ,若い頃共産党員だったトランボは憲法に保障されている権利を理由に証言を拒否し,1950年に議会侮辱罪で有罪となって投獄されました。

この年には,上院議員ジョセフ・マッカーシーが国務省に205人の共産主義者がいると発表したことから,いわゆるマッカーシズムと呼ばれる反共の運動がさらに高まります。

翌年,刑期を終えたトランボは本名では仕事ができず,生活のためにいくつもの変名を使って,映画の脚本を書き続けます。

1953年のアカデミー原案賞受賞作「ローマの休日」は,イアン・マクレラン・ハンターの名を借りて,トランボが書いたものでした。

1956年にはロバート・リッチの変名で「黒い牡牛」でアカデミー原案賞を受賞しましたが,授賞式には当然出席できませんでした。

その後,社会情勢の変化や彼の才能を評価する人々の努力もあり,1960年にポール・ニューマン主演の「栄光への脱出」やカーク・ダグラス主演の「スパルタクス」は,本名で発表しました。

1971年,第二次世界大戦中に発表した小説を映画化した「ジョニーは戦場に行った」で初監督をつとめました。

当時アメリカはベトナム戦争で国内外の批判を受けており,この作品は各地で多くの映画賞を受賞しています。

ケネディ大統領の暗殺を描いた1973年の「ダラスの熱い日」が,トランボの最後の作品となりました。

1975年には,改めて「黒い牡牛」のアカデミー賞トロフィーのオスカーを授与され,その翌年トランボは亡くなりました。

映画は,家族の支えで不遇の時代を生き抜いたトランボの姿を描き,最後は家族に対して感謝のスピーチをするという,いかにもアメリカ人の好みそうな一種のホームドラマとなっています。

「ローマの休日」がトランボの作品であることが明らかにされたのは彼の死後で,1993年に妻にオスカーが渡されました。

また,第二次世界大戦中の1944年に,トランボは「東京上空三十秒」という映画の脚本を書いています。

この映画はドーリットル空襲を描いたものです。1941年12月の真珠湾攻撃のあと,日本に対する反撃を計画したアメリカは,1942年4月,航空母艦2隻に航続距離の長い陸軍のB-25爆撃機を積んで日本の近海に運び,日本の各地を爆撃して中国に着陸するという作戦を実行しました。

この作戦が司令官の名前からドーリットル空襲と呼ばれます。ただし入試には出てきません。

恋愛映画の背景として真珠湾攻撃を描いた映画「パールハーバー」にも,この作戦が登場します。

「パール・ハーバー」については,過去にブログ「21世紀のデカメロン」に書いています。よかったら読んでください。
http://blog.goo.ne.jp/romanee78/e/734141da54e72ac377cda499f0a35e4d

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