「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」(2) ミルグラム実験

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前回は受験知識ばかりでしたが,今回はほとんど受験の知識は出てきません。

アイヒマン裁判が始まって多くの人が驚いたのは,アイヒマンが悪の権化のような怪物ではなく,分厚い眼鏡をかけた風采の上がらないどこにでもいるような平凡な人物であったことでした。

彼は命令に従っただけだと無罪を主張しましたが,死刑判決が下され,翌年,絞首刑となりました。イスラエルには死刑制度は存在しないため,唯一の死刑だそうです。

アイヒマンの裁判が始まった1961年,アメリカのイェール大学でユダヤ系の社会心理学助教授スタンレー=ミルグラムが,ある実験を開始しました。

ここから映画「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」は始まります。

2人の被験者で先生役と生徒役を決め,先生が別室にいる生徒に単語のゲームのような問題を出して,間違えると電気ショックを与えます。間違えるたびに電圧を上げ,生徒役は叫び声を上げます。それでも先生役の被験者に対して,そばで観察している研究者が実験を続けるように促します。先生役は躊躇したり,抗議したり,生徒役のようすを見に行くべきだと主張したりしますが,結局は多くが最後の450ボルトまで電気ショックのスイッチを押し続けました。

実は生徒役はサクラであり,くじで必ず生徒役になるように仕組まれており,電気ショックを与える機械もニセモノで,生徒役は隣の部屋でテープレコーダーの声を流しているのです。映画でも出てきますが,一種の「どっきりカメラ」状態だというと分かりやすいでしょう。

この実験の結果は,1963年に学会雑誌に発表され,一般の普通の人々が一定の条件の下で非人道的行為を行うことが明らかになったと話題になったのです。

同じ年,アイヒマン裁判を傍聴したユダヤ人の哲学者アンナ・アーレントも「イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告」を発表し,同様の説を主張しました。

しかし,一方で,ミルグラムは,その実験方法や倫理観を批判され続けました。映画は,その彼の苦悩をドラマとして描くのではなく,ときにミルグラム役の俳優が映画を見ている観客に語りかける手法をとっています。

彼は,以後もさまざまな実験を行いました。たとえば,SNS,すなわちソーシャル・ネットワーク・サービスの基礎ともなっている,世界のすべての人々は6ステップ以内でつながっているという「六次の隔たり」を検証したスモールワールド実験なども出てきます。

結局彼は51歳の若さで,1984年になくなりました。

実際のミルグラム実験では,20代から50代の男性40人に対して行われ,多くが300ボルトまでスイッチを押しましたが,最後の400ボルトまで押したのは25人でした。

さらに条件を変えて,映画にも出てきますが生徒役が苦しむのを見ながら実験を行わせた場合などを試みています。その場合には12人に減っています。

この実験はアメリカ社会のなかで行われたに過ぎません。これで「普通の人間が非人道的行為を行う」という一般的結論を導き出すのは早計でしょう。

しかも,「なぜか」に対しては答えは与えられていません。人間とはそういうものだとするのは,さらに危険なことでしょう。

それはともかく,「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」という邦題はいけません。ミルグラムがアイヒマンの「後継者」というのはひどいです。

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