「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」 (1) ナチス・ドイツとホロコースト

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アイヒマンは,ナチス・ドイツホロコーストを,実務的に進めた人物です。

http://next-eichmann.com/

ホロコーストとは,ナチス・ドイツ時代に組織的に行われたユダヤ人に対する弾圧・大量虐殺のことをいいます。現在,ドイツやオーストリア,さらにフランスやベルギーなどでは,このホロコーストがあったことを否定することは法律で禁止されています。

日本では1995年に雑誌「マルコ・ポーロ」がホロコーストを否定する記事を掲載し,廃刊に追い込まれました。

なお,ユダヤ人問題に関しては,ポグロムという言葉もあります。ポグロムはロシア語で「破壊」を意味する言葉で,19世紀から20世紀にかけてロシアで行われたユダヤ人への略奪や虐殺のことをいいます。いずれも入試で問われます。

ナチス,すなわち国民社会主義ドイツ労働者党は,1919年にドレクスラーがミュンヘンで結成したドイツ労働者党を改称したものです。党名には「社会主義」や「労働者」の語が含まれていますが,もちろん社会主義政党ではありません。

ナチスは略称で,対抗勢力からの蔑称です。メンバー自らナチスとはいいません。彼らは,略称のNSDAPやNS,あるいはParteiつまり「党」と呼んでいました。

ヒトラーは軍から調査を命じられて演説会に潜り込み,演説を聞いて感激し,入党しました。1921年にはその弁舌の能力で,ドレクスラーに変わって党の指導権を確立します。

ナチスは,1929年の世界恐慌までは弱小政党の一つに過ぎませんでした。しかし,世界恐慌をきっかけに党勢を急激に拡大し,1933年にヒトラー内閣が成立します。

そして,国会議事堂放火事件を利用して共産党を弾圧し,全権委任法を制定して一党独裁を実現しました。翌年ヒンデンブルク大統領が死去すると,ヒトラーはナチス党首・首相・大統領の地位を兼ねて総統(フューラー)と称し,独裁体制を完成させます。

ナチスについては,1934年までが国内における独裁体制の確立,1935年から1939年までが周辺への勢力拡大と第二次世界大戦開始と整理するといいです。入試では最重要項目の一つです。

政権得後,ナチスはユダヤ人に対する迫害を進め,強制収容所を建設してドイツ国内や占領地のユダヤ人を収容し,強制労働を行わせたり,あるいは人体実験を行ったり,ガス室で大量殺戮を行いました。

このユダヤ人の収容所への輸送に活躍したのがアイヒマンでした。オーストリア・ナチスに入党したアイヒマンは,オーストリアからのユダヤ人の,全財産との引き替えの移住を進めました。1939年ドイツのポーランド侵攻から第二次世界大戦が始まると,ベルリンでゲシュタポ(保安警察)のユダヤ人課の課長として,各地のユダヤ人を絶滅収容所に列車輸送で送り込む責任者として精力的に業務をこなしました。

敗戦後,アイヒマンはアメリカ軍に捕らえられましたが,収容所から脱出し,イタリア経由でペロン政権下のアルゼンチンに逃れることに成功しました。家族を呼び寄せ,リカルド・クレメントの名で生活していました。

しかし,イスラエルの特務機関モサドが,1960年にアイヒマンが結婚記念日に妻への花束を買ったことで彼であることを特定し,拘束します。そして正式な手続きを経ないで,イスラエルに連れ去りました。

1961年裁判が始まりました。このアイヒマン逮捕にまつわるドラマや,ドキュメンタリーはいくつもあります。

しかし,この映画「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」では,アイヒマンが主人公ではありません。

今回の話は,この映画を見る前提です。

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