今月見た映画(2017年3月)

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○はブログで取り上げた作品。●は取り上げなかった作品です。

今月は,歴史物ばかりになりました。いつもは他のジャンルも見ます。

○「アサシンクリード」2016

映画館で見ました。

http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/03/10/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/03/11/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/03/12/

○「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」2015

映画館で見ました。

http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/03/15/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/03/16/

●「レオナルド・ダ・ヴィンチ 美と知の迷宮」2015

映画館で見ました。

レオナルド・ダ・ヴィンチの「ミラノの貴婦人の肖像」「モナリザ」「最後の晩餐」などを,再現ドラマを交えながら解説するドキュメンタリーです。

画像は4Kで撮ったとかできれいです。

○「エクソダス」2014

公開時に映画館で見て,今回ブログを書くためにAmazonビデオで見直しました。

http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/03/17/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/03/19/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/03/20/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/03/21/

●「十誡」1923

DVD で見ました。

サイレントです。

セシル・B・デミルが1923年に旧約聖書の出エジプト記を映画化した作品で,1956年の「十戎」はこのリメイクです。

ただし,モーセの出エジプトの物語は前半だけで,モーセがシナイ山から降りてヘブライ人の偶像崇拝に怒ると,突然現代の,といっても1923年当時ですが,信仰心の厚い母親とその2人の息子の教訓めいた物語となります。

最後は,イエスの奇跡になぞらえて皮膚病が治るエピソードで終わります。

○「東京上空三十秒」1944

Amazonビデオで見ました。

http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/03/27/

●「コンスタンチン大帝」1961

DVDで見ました。

キリスト教公認で有名なローマ皇帝コンスタンティヌスが,政敵との権力闘争の結果,312年のミルウィウス橋の戦いで空に十字を見て勝利したエピソードを描いています。

ミラノ勅令やニケーア公会議は出てきません。

原題は“Constantine And The Cross”です。

画像の痛みが結構あります。

「十誡」と「コンスタンチン大帝」はこの10枚組のDVDを購入してみました。「十誡」は単品でも買えますが,こちら方がコストパフォーマンスに優れます。他にもいろんなセットがあるようです。

私の参考書です。CDの声は女性のナレーターです。

聴くだけ世界史(古代~近代へ)    聴くだけ世界史(近現代)

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「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」(3) アメリカ共産党・マッカーシズム・ローゼンバーグ事件

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ところで,教科書にはまったく出てこないので,アメリカには共産党が存在しなかったかのようですが,アメリカにも共産党は存在し,現在も活動しています。1919年に結成され,一時は党員が10万人いたと言われます。

第二次世界大戦中は,党が穏健路線をとっていたことやソ連がアメリカと同じ連合国として戦っていたことから,政府は監視を続けていたものの弾圧などは行われませんでした。

しかし戦後,1947年に冷戦が開始されると取り締まりが始まったのです。

下院非米活動委員会は,目立った存在であったハリウッドの映画関係者を見せしめに公聴会に呼び出して共産党との関係を問いただし,証言を拒否したトランボらは議会侮辱罪で投獄されました。そして,政府の転覆を計画したという理由で共産党幹部が逮捕されました。当時,共産党は非合法ではありませんでした。

1950年にはウィスコンシン州選出の共和党上院議員のジョセフ・マッカーシーが,ある共和党女性クラブで国務省に205人の共産主義者が紛れ込んでいると演説しました。それは人気取り,あるいは注目を浴びたいためのものだったようです。

しかし,当時の社会情勢を背景として,メディアが彼を一挙に有名人にしました。彼も引っ込みがつかなくなったのか調子に乗ってどんどん告発を続けます。それは共和党議員や陸軍の幹部にまで及びました。

すると,ジャーナリストのエドワード・R・マーローが,彼のテレビ番組でマッカーシーについての特集を放送し,その矛盾を批判しました。

映画「グッドナイト&グッドラック」は,これを描いています。「21世紀のデカメロン」に書いています。

http://blog.goo.ne.jp/romanee78/e/ddd3d26912d03d42d37b014cacc9062f

 

以後マッカーシーの人気は失われていきます。そして陸軍と対立し,上院で「品位を汚した」と譴責決議を受けて失脚しました。その後,健康を害して1957年に死去しています。

マッカーシーが反共キャンペーンを開始した1950年には,ローゼンバーク事件が起こりました。科学者のジュリアス・ローゼンバーグとエセル・グリーングラス・ローゼンバーグ夫妻が,ソ連に原爆製造に関する情報を流したスパイ容疑でFBIに逮捕されたのです。

確かにソ連は1949年に原爆開発に成功しています。しかし,夫妻がスパイ活動を行ったという物的証拠は存在せず,彼らは無罪を主張しましたが,1951年死刑判決を受けました。

世界各国で助命運動が高まり,サルトルアインシュタインピカソなど多くの文化人がえん罪を訴えました。それでも,夫妻は司法取引にも応ぜず,1953年に死刑が執行されたのです。

その後,この事件はえん罪と言うのが定説になっていました。

ところが,1995年にアメリカ政府が公開したソ連の「ベノナ計画」に関する文書で,ローゼンバーグ夫妻はやはりソ連のスパイで,当時のアメリカ政府内部にはマッカーシーの告発した以上の共産主義者すなわちソ連のスパイが潜入していたことが明らかになったという話もあります。その信憑性はどうなのでしょうか。

最後に,「ハリウッドに最も嫌われた男」というのは的外れなサブタイトルだと思います。「ハリウッド」がトランボを嫌ったのではありません。

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「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」(2) 冷戦

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トランボの「東京上空三十秒」は,派手な戦闘シーンはほとんどなく,航空母艦から発進するための訓練や中国に不時着してからの中国人との交流,片足を失ったパイロットと妻の再会など,戦意高揚のための映画とは思えません。「パールハーバー」と変わらないほどです。

しかし,この「東京上空三十秒」は第二次世界大戦末期の1944年,「パールハーバー」は2001年の映画です。

「東京上空三十秒」に登場するB-25爆撃機は,そうすると本物ということになりますね。

さて,トランボは冷戦開始の年,1947年に赤狩りで非米活動委員会に呼び出されました。

冷戦とは,第二次世界大戦後,アメリカ合衆国を中心とする資本主義諸国と,ソ連を中心とする共産主義諸国が,武力を使わないで対立していた状態をさします。

1946年,イギリスの前首相チャーチルがアメリカのミズーリ州フルトンで「鉄のカーテン」演説を行いました。当時東ヨーロッパには多く共産主義国が成立していました。これをチャーチルはソ連が世界の共産化をねらっているとしたのです。すぐそばで演説を聴いていた,フランクリン・ローズヴェルトの急死で副大統領から昇格したばかりのトルーマン大統領はこれに説得されたのです。

翌年,トルーマンは,トルーマン・ドクトリンを発表し,ソ連の脅威を受けていたギリシア・トルコに支援を表明しました。これが冷戦の開始とされています。そして,国務長官のジョージ・マーシャルが,ヨーロッパ復興援助計画のマーシャル・プランを発表しました。

ソ連は東ヨーロッパ諸国やフランス・イタリアの共産党を集めて共産党情報局コミンフォルムを結成して対抗します。俺たちは共産主義なんだから,アメリカの援助なんか受けちゃだめだよ,というわけです。

トランボが下院非米活動委員会から公聴会に呼び出されたのはこの時期です。

1949年,ドイツでのベルリン封鎖で対立が深まる中,アメリカなどが加わって軍事同盟の北大西洋条約機構NATOが成立しました。

6年後の1955年にはソ連も軍事同盟のワルシャワ条約機構を成立させます。

よく誤解するのは,この2つの順序です。北大西洋条約機構の方がワルシャワ条約機構より6年早く成立していることは,しっかり押さえておいてください。

1949年にドイツは,資本主義のドイツ連邦共和国(西ドイツ)と共産主義のドイツ民主共和国(東ドイツ)に分断されました。

そして東ドイツが成立する少し前には,中国国民党との内戦に勝利した中国共産党中華人民共和国を成立させました。

これはアメリカにとってショックでした。19世紀末にアメリカは門戸開放宣言を出して以来,中国を市場として確保したいと思っていました。それが共産主義の国となって失われたのです。

このような状況を背景として,1950年2月ジョセフ・マッカーシーが登場し,アメリカで反共キャンペーンのマッカーシズムが吹き荒れるのです。

1955年にジュネーヴ4巨頭会談が開かれ,アメリカのアイゼンハウアー大統領,イギリスのイーデン首相,フランスのフォール首相,そしてソ連のブルガーニン首相が会談し,狭い意味の冷戦は終わりました。

もちろんその後もベルリンの壁建設やキューバ危機など対立は続き,キューバ危機では核戦争勃発直前まで危機は高まりました。しかし,それでも対話の機会はもたれたのです。

冷戦は,広い意味では1989年にマルタ会談でアメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が冷戦の終結を宣言するまで続いたとされます。

ちなみに,1948年から49年のベルリン封鎖と1961年から89年のベルリンの壁は,まったく違う事件であることも確認しておきます。

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「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」(1) 赤狩り,真珠湾攻撃

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「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」は2016年に公開された映画で,赤狩りにあって変名で作品を発表せざるを得なかった,アメリカの脚本家ドルトン・トランボの物語です。

第二次世界大戦後の1947年,冷戦が始まった年に,赤狩りすなわち共産主義者にたいする弾圧が開始され,ハリウッド・テンと呼ばれた10人の映画関係者が下院非米活動委員会に呼び出されました。

一種の見せしめとして,目立つ存在だったハリウッドの映画に関わる人々が選ばれたのです。

公聴会で「共産主義者か,あるいはかつてそうだったことがあるか」と問われ,若い頃共産党員だったトランボは憲法に保障されている権利を理由に証言を拒否し,1950年に議会侮辱罪で有罪となって投獄されました。

この年には,上院議員ジョセフ・マッカーシーが国務省に205人の共産主義者がいると発表したことから,いわゆるマッカーシズムと呼ばれる反共の運動がさらに高まります。

翌年,刑期を終えたトランボは本名では仕事ができず,生活のためにいくつもの変名を使って,映画の脚本を書き続けます。

1953年のアカデミー原案賞受賞作「ローマの休日」は,イアン・マクレラン・ハンターの名を借りて,トランボが書いたものでした。

1956年にはロバート・リッチの変名で「黒い牡牛」でアカデミー原案賞を受賞しましたが,授賞式には当然出席できませんでした。

その後,社会情勢の変化や彼の才能を評価する人々の努力もあり,1960年にポール・ニューマン主演の「栄光への脱出」やカーク・ダグラス主演の「スパルタクス」は,本名で発表しました。

1971年,第二次世界大戦中に発表した小説を映画化した「ジョニーは戦場に行った」で初監督をつとめました。

当時アメリカはベトナム戦争で国内外の批判を受けており,この作品は各地で多くの映画賞を受賞しています。

ケネディ大統領の暗殺を描いた1973年の「ダラスの熱い日」が,トランボの最後の作品となりました。

1975年には,改めて「黒い牡牛」のアカデミー賞トロフィーのオスカーを授与され,その翌年トランボは亡くなりました。

映画は,家族の支えで不遇の時代を生き抜いたトランボの姿を描き,最後は家族に対して感謝のスピーチをするという,いかにもアメリカ人の好みそうな一種のホームドラマとなっています。

「ローマの休日」がトランボの作品であることが明らかにされたのは彼の死後で,1993年に妻にオスカーが渡されました。

また,第二次世界大戦中の1944年に,トランボは「東京上空三十秒」という映画の脚本を書いています。

この映画はドーリットル空襲を描いたものです。1941年12月の真珠湾攻撃のあと,日本に対する反撃を計画したアメリカは,1942年4月,航空母艦2隻に航続距離の長い陸軍のB-25爆撃機を積んで日本の近海に運び,日本の各地を爆撃して中国に着陸するという作戦を実行しました。

この作戦が司令官の名前からドーリットル空襲と呼ばれます。ただし入試には出てきません。

恋愛映画の背景として真珠湾攻撃を描いた映画「パールハーバー」にも,この作戦が登場します。

「パール・ハーバー」については,過去にブログ「21世紀のデカメロン」に書いています。よかったら読んでください。
http://blog.goo.ne.jp/romanee78/e/734141da54e72ac377cda499f0a35e4d

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よくある質問 Q&A 映画で世界史は学習できるのか

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 映画を見て本当に世界史の勉強になりますか。

  なります。タイムマシンで過去に行って体験するように,あなたが勉強した人物が登場し,あなたが勉強したや事件が目の前で展開されるのですから。知識を定着させるには絶対役立ちます。

  映画を見るなんて,時間の無駄ではないですか。

  そんなことはありません。受験生のみなさんは時間がないというより気持ちの余裕がないんだと思います。受験生は起きている間,ずっと勉強しているわけではありませんよね。最初の回にも書きましたが,1週間のうち2時間映画を見ても何の問題もないはずです。気分転換にもなります。そして,1週間に1本見ると1年間で52本の映画を見ることができます。相当な範囲を網羅することができます。もし,気持ちの余裕がもてないなら,公式ホームページに公開されている予告編と,私のブログを読んでもらうだけでもいいと思います。

 映画なんか見ている時間があったら,単語を書いて覚えた方が効率がいいと思います。

 書いて覚えることは,舌を噛みそうなカタカナの単語や難しい漢字には必要かもしれませんが,すぐ忘れてしまうでしょう。書いて覚えるというのは作業にすぎず,実は頭を使っていないからです。すごく効率の悪い勉強法なのです。しかし,映画「エクソダス」を見たら,少なくともモーセとヘブライ人の出エジプトを忘れることはないでしょう。さらにヘブライ人についてすでに勉強していれば,バビロン捕囚も忘れないでしょう。

 受験のために映画を見る気にはなれません。

 確かに受験のためとか,点にしようと思って映画を見てもおもしろくないでしょうね。見るときはそんなことは忘れて映画を楽しみましょう。見終わったあと,ちょっと教科書などでチェックすると効果的です。

  世界史の映画に興味がわきません。

 それは残念ですね。でも,世界史を勉強していて興味がわかないとしても,テレビのクイズ番組などで世界史についての問題が出て,答えが分かったとき,うれしくなったり,だれかに自慢したくなりませんか。もし,そんな経験があったら見てみましょう。きっとおもしろいと思うはずです。

  映画を見るだけで,点が上がりますか。

 もちろん,映画をただ見るだけではダメです。普通に世界史の勉強は必要です。一度勉強したことだから,映画の内容がよく分かるし記憶にものこり,その結果点数が上がるのです。あるいは,まだ勉強していない範囲の映画を見たら,あれはいったいどういうことだろうとか疑問がわきますね。それを調べて納得する。こうして知識が定着します。あくまでも映画は,世界史学習の一つの有効なツールに過ぎません。

  映画は史実と違うことが多いのではないですか。そうすると間違ったことを覚えてしまいます。

 確かに映画は史実そのままではありません。その点は気をつけなくてはいけません。多くの洋画は英語ですね。モーセや西太后が英語で話すわけはありません。ま,これは一種の吹き替えと考えましょうか。例えば映画「グラディエーター」ではマルクス・アウレリウス・アントニウス帝を息子のコンモドゥスが殺してしまいますが,実際は違います。でも,コンモドゥスの名は覚えるでしょう。コンモドゥスは教科書にも用語集にも載っていないと思いますが,過去に難関大学で出題されたことがあります。むしろ見ている映画が史実と違うことに気づくことが楽しく,勉強にもなるのです。このブログは,そのあたりのことを書いていくつもりです。

  映画を見ただけでは歴史の流れがつかめないと思います。

  その通りです。流れというのは大きな歴史の展開あるいは骨組みのことでしょう。映画は,ある人物やある事件を題材にすることが多いので,いわゆる歴史の流れを直接理解することはできません。しかし,カタカナや漢字の集まりに過ぎなかった人物や事件が目の前で展開されることによって,個々の事柄の知識が身についたら,それを構成要素とする大きな流れの理解にも役立つはずです。

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「エクソダス 神と王」(4) 出エジプトとバビロン捕囚

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映画「十戎」で一番有名なのは,やはり紅海をモーセが二つに割って,海のなかにできた道をヘブライ人が渡る場面でしょう。しかし,当時の特撮技術では人々の体は二重写しで透けてみえました。

「エクソダス」では,モーゼが海を二つに割るのではなく,突然空が雲に覆われ,竜巻が起こって海が一方にに流れていき,浅瀬ができます。そこをヘブライ人が渡って行きます。やがて,巨大な高波がやっいてきて海は元通りとなり,エジプト人は飲み込まれてしまいます。さすがにリアルです。

しかし,いくら技術的に未熟でも「十戎」の場面の方が印象に残りますね。

十の災いやこの海を渡る場面のリアルさに比べて,「エクソダス」は全体に人物の描写がやや薄っぺらで,ラムセスとモーセ以外の人物に存在感がありません。

ヘブライ人の長老ヌンは映画「ガンジー」でアカデミー主演男優賞を獲得した名優ベン・キングズレーですし,ラムセスの母は「エイリアン」シリーズのシガ-ニー・ウィーバーです。キングズレーはさすがに存在感を示していますが,ウィーバーはエジプト風の濃い化粧のせいかよく分かりません。

モーセのクリスチャン・ベールも,若い時代のモーセのときには現代人のエリート・ビジネスマンようにみえてしまう瞬間があります。

ところで,出エジプトのヘブライ人の数は,この映画では40万人となっています。聖書には,男だけで60万3550人とされており,総勢200万人ほどになると考えられています。

あまりに非現実的なので,5000人から6000人ほどではなかったかという説もありますが,ネットで調べると,聖書の数が正しいとするサイトがいくつかありました。信仰の立場からは聖書の記述を疑うことはできないのです。

ヘブライ人は,こののち,前1000年頃に約束の地カナーンの地で王国を建てますが,ダビデソロモンの繁栄のあと,北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂し,イスラエル王国はアッシリアに,ユダ王国が新バビロニアに滅ぼされました。

ユダ王国の住民の多くは,新バビロニアに滅ぼされたとき,バビロンに拉致されました。この前6世紀の約50年間を,バビロン捕囚といいます。

その後,新バビロニアがアケメネス朝キュロス2世に滅ぼされると,ヘブライ人は帰国を許され,帰国したヘブライ人はユダヤ教を成立させました。

この出エジプトやバビロン捕囚などの民族的苦難を背景として,ユダヤ教は選民思想をもつ民族宗教となったのです。

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「エクソダス 神と王」(3) ヒッタイトと旧約聖書・新約聖書

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映画が始まるとすぐにヒッタイトとのカデシュの戦いが起こります。

前13世紀前半,前1286年または前1275年に,エジプトのラムセス2世とヒッタイトの王ムワタリがシリアの支配をめぐって起こした戦いです。この映画では,ラムセスの父セティ1世の時代となっています。

ヒッタイトは未開の民族のように描かれていますが,ヒッタイトは古代オリエント世界で初めて鉄器を使用し,戦車で周辺に勢力を拡大した強国でした。

勝敗は決することなく,ヒッタイト・エジプトともに自らが勝利したと記録しています。ラムセス2世はアブ・シンベル神殿などの壁にヒエログリフで戦勝記録を彫らせ,ヒッタイトは楔形文字粘土板に記録しています。

そして,このとき世界最初の平和条約が結ばれたとされ,ヒッタイトの粘土板のレプリカがニューヨーク国連本部に飾られています。

さて,ラムセスとモーセが兄弟のように育ったとは,聖書にはありません。おそらく,セシル・B・デミルの「十戎」の設定を採用したのでしょう。

ちなみに,聖書は旧約聖書新約聖書があり,「旧約」は古い契約で神とユダヤ人の契約,「新約」は新しい契約で神と人類の契約をそれぞれ意味します。決して,同じ聖書の「旧訳」と「新訳」ではありません。

過去に同志社大学の正誤判定問題でこの「約」の字が「訳」となっていて誤りという選択肢がありました。

キリスト教では,旧約聖書と新約聖書の両方が聖書ですが,ユダヤ教徒にとって聖書は旧約聖書だけです。したがってユダヤ教では単に聖書です。

しかし,入試問題で,「ユダヤ教の聖典はなにか」と聞かれたら,やはり「旧約聖書」と書いた方がいいかもしれません。教科書は旧約聖書と書いています。

ラムセス2世が,ヘブライ人がエジプトを出て行くことを認めないため,神は十の災いをもたらします。

これは聖書にあり,映画でもそのまま登場します。水が血の色に染まり,カエルが異常繁殖し,ブヨが異常発生し,アブも発生し,病が蔓延し,腫れ物ができます。雹が降り,イナゴが大量発生し,暗闇が襲い,病でエジプト人の長子が死んでいきます。それでも,この映画では一種の自然現象ともとれるように描かれています。

モーセが山で神の使いである少年と出会ったのも,山崩れで頭を打ったため幻想を見るようになったともとれるようになっています。

映画「十戎」では神が雷で石に刻んだ十戎の石版は,この映画では神の使いの少年と相談しながら,モーセ自身がノミで彫っているのです。聖書では,神から授けられたものとはありますが,どのように作られたかは書いてありません。

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「エクソダス 神と王」(2) ピラミッドとラムセス2世

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物語はご存じの人が多いとは思いますが,簡単にまとめると次のようになります。

エジプト王家で王子ラムセスとともに育ったモーセは,ヘブライ人の子であることが明らかになって追放されます。たどり着いた村で結婚し,子供も出来ますが,迷った羊を探しに山に登り,神に出会います。

エジプトに戻ったモーセは,ヘブライ人を率いてエジプトから脱出しようとしますが,ファラオとなったラムセスが認めません。そこでさまざまな奇跡が起こり,ヘブライ人はエジプトを出てカナーンの地に向かうことが許されます。

しかし,気が変わったラムセスは軍を率いて,ヘブライ人を追撃します。紅海にたどり着いたヘブライ人は神の奇跡によって海のなかにできた道を渡りますが,エジプト軍は海に沈んでしまいます。

その後,シナイ山でモーセは神から十戒の刻まれた石版を受け取り,さらなる旅を続けます。

今回の「エクソダス 神と王」は,オープニングから驚かされます。

巨大なピラミッドがあちこちに建設されているのです。

サッカラにあるジョゼル王の階段ピラミッドのようなピラミッドも,あちこちに建っていますし,スフィンクスもいくつもあります。

さらにラムセス2世は,自分のピラミッド建設を進めています。

古代エジプトは,古王国時代・中王国時代・新王国時代に分けられ,ギザにあるクフ王のピラミッドに代表される巨大ピラミッドは古王国時代に建設されました。

中王国時代には,規模がずっと小さくなります。新王国時代になると,王家の谷に墓を作るようになりました。

新王国時代のラムセス2世は,ピラミッドは作ってはいません。

さらに都はメンフィスになっています。古代エジプトの都は,古王国時代がナイル川下流のデルタ地帯にあるメンフィスで,中王国時代と新王国時代がテーベというのが受験では常識です。アメンホテプ4世のときは中間のテル・エル・アマルナに遷都しました。

受験では出ませんが,ラムセス2世はデルタ地帯に新都ベル・ラメセスを建設しています。でも,メンフィスではありません。

さらに,現在ルクソールと呼ばれるテーベにあるカルナック神殿のような宮殿や,ずっと上流にあるアブ・シンベル神殿まで出てきます。

アブ・シンベル神殿はラムセス2世の4体の巨像が正面に配置されています。アスワン・ハイダムの建設で水没するため,ユネスコがエジプト政府と協力して山上に移築しました。

アスワン・ハイダムといえば,その建設資金を捻出するため,エジプト大統領ナセルが1956年スエズ運河国有化を宣言すると,第2次中東戦争,つまりスエズ戦争が起こりました。アスワン・ハイダムは,その後ソ連の資金援助で建設されました。

それはともかく,この映画,あらゆるエジプトのシンボルが満載です。

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「エクソダス 神と王」(1) アメンホテプ4世・ツタンカーメンと出エジプト

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今回は,同僚からのリクエストがありましたので,2015年の「エクソダス 神と王」をとりあげます。旧約聖書ヘブライ人出エジプト,すなわちエクソダスを描く作品です。

http://www.foxmovies-jp.com/exodus/

ドリー=スコットは,ローマ帝国五賢帝最後のマルクス=アウレリウス=アントニヌスとその子コンモドゥスが登場する「グラディエーター」や,SFの金字塔「ブレードランナー」や「エイリアン」などで有名です。

「金字塔」は「金」の字の形に似ているピラミッドのことで,そこから「不滅の業績」を意味する語となりました。

リドリー=スコットの監督作品のリストのなかに「ハンニバル」という作品をみつけると,第2回ポエニ戦争カルタゴ側の将軍としてローマ軍を苦しめたハンニバルの映画かと思ってしますが,違います。「羊たちの沈黙」の続編で,ハンニバルは主人公の猟奇的人物の名前です。

ちなみに,第2回ポエニ戦争でハンニバルと戦ったローマの将軍がファビウスで,19世紀のイギリスの社会主義者グループでイギリス労働党の中核となったフェビアン協会は,このファビウスにちなんで名付けられました。

さて,この映画を見ていると,どうしても1956年のセシル・B・デミル監督の最後の監督作品「十戎」と比べてしまいます。彼は1923年にも同じ題材で「十誡」を撮っており,「十戎」はそのリメイクです。

モーセ役はチャールトン・ヘストンで,彼が杖を振ると紅海が真っ二つに割れて道が出来るジーンはあまりにも有名です。一方,今回の「エクソダス 神と王」でモーセを演じるのは,バットマンを演じたクリスチャン・ベールです。

セシル・B・デミル監督の「十戎」の最初に,ラムセス2世の父セティ1世の玉座が出てきます。

おそらく,ツタンカーメンの玉座のコピーです。下の写真は,私がカイロのエジプト考古学博物館で撮った実物の写真です。

この写真でははっきり分かりませんが,背もたれには,針のついた釣り糸みたいなものが放射線状に何本もついた円盤が彫られています。

これは,アメンホテプ4世が行った古代エジプトの宗教改革で信仰が強制された一神教のアトン神をあらわす図像です。

アメンホテプ4世は,名前もアトンの入ったイクナートンに変えました。その子がツタンカーメンなのです。しかし,彼に時代には従来のアメン神信仰に戻りました。

彼の名は,もとはアトンの入ったツタンクアトンだったのですが,アメン神信仰に戻ったためツタンクアメン,すなわちツタンカーメンに改称したのです。

それはともかく,これは前14世紀の話で出エジプトの100年ほど前の話なので,セティ1世の玉座にアトン神が彫られているわけはありません。

でも,今回の「エクソダス 神と王」はもっと大胆です。

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「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」(2) ミルグラム実験

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前回は受験知識ばかりでしたが,今回はほとんど受験の知識は出てきません。

アイヒマン裁判が始まって多くの人が驚いたのは,アイヒマンが悪の権化のような怪物ではなく,分厚い眼鏡をかけた風采の上がらないどこにでもいるような平凡な人物であったことでした。

彼は命令に従っただけだと無罪を主張しましたが,死刑判決が下され,翌年,絞首刑となりました。イスラエルには死刑制度は存在しないため,唯一の死刑だそうです。

アイヒマンの裁判が始まった1961年,アメリカのイェール大学でユダヤ系の社会心理学助教授スタンレー=ミルグラムが,ある実験を開始しました。

ここから映画「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」は始まります。

2人の被験者で先生役と生徒役を決め,先生が別室にいる生徒に単語のゲームのような問題を出して,間違えると電気ショックを与えます。間違えるたびに電圧を上げ,生徒役は叫び声を上げます。それでも先生役の被験者に対して,そばで観察している研究者が実験を続けるように促します。先生役は躊躇したり,抗議したり,生徒役のようすを見に行くべきだと主張したりしますが,結局は多くが最後の450ボルトまで電気ショックのスイッチを押し続けました。

実は生徒役はサクラであり,くじで必ず生徒役になるように仕組まれており,電気ショックを与える機械もニセモノで,生徒役は隣の部屋でテープレコーダーの声を流しているのです。映画でも出てきますが,一種の「どっきりカメラ」状態だというと分かりやすいでしょう。

この実験の結果は,1963年に学会雑誌に発表され,一般の普通の人々が一定の条件の下で非人道的行為を行うことが明らかになったと話題になったのです。

同じ年,アイヒマン裁判を傍聴したユダヤ人の哲学者アンナ・アーレントも「イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告」を発表し,同様の説を主張しました。

しかし,一方で,ミルグラムは,その実験方法や倫理観を批判され続けました。映画は,その彼の苦悩をドラマとして描くのではなく,ときにミルグラム役の俳優が映画を見ている観客に語りかける手法をとっています。

彼は,以後もさまざまな実験を行いました。たとえば,SNS,すなわちソーシャル・ネットワーク・サービスの基礎ともなっている,世界のすべての人々は6ステップ以内でつながっているという「六次の隔たり」を検証したスモールワールド実験なども出てきます。

結局彼は51歳の若さで,1984年になくなりました。

実際のミルグラム実験では,20代から50代の男性40人に対して行われ,多くが300ボルトまでスイッチを押しましたが,最後の400ボルトまで押したのは25人でした。

さらに条件を変えて,映画にも出てきますが生徒役が苦しむのを見ながら実験を行わせた場合などを試みています。その場合には12人に減っています。

この実験はアメリカ社会のなかで行われたに過ぎません。これで「普通の人間が非人道的行為を行う」という一般的結論を導き出すのは早計でしょう。

しかも,「なぜか」に対しては答えは与えられていません。人間とはそういうものだとするのは,さらに危険なことでしょう。

それはともかく,「アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発」という邦題はいけません。ミルグラムがアイヒマンの「後継者」というのはひどいです。

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