「エルネスト」1 ゲバラの広島訪問,ゲバラの顔

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2017年10月9日(日本時間では10日)は,キューバ革命の指導者エルネスト・チェ・ゲバラボリビアでなくなってからちょうど50年目にあたります。

日本・キューバ合作の映画「エルネスト」は,ボリビアで日系二世として生まれ,キューバで医学を学ぶも,帰国して政府軍と戦い,ゲバラに先立つ8月31日に亡くなったエルネスト・メデイコ,本名フレディ・前村の半生を描く映画です。

http://www.ernesto.jp/

 
映画の初めにフレディ・前村とは直接関係ない,ゲバラがキューバ革命に成功した年の1959年の7月に来日して,予定になかった広島を訪問したエピソードが出てきます。

このとき,平和記念公園で献花し,原爆資料館の展示を見たゲバラが「アメリカにこんなことをされて,どうして怒らないんだ」と言ったというのは有名です。

映画では,同行したオマール・フェルナンデス大尉と駐日大使の3人で,大阪から夜行列車で広島に向かいます。

私は,当時神戸に両親といっしょに,今のJR,当時の国鉄東海道本線から数百メートルの所に住んでいました。1959年7月25日深夜,もうすぐ6歳の私は31歳の彼に数百メートルの距離に近づいたことになります。

見覚えのある東海道本線の列車のなかで,ゲバラが駅弁を食べ,プラスチックの入れ物に入ったお茶を飲んでいるのをみて,そんなことを思いました。

しかし,大坂から夜行列車でゲバラが広島に向かったというのは,同行したフェルナンデス大尉の証言によるもので,どうも状況からすると事実ではなく,実際には飛行機で岩国空港から広島に入ったようです。

ゲバラ役のホワン・ミゲル・バレロ・アコスタは,ゲバラの雰囲気をよく出しています。

これまで,映画では,1969年の「ゲバラ」でオマー・シャリフが,2008年の「チェ 28歳の革命」「39歳 別れの手紙」でベニチオ・デル・トロが,それぞれゲバラを演じています。

それ以外にも何本か映画にゲバラが登場するのを見ました。ゲバラの写真はたくさんのこっていて,写真集も出ています。今回がいちばんゲバラに似ている,と私は思います。

とくに何気ない,たとえば葉巻をくわえ,足を組んで手紙を書いている場面などは,はっとします。

パンフレットを読むと,阪本監督がゲバラ役を彼に決めたポイントは,オーデションの控え室で他の候補者がざわついていたのに,彼は一人でじっとしていたことだったそうです。

最初,39歳で死んだゲバラの役としては老けすぎていると思った瞬間がありました。しかし,別の瞬間にはとても若く見えるのです。

パンフレットで調べたら,1976年生まれの主演のオダギリジョーよりうんと若くて,1988年生まれでした。見かけで年齢が分からないのはゲバラの特徴です。

以前のブログで「チェ 28歳の革命」「39歳 別れの手紙」について,次のように私は書きました。

「1947年にゲバラは19歳の医学生だったとき,解剖教室での記念写真で,解剖されたばかりの遺体の前で屈託なく笑っています。カストロと出会い,1956年に刑務所に収監されたときの写真を見ても,普通のどこでもいる若者の顔です。ところがその年にグランマ号でキューバに行き,2年後ゲリラとして戦っている1958年の写真を見ると,われわれがアルベルト・コルダの有名な写真で知っている,あのゲバラの顔になっているのです。それは,変装してキューバを出る1965年までの7年間ほぼ変わりません。1958年には30歳なのですが,とてもそんなに若くは見えません。といって老けているのでもありません。この時からゲバラは年をとらないかのようです。2年にわたるゲリラとしての経験が彼の風貌を変えたと説明するのは簡単です。おそらくそうでしょう。しかし,それだけなのでしょうか。」

ゲバラの顔は私にとって一つの謎です。

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「リンカーン/秘密の書」 リンカンはなぜヴァンパイアと戦うのか

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2012年に公開されたもう1本のリンカンの映画,「リンカーン/秘密の書」は,リンカンがヴァンパイアすなわち吸血鬼と,斧で戦うという怪作です。

監督は,アンジェリーナ=ジョリー主演の「ウォンテッド」(ピンクレディーではありません)で知られるカザフスタン出身のティムール=ベクマンベトフ,製作はティム=バートンです。

原作はセス=グレアム=スミスの2010年のベストセラー小説「ヴァンパイアハンター・リンカーン」で,いかにもティム=バートン好みの作品です。

幼いときにヴァンパイアに母を殺されたリンカンが,ヴァンパイアハンターの下で修行し,銀の斧を使ってヴァンパイアを次々と退治し,母の仇を討つことに成功します。実際にリンカンは,斧の名手だったそうです。

将来の妻と出会ったリンカンは,ヴァンパイアハンターから足を洗い,大統領に当選して南北戦争でヴァンパイアに支配されている南部と戦います。

ヴァンパイア一味に息子を殺されたリンカンは,再び銀の斧をとって,銀の銃弾や砲弾を使ってゲテイスバーグの戦いに勝利しました。

ヴァンパイアはヨーロッパやアジアに逃げ去り,アメリカは自由の国となるのです。

リンカンにヴァンパイアとの戦い方を教えたヘンリーも,実は妻をヴァンパイアに殺され,自らも血を吸われてヴァンパイアになっていたことが明らかになります。ヴァンパイアは同じヴァンパイアを殺せないので,リンカンを訓練したのです。

つまり,この映画あるいは原作の小説は,先住民を殺し,奴隷制度を行って血を吸ったのはヴァンパイアだとするのです。

奴隷制度を行っていたのもアメリカ人で,それを廃止したのもアメリカ人というジレンマを,すべて南部を支配していたヴァンパイアのせいにしてしまう都合のいい話です。

白人の西部開拓を正当化した「明白な天命(マニフェスト・ディスティニー)」を思い出しました。

実際には,リンカンは先住民に対しては過酷な政策を行っています。

ヴァンパイアであったリンカンの師匠ヘンリーは,リンカンとともに最後まで戦い,リンカンに「永遠の命」を与えようと申し出ますが,リンカンはそれを断り,妻とフォード劇場に向い,暗殺されてしまいました。

ヴァンパイアは年をとらないので,ヘンリーは現在まだ生きていることになっています。

だったら,みんなヴァンパイアになればいいのではないでしょうか。

病気や高齢化などすべては一挙に解決します。ヴァンパイアはヴァンパイアを殺せないそうなので,殺人も戦争もなくなります。

ただし,そのかわり深刻な人口問題が起こります。

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「リンカーン」 toy presidentのリンカンのフィギュア

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今回は,私の以前のブログ「21世紀のデカメロン」に書いた,リンカンについての映画2本,スピルバーグの「リンカーン」と謎の映画「リンカーン/秘密の書」についての記事を,一部書き換え,加筆して,2回に分けて再録します。

2012年には2本のリンカン(リンカーン)に関する映画が製作されました。

1本はスティーヴン・スピルバーグ監督の「リンカーン」で,主演のダニエル・デイ・ルイスはアカデミー主演男優賞をとりました。

ただし,作品賞は,以前にこのブログで取り上げた,イランのアメリカ大使館人質事件を題材とした「アルゴ」で,「リンカーン」は受賞を逃しました。

この映画は,リンカンが奴隷制を禁じる憲法修正第13条を議会で成立させるため,共和党保守派と急進派,さらに民主党の一部の支持を得るために苦慮する姿を描きます。

そこに,次男を失った悲しみからリンカンを非難する妻,軍隊に入隊しようとする長男と妻に再び子を失う悲しみを与えたくないと反対するリンカンの,家庭人としての苦悩が重なります。

ダニエル・デイ・ルイスは,映画「ガンジー」でガンジーを演じたベン・キングズレーのように,リンカンになりきっています。

また,共和党急進派のタデウス=スティーブンスを演じたのは,おなじみのトミー・リー・ジョーンズですが,彼が憲法修正第13条が可決されたのち,その原本を持ち帰って一緒に暮らしている黒人女性に見せるエピソードは,彼の徹底した人種差別反対を個人的なものに矮小化しているようにも思えます。実際のスティーブンスは,黒人女性を事実上の妻としていました。

それにしても,トミー・リー・ジョーンズが画面に登場すると,どうしても缶コーヒーのCMに出てくる変な宇宙人を思い出してしまいます。それほど,あのCMがよくできてるということなのですが。

さて,今はもうないのですが,大統領のフィギュアを専門的に作っていたtoy presidentという会社がアメリカにあって,私は何体かフィギュアを買って送ってもらいました。

これらの大統領のフィギュアは,有名な演説をしゃべるように作られています。

リンカンは,25のフレーズをしゃべります。ゲティスバーグ演説も入っていますが,なぜか「人民の,人民による,人民のための政治」の部分ではなく,その冒頭の部分です。

私のインスタグラムのsekainorekisiにあげたものです。

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先月見た映画(2017年8月)

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○はブログで取り上げた作品。●は取り上げなかった作品です。

●「アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場」
Amazonビデオで見ました。
ドローンを使った現代の戦争を描いた作品です。ロンドンの司令部で,アメリカ軍のMQ-9リーバ-無人偵察攻撃機を使って,イギリス・アメリカ軍が合同でケニアと協力し,ナイロビで準備が進められているテロを未然に防ぐ作戦が展開されます。指令はロンドン,無人攻撃機の操縦はアメリカのネバダ州で行っているのです。ところがテロリストの拠点をミサイル攻撃しようとしたとたん,建物のそばにパンを売る少女が店を出します。その少女を巻きこむ攻撃をすべきかどうか,許可を出すのは誰か。司令部は苦慮した結果,結局攻撃は行われ,少女は命を落とします。MQ-9リーバ-の,のっぺりとした機首のデザインは不気味です。しかし,この映画は一種のファンタジーでしょう。一人の少女を犠牲にするかどうかで,攻撃を躊躇するとは思えません。また「世界一安全な戦場」のサブタイトルは不要でしょう。

●パシフィック・リム
Netflixで見ました。
「パシフィック・リム」とは環太平洋地域のことで,太平洋にできた異次元との裂け目から次々と現れる怪獣を,環太平洋防衛軍の巨人ロボット兵器が迎撃する物語です。日本の怪獣映画の伝統を受け継ぐ作品で,怪獣は英語でもkaijuと呼ばれています。菊地凛子(幼い時代は芦田愛菜)が重要な役で出ています。防衛軍のロボットは,パイロットが神経を接続して操縦するのですが,負担が重いため右脳・左脳を2人で分担して同期することになっています。ちょっと設定がこね回し過ぎた感があります。怪獣と巨人ロボットの戦いも暗いシーンが多く,日本の怪獣映画のような明快さはありません。第2作が制作されているようですが,どうなるのでしょうか。この映画のギレルモ・デル・トロ監督の作品に「パンズ・ラビリンス」という作品があります。これに出てくる目が手のひらにあるペイルマンに,無人偵察攻撃機MQ-9リーバ-が似ていることを思い出しました。

○「ザ・マミ- 呪われた砂漠の王女」
映画館で見ました。
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/08/13/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/08/14/

○「カサノバ」
DVDで見ました。
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/08/16/
http://storiamondiale.sakura.ne.jp/uno/2017/09/08/

●「カサノバ」(監督フェデリコ・フェリーニ)
DVDで見ました。
こちらのフェリーニの「カサノバ」は,雰囲気がまったく違います。ヴェネツィアのカーニバルのシーンで始まるのですが,巨大な女神の頭部が海から現れるなど,独特の美意識で撮られています。カサノバの衣装や化粧,海をあえてビニールのシートで表現するなど,舞台の演劇のようです。カサノバの自伝のエピソードをつなぎ合わせたような構成で,突然一つのエピソードが終わり,次のエピソードが始まります。何かに似ているなと思ったら,そう,日本の歌舞伎でした。

●「1900年」
DVDで見ました。
「ラストエンペラー」のベルナルド・ベルトリッチ監督の5時間16分の長編です。1901年から1945年まで,同じ年に生まれた地主の子と小作人の子の友情と反発を軸に,地主と小作人の対立,ロシア革命の影響下の社会主義運動の高揚,ファシズム運動の台頭,第二次世界大戦終結によるファシズムの崩壊までを描いています。とくに社会主義の浸透に対して旧来の地主勢力がファシズムを支持する姿と,戦後の彼らに対する農民の怒りを描いています。農村のファシストを演じたのが,フェリーニの「カサノバ」でカサノバを演じたドナルド・サザーランドです。しかも1976年の同じ年公開です。ここにはおしゃれなイタリアはまったく出てきません。なお,原題「Novecento」は,イタリア語で「900」のことですが1900年代すなわち20世紀のことです。邦題「1900年」は変です。

私の参考書です。CDの声は女性のナレーターです。

聴くだけ世界史(古代~近代へ)    聴くだけ世界史(近現代)

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ダンケルク(2) ポーランド侵攻,まやかし戦争,ダンケルクの戦い,淀川長治

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ナチス・ドイツソ連は,1939年8月23日独ソ不可侵条約を結びました。反共のナチス・ドイツと1935年のコミンテルン第7回大会で反ファシズムの人民戦線の結成を訴えたソ連の同盟に世界は驚きました。

これで東側の安全を確保したドイツは,1939年9月1日にポーランドに侵入します。すると9月3日にイギリス・フランスはドイツに宣戦布告し,第二次世界大戦が始まりました。

ソ連は独ソ不可侵条約の秘密協定にしたがって,9月17日に東からポーランドに侵入し,ポーランドはドイツ・ソ連両国によって分割・占領されました。

イギリス・フランス軍はドイツ・フランス国境ならびにフランス・ベルギー国境に陸軍の大軍を展開し,ドイツは主力の陸軍をポーランドに進軍させていたため,イギリス・フランスは圧倒的に有利な状況にありました。

しかし,本格的な戦闘は行われず,これはイギリスでは「まやかし戦争」,フランスでは「奇妙な戦争」と呼ばれました。

その原因としては,イギリス・フランスの戦前の宥和政策がまだ尾を引いていたことや,とくにフランスがドイツの戦力を過剰に恐れていたことなどが挙げられています。

前線では緊張感がだんだん失われて,両陣営の兵士がタバコやお菓子を交換したり,日光浴をしていました。

ちなみに,第一次世界大戦緒戦の西部戦線でも,1914年12月24日から25日にかけてクリスマスを祝って両軍兵士が自主的に停戦を行い,記念写真を撮ったりプレゼントを交換し,サッカーに興じたといいます。第一次世界大戦に従軍していたヒトラーは,こんなことはするべきではないと仲間を叱りつけたそうです。

1940年5月10日にドイツがフランス・ベネルクス3国に侵攻を開始し,このような状況は終わりました。

フランスは,第一次世界大戦後,ドイツ・フランス国境にマジノ線と呼ばれる長大な要塞線を建設していました。そして,イギリス・フランス軍は第一次世界大戦の経験からドイツ軍はベルギー国境から進撃してくると予想して,ベルギー・フランスの国境に主力を展開していました。

しかし,ドイツ軍の戦車部隊は,通行不可能とされていたアルデンヌの森を脱けてイギリス・フランス軍の背後に回り,イギリス・フランス軍はダンケルクに追い込まれたのです。

そこで,この映画に描かれるようなイギリス本土への撤退作戦であるダイナモ作戦が行われたのです。

イギリスに生還した主人公が,歓迎する人々の一人に「逃げてきただけだ」といいます。しかし,その人は「それだけでいいんだ」と答えました。

戦争のむなしさ,無意味さで映画を終わることもできました。しかし,監督は列車の中でチャーチルの「われわれはこれからも戦い,決して降伏しない」との演説の記事を最後に読ませて中和しています。

ノーラン監督はこの「ダンケルク」を戦争映画ではないと繰り返し述べています。しかし,やはり戦争映画です。

淀川長治は,先の旧作「ダンケルク」のパンフレット解説に,この映画を「人間」を描いていると評価した上で,戦争映画一般について

「私は常々…なにを好んで今さら勇壮なる戦士英雄を描く必要があろうと思う」

「その面白さに幾億万の金をかけて超大作を作りそれからの儲けによって大会社の資本を増すことも営業といえば営業であろうが私はその企画にいつも心をくもらせてきた一人である」と書いています。

戦争を経験した世代である淀川の率直な意見です。時代遅れだという人もいるでしょう。でも,私も同様の感想を持ちます。

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